扉に付いた鈴がけたたましく鳴った。
ポップはカウンターの下にある羽ペンへと伸ばした手を止め、来客を確認する為に屈んでいた体を起こした。
「いらっしゃ……」
「チケットチケットチケットォ!!」
猪のように突進してきては、眼前に鬼気迫る顔を広げてるのがだという事に、ポップはしばらく気付けなかった。引き剥がすように顔を離してようやく、同じ門弟の彼女だと分かった。
「うっせぇぞ! 挨拶もナシかよ!」
「だって急いでんのよ! 余ってるっていうサーカスのチケットを早く譲ってもらってパプニカに行かないと、ヤツが戻ってきちゃう!」
「ヤツ?」
そういえば、あの不遜が青くなって服着て歩いてるみたいな者がいない。大戦後に三人でパーティを組んだ彼らだったが、今の後ろには、これまた不遜が美丈夫になったような男が静かに突っ立っているだけだった。男は美しい銀髪をかすかに揺らして久方振りに会った挨拶にした。ポップも小さく右手を掲げる。
「ラーハルトはどこ行ったんだ?」
「ああ。適当に言いくるめて、墓参りに里帰りさせたわ」
は武勇伝でも話すように、得意気に笑って見せた。それはもう、してやったりという顔で、謀略の叶った喜びを隠しきれない様子だった。仲の悪さはいまだ健在らしい。ポップは不毛な争いを続ける彼らを、苦笑をまじらせて感心した。賑やかなのはまぁ良い事だ、と。
「その間に、今パプニカでやってるサーカスをヒュンケルと二人きりで楽しむって寸法よ! だから一緒に行く相手もなく寂しく宙に浮いてるっていうサーカスのチケットを、有効活用させに来てやったんじゃない! さぁちょうだいな!」
「一言多いぞテメー! 相手がいないんじゃない、ヒマがないだけだ! ボケ! げんにだなぁ、村ではおれへの縁談話がそれはもう毎日山のように……」
「あんもう! そんな与太話はどうでもいいの! チケットを! チケットを早く!」
の目は言い知れぬ真剣さと凄みを有していた。その迫力に押されんばかりのポップだったが、ここで引くのも面白くない。後ろに後退しそうな足をなんとか踏ん張って、体を前へと押し出す。
「与太じゃねぇ! それにチケットは今は渡せねぇぞ!」
「何ですって?」
ポップは小脇に抱えていた丸めた紙の束を、の目の前に突き出した。
「おれはさっきも言った通り忙しいんだ。見ろ、これからこの設計図を持ってロン・ベルクの所の行かなくちゃいけねぇんだよ。今、村のはずれにデカくて頑丈な橋を造るって話が出てて、その設計にロン・ベルクにも知恵を貸してもらおうとしてるんだ。親父とお袋も仕入れで村を数日空けてるし、代わりにおれが話ししに行くんだよ」
「ええ〜……」
の顔はあからさまに不満に歪んだ。黙っていれば美しい顔も、見る影もない。
「だから夜まで戻れねぇ。……あ、そうだ! お前ら店番してろ!」
「ええ!?」
「タダでチケットやるんだから、それぐらいやってくれてもいいだろ。店を閉めとこうと思ったけど、これで開けてられるぜ」
「ちょ、ちょっとまってよ!」
「じゃあな。あとはヨロシク!」
そう言ってポップは足早に行ってしまった。本当に急いでいたらしい。あっという間に店は静寂に包まれ、残された二人は言葉もなく目を合わせた。
「……ま、仕方ないか」
はため息混じりに呟き、カウンターの中に入った。そして椅子に腰掛け、店番としての馴染みを確かめるように、木製のカウンターをニコニコと笑いながら撫でた。
「そこまでするほどのものなのか」
だが、元々乗り気ではなかったヒュンケルは憮然として腕を組んでいる。は役作りを徹底する性質らしく、普段のポップを思い出しながら、カウンターの上でだらしなく腕と頭を乗せた。思う通りの「店番をしているポップ役」が出来て満足らしく、は頬を緩ませながらヒュンケルを見た。
「たまにはいいじゃない。こんな娯楽、滅多にないんだもの。私はすごく楽しみよ」
はそれは嬉しそうに笑った。自分と二人きりで出掛ける事がそんなに嬉しいのかと、ヒュンケルはこそばゆいながらも仄かに温かくなるものを感じた。のそんな顔が見れるなら、少しだけでも付き合ってやってもいいか。そう思い、彼は一緒に店の中で時間を潰す事に決めた。
ヒュンケルが店の中の品物を全て物色し終えた頃、店の扉の小さな鈴が来客を知らせた。ようやく来た初めてのお客に、はありったけの笑顔と声で迎える。
「いらっしゃいませー!」
「おや? 新しいバイトさんかい?」
そのお客は中年の女性で、旅装束などではなく普段着にエプロンを付けている。見るからに武器屋に用があるとは思えない、ランカークスの村人だ。はガックリと肩を落としながらも答えた。
「いえ……ポップ君の友達で、今だけ留守番を頼まれてるんです」
「そうだったのかい。じゃあジャンクさんたちも留守なんだね」
「ええ。何かご用でしたか? よければ伝言を伝えておきますけど」
「用事ってほどじゃないんだよ。ああ、私ゃ、教会の前に住んでるパティっていうんだけどね」
パティおばさんは腕に下げたカゴをカウンターに置いた。そしてカゴに被せてあった布を勿体ぶりながら取り払うので、は思わずカゴの中を覗き込んだ。
「わ! プリン!」
つやつやした黄色がカゴの中にいくつも入っている。ふんわりと甘い卵の香りがの鼻か掠めていった。
「いっぱい作ったんで差し入れに来たんだけど、ジャンクさん達がいないならアンタがお食べよ」
「え、いいんですか?」
「残しておいても痛んじゃうからさ。自信作だし食べておくれよ。アンタ一人かい?」
「いや、そこに連れが一人」
そう言っては店の隅にいるヒュンケルを指差した。
「ああビックリした! いたのかい! ……んまー、それにしても美形だねーアンタ。いくつだい?」
「二十一です」と真面目に答えるヒュンケルが可笑しくて、はつい吹き出してしまった。凄みのない目で見られたが笑うのを止められない。
「お嬢ちゃんもとびっきりの美人だし、なんだか今日のこの店は華やかだねぇ。いつもはジャンクさんの気難しい顔しか並べられてないのに! ああ眼福眼福! じゃあよろしく言っておいておくれ!」
パティおばさんは快活な笑い声とともに帰っていった。また店には静寂が満ち、取り残されたように呆然としてしまう。とヒュンケルの二人は、なんだか長い間呆けていたような気がした。
「せっかくだから、頂こうか」
はヒュンケルに手招きしながらカゴの中を再び覗き込んだ。よく見ると色んな色のプリンがあるようだ。
「わぁ美味しそう。プリンなんて久しぶり!」
一つ手に取って眺めて見た。パティおばさんが自信作と言うだけあって、すも入っておらず、つやつやキラキラとしていて、とても綺麗な仕上がりだ。透明なガラスから見える底には濃い茶色が見えて、思わず口の中にほろ苦いカラメルの懐かしい味が広がった。親切にもスプーンまで入れておいてくれたようで、は手に取り、早速頂こうとする。
「ホラ、ヒュンケルも頂きなさいよ」
「プリン……。初めて見た」
「へ!?」
思わずスプーンを持つ手が固まった。こんなに美味しいものを、見た事も食べた事もないなんて!
「――まぁ此処じゃ贅沢品なんだろうし仕方ないけど……。この機会に食べてみなよ。きっと美味しくってほっぺた落ちちゃうよ」
「甘いんだろう? 俺は甘いものは苦手だ。お前だけで食べてくれ」
「なっ!? これだけのプリンを一人で食べたら、どれだけのカロリー摂取になると思ってんのよ!? あなたも手伝いなさいよ!」
「カロリー?」
「ああ、つまり、太っちゃうってコト!」
「お前はもう少し太った方がいい」
そう言った後にほんのりと口角が上がるのをは見逃さなかった。きっと今のヒュンケルの頭の中には、思い起こされた自分の身体でいっぱいに広がっているはずなのだ。は思わず身体を隠しながらスプーンをヒュンケルに向け、真っ赤な顔で怒鳴った。
「そういう事を言ってんじゃないの! これは乙女心の問題なの!」
「よく分からん」ヒュンケルはそう言ってカウンターから離れようとした。だがは行かせない。服を鷲掴んで引き摺り寄せた。
「いいから一つだけでも食べてみなよ! きっと人生観変わるくらい美味しいよ!」
「そんな大げさな」
「大げさかどうかは一口食べてみれば分かるって!」
自分は一体どこの回し者だろうとは思ったが、ここまで来ると引く事も出来ない。ヒュンケルもの目に只ならぬものを感じ取って、強く拒めなかった。確かに柔らかく甘い香りは興味をそそる。食べずに痛めてしまうのはしのびないし、に全て押し付けても彼女の「乙女心」を崩しかねない。ヒュンケルはそう自分に言い聞かせ、渋々ながらもガラスの容器を受け取った。そしての視線が痛い中、薄黄色の湖面を銀色のスプーンで掬い、口に運んだ。
「ど、どう?」
自分が作った訳でもないのに、はヒュンケルの反応を息を呑んで待った。
「……ああ、悪くない」
「だよねー!」
まるで自分が誉められたかのように嬉しそうに笑ったは、満足気に自分のプリンと向き合った。ペロリと一つ平らげると、今度は薄い茶色のプリンに手を付ける。
「このなめらかな舌触り。優しい甘さ。それにふんわりと立ち上る卵の甘い香り。これぞ卵と牛乳と砂糖の究極のハーモニー。特にほろ苦いカラメルととろけ合うところなんて最高よね! あー、プリンになりたい!」
「お前もプリンみたいじゃないか」
ブッ。
は思わず吹いた。
平然と言ってのけたヒュンケルは黙々とプリンを口に運んでいる。あっという間に平らげると、真っ赤になっているににじり寄り、スプーンを目の前でブラつかせた。
「なめらかな舌触り、優しい甘さ、だろう? お前と一緒だ。こっちのも頂いてみようか? 美味そうだ」
獲って喰われそうな程の近さまで顔を寄せ、目の前でわざとらしく舌舐めずる。甘くなったであろうその赤い舌がいやらしく動くのを見て、の頬もさらに紅潮した。
「もう! バカ!」
「それともこっちのを貰おうか?」
「あ! それは私のショコラ味!」
「じゃあやっぱりこっちのプリンだ」
そう言って、桃色の唇を頂かんと顔を傾けた時だった。
「お前ら、よそでやってくんない?」
驚愕に身を震わせ、とっさに振り向いた先には、顔を小刻みにひくつかせたポップがいた。
「人が汗水垂らして働いてる時に人のウチでイチャこきやがって……! 嫌がらせか! 新手の嫌がらせか!!」
目を吊り上げた憤怒の形相で、ポップは二人に怒声を飛ばした。は身を縮込ませて、その怒りを治めようと無意識に笑顔になってしまう。
「お……お早いお帰りで? ――あ、はい、プリン」
「食いかけじゃねーか! アホ! それにおれは忘れ物を取りに来ただけだ!」
「だって夜まで帰ってこないと思ったんだもの! 早く食べちゃわないと痛んじゃうってパティおばさんも言ってたし! それにプリンも蕩けるような声で早く食べてくれ〜って言ってたし?」
「おめぇ、プリン並みに脳が蕩けてるな」
「ひどっ。ヒュンケルは「お前はプリンみたいに甘くてなめらかだ」って言ってくれるのに!」
「……コイツ、そんな事言うの?」
冷たい視線を向けると、ヒュンケルはカウンターの下で頭を抱えていた。
「あれ? マズかった?」
は屈み込んでるヒュンケルの背中に問いかけた。
「ゴメン、つい本気にして言っちゃった。冗談なら冗談だって……」
「俺は嘘は言わん」
ヒュンケルはまだ顔が赤いままだったが、すっと立ち上がる。そしての瞳を捕らえた。
「俺は世辞は言えないし冗談も面白くない。思っている事を口にしただけだ」
「ヒュンケル……」
「……」
「オーケイ! 分かった!」
驚くほどの声量が、脇から上がった。一瞬、存在を忘れていたポップを、二人は目を丸くして見た。ポップは両の手の平を二人に向けて宥めるように上下させている。そして白い歯を覗かせ、突き抜けるような爽やかな笑顔を見せると、握った手を親指だけ突き出し、外に向けて振った。
「とりあえず、お前ら、出て行け」
扉を打ち付ける音と、弾む鈴の音、そして怒声がランカークスの狭い小道に響き渡った。
「ちょ! チケットー!!」
「うっせぇ! もう来んな、このバカップル!!」
扉越しなのにポップの怒号も村中に響いた。
しばらく扉越しの接戦は続いたが、とうとうは諦めて、上下する肩を落ち着かせながら扉から離れた。それでも治まらないらしく空に向かって吼えている。
「もうー! これじゃ何の為にここまで来たのか分かんないじゃない!」
「そんなにサーカスが見たいのか?」
の背中に向けて声がかかる。
「見たい! すっごく見たい!!」
「じゃあ、お前が欲しがっているのはコレか?」
そんな声と共に頭の上から視界に降りてきたのは、二枚のオレンジ色の紙切れ。喉から手が出るほど欲しがっている、サーカスのチケットだ。
は獲物に飛びかかる獣の如く、そのチケットに飛びついた。が、獲物は元のように頭上へ消えていった。追いかけるように振り向くと、そこには一番見たくない顔が一番見たくない表情で立っていた。その手にはオレンジ色のチケットがある。
「なっ!? なんでアンタがここにいるのよ、ラーハルトっ!?」
「優しいお前に気遣われて墓参りしにいったが、俺がいないとそれはさぞ寂しかろう、心細かろうと思ってな、すぐに済ませて飛んで帰って来た」
勝者の優越を満面に浮かべながら、ラーハルトはを見下ろしている。「間に合わなかったか……!」というの呟きをよそに、チケットを中空をヒラヒラと彷徨わせた。
「ていうか、貴重なサーカスのチケットを何でアンタが持ってんのよ!?」
「ああ、コレか? 道中、因縁をふっかけて来た奴を返り討ちにした際、巻き上げ……ゴホン。いや、譲ってもらったのでな」
そしてヒュンケルに向けてチケットを振った。
「じゃあ、二人で見に行こうか」
「ちょっと待てー!!」
盛大なのツッコミが小道に轟く。
「男二人でサーカスとか有り得ないんですけど! 珍妙な動物を見る目で見られるわよ! お前がサーカスかっつーの!!」
「ただ親睦を深めるだけだ」
「深まりすぎでしょ!?」
「深まって何が悪い!」
「私がヒュンケルと深まる! 有効活用してあげるからそれを寄越しなさい!」
「ふざけるな! 俺がヒュンケルと行く!」
「私が行く!」
「俺だ!」
「私だ!」
「そんなに行きたいなら二人で行けばいいじゃないか」
「「冗談じゃない!!」」
声を合わせて全力で否定した。
「うるせーッ!! 痴話喧嘩はよそでやりやがれ!!」
店から顔だけ出して、ポップは怒鳴り飛ばした。だがそれに意にも介さず、ラーハルトが頭上に掲げて逃しているチケットを二人は取り合っている。その時、ランカークスの村人達の笑い声が上がる中、突風が小道を駆け抜けた。するとオレンジ色の小鳥が空を羽ばたくように、ラーハルトの手からすり抜けていってしまった。とラーハルトの二人は揃って追い駆ける。
ヒュンケルはプリンの味を思い出しながら、初めて見るものに飛び込むのも悪くないかもしれない、そう思いながらもう一枚のチケットをどうやって手に入れるかを考えはじめた。
二人の後ろ姿はもう小さい。
(2008.11.2)
ラーハルトはベーコンレタスではありません!アラシヤマ的なアレです!(笑
リクエスト下さった方々、ありがとうございました!