まるで靴に羽が生えたかのように足が軽い。それに踊り子の服でも纏ってるかのように身体も軽く、それこそ私は踊りだしそうだった。
横を向けば精悍なお顔。それを見て私の頬は自然と緩んでしまう。そんな私の視線に気付いたのか、アポロさんはこちらを向いた。そしていつもの優しくて優しくてあったかい笑顔を、私に降り注いでくれたのだ。天にも昇る喜びに、私は当初の目的をすっかり忘れかけてしまっていた。
地底魔城のあった場所にほど近く。その村はパプニカの山間部にあった。白と灰の混ざった稜線に囲まれ、パプニカの城下町に比べてずっと空気が澄んでいるようだった。少しピリッとした空気が、此処までようやく歩いてきた身体の火照りを冷ましてくれる。
そうまでして此処へ赴いたのには目的があった。私は「パプニカの三賢者」の空席に名を連ねる為、こうして最後の試練と称した実地調査に来ているのだ。「三賢者」の名の示すとおり、魔法に関する知識や技術は超一流でなくてはいけないんですって。先の戦いの功績と「アバンの使徒」の名は、技術面では軽くクリアらしい。その名のどれもが、正直私には興味のないものばかりなんだけど、定職とアポロさんとのオフィスラブを餌に吊るされたら飛び付かざるを得ないでしょう? レオナは満面の笑みでソレット村へのフィールドワークを提示してきた。
このソレット村は大昔から、古の魔法や秘儀の数々が書き記された碑文を守ってきた一族なのらしい。だけどそれも17年前、世界を席巻していたハドラーの魔王軍に早々に目を付けられ、滅ぼされてしまった。今回はようやく、破壊された石碑から読み取れるだけの情報を持ち帰るよう計画が持ち上がったのだという。本来ならば賢者は魔法の研究に従事するのも主たる使命の一つ。ちょうどいいわ、とレオナは調査の概要が書かれた書類を私に投げ寄越した。そして報告書待ってるわね、と言いながら書類の束の山へと姿を消した。いつ見てもらえるかも分からない哀れなこの書類の山。これらの中に放り込む論文を書かなくてはいけないのは、作文が苦手な私からすれば頭が痛いものだったが、次の瞬間、世界中が薔薇色に染まったのを感じた。
「姫様。その調査に私もお供をさせて下さい」
完全に人気のないソレット村の跡地は、閑散として物寂しい雰囲気が漂っていた。十数年放置されたあとでは、そこら中に雑草を生えさせてしまうのも仕方ない。村に着いた私たちは早速、雑草を掻き分け、破壊され四散した石碑を集めた。身体はクタクタだったけど、気持ちの上ではそんな疲れも感じない。真剣な面持ちで仕事するアポロさんの横顔を見れば、疲れなどあの山の向こうに吹っ飛んじゃうわ。仕事する男の人の姿って本当に素敵よね。私は器用にペンを動かしながら、アポロさんを盗み見ていた。
本当はもっと話しかけたいし、そばにも寄りたい。でも仕事とプライベートを混同するオンナにはなりたくないの。仕事のデキル女と思われたいし、私は目の前の仕事を難なくこなすフリをする。そしてアポロさんが向き合っていた書類から顔を上げ、一息吐いたところを見計らって私は話しかけた。
「あのぉ、アポロさん」
「なんだい? ?」
こちらを向いてくれた時には、もういつもの笑顔で応えてくれる。
「ずっと聞きたかったんですけどぉ……どうしてアポロさんほどの方が、わざわざこの調査に来て下さったんですか?」
私の愛しのをこんなツライ調査に一人で行かせるなんて心配だったんだよ、そう言ってくれるのを期待して、私はとっておきの笑顔を用意して待った。だけど披露する機会はこなかった。
「この村は私の生まれ故郷だからね」
いつもと変わらない笑顔でアポロさんはそう言ったのだ。私は一瞬、アポロさんが何を仰ったのか分からなかった。この滅んだ村が生まれ故郷? つまりアポロさんは……。そんな私の頭の中を読んだかのように、アポロさんは小さく頷く。
「ああ、私はこのソレット村の唯一の生き残りなんだ」
アポロさんは持っていたペンを置いて、静かに話しはじめた。
「――私が4歳の時だった。当時の魔王軍の拠点が在ったこのホルキア大陸は混迷を極めていてね、どこも魔王軍の脅威に晒されていた。村に受け継がれているこの石碑に刻まれた碑文。これらが魔王軍に対抗する術にならないように、破壊するよう命令が下されたんだろう。このソレット村はどこよりも早く、その標的となったよ。どうにか生き延びた私は、救援に来てくれたパプニカ兵に保護された。その兵を率いていたパプニカの臣下である養父が、子供がいなかったこともあり、そのまま養子として私を育ててくれたんだ。――だからパプニカの臣下の一人として私が民を守るのは、自分に課せられた使命であり、養父への最大のお礼だと思っているんだよ。ハハ、これはただの独り言だけども」
「そう、でしたの……。ごめんなさい。辛い事をお聞きしてしまいました」
「が謝る事はないよ。 20年前、そんな子供はいっぱいいたんだからね」
笑いながらそう話すアポロさんは強いな、って思ったの。いつも向日葵みたいな笑顔で笑うアポロさん。待っているだけじゃなく、向日葵のように自分から懸命に陽を探そうとする姿は、とても眩しいくらいに輝いている。浅はかな考えで三賢者になろうとしていた自分が、急に恥ずかしくなってきた。
私は確実が好き。確実に日が昇る。確実に道を進む。確実に笑える。その為ならどんな事もしようと今までは思っていた。私が欲しがっていたそれらを持っているからこそ、私はアポロさんに惹かれたのかもしれない。胸の奥で沸々と沸き起こるアポロさんへの愛しさが、身体が爆発しそうに大きくなっていく。私の小賢しい心をぎゅうぎゅうと押し潰すように、その体積を増していく。はちきれそうになる身体がとても熱い。
どうにか届いて欲しい。まだそんな浅はかな考えの下、私は精いっぱいの恋心を籠めた声で呟いた。
「アポロさんって向日葵みたい」
「あはは、どうしてだろうね。それ、よく言われるよ」
他の人も思うような事で、アポロさんを理解した風でいた自分が恥ずかしくなった。
顔を曇らせた私を気遣ってくれたんだろう、アポロさんはまた笑いかけてくれる。
「は向日葵は好きかい?」
「大好きです!!」
即答した私にアポロさんは面食らったようだった。そして目を丸くした後に、ほんのりと頬を染めていている。そんなアポロさんも可愛くて大好きで、私はつい破顔させてしまう。するとアポロさんは少し目を泳がせ「それは良かった」と言い、手元の書類にどうにか落ち着かせるように視線を落とす。
「私には三賢者になりたいっていうのほうが不思議だよ。アバンの使徒といえば、今を時めく英雄じゃないか。わざわざ国仕えに降らなくても、使徒同士で一師団作る事も叶うのに」
「あはは。アバンの使徒と言っても、私たち結構バラバラですよぉ。あの銀髪なんて協調性の欠片もないわ拳を交えないと意思の疎通が出来ないわで、私のような一般人とは話が通じませんし。師匠からして究極のワンマンプレイヤーですからね。まぁ先生は最高の逆玉に乗ったしソコだけは尊敬できるかなとは思いますけどぉ……ああ、ゴホンゴホンい、いえ!」
「はは、隠す事ないよ。君のその歯に衣着せぬ物言いは好きだけどな」
途端に顔から火を吹いた。
「す、好きだなんて……!」
「ああ! ゴメン! 変な意味じゃないんだ! いや、そんな意味も……あッ、いやッ!」
アポロさんは本当にお日様のように顔を赤くしている。きっと今の私も、あのくらい赤いに違いない。頬を触る手が熱でジリジリする。
その時だった。熱くなった身体を一気に冷やすように冷たい風が私たちに吹いた。俯いていた顔を上げて見渡してみると、それが風ではなく霧である事に気付いた。
「霧が出てきたな……」
いつの間にか日が翳り、辺りが一気に薄暗くなってきた。見渡しているその間にも、段々と暗くなっていき目の前がもやに包まれる。
「確かあちらに大きい洞窟があったはずだ。そこで休もう」
立ち上がったアポロさんに続いて私も立ち上がった。すぐ後ろについていないと見失ってしまいそうなほど、厚い霧がすでに辺りを覆っていた。
アポロさんの言う洞窟に着いた。洞窟と言うよりも岩をくり抜いたほら穴のような空間だったが、霧を避けるには十分な広さだった。倉庫か何かに使っていたんだろう、奥まった所の壁に、松明を掲げておく金物がある。幸運な事に燃え尽きていない松明も引っ掛かっている。十数年放置されていて十分に乾燥しているようだ。松明にメラで火を点けると辺りに明かりが灯り、どうにか休む事が出来るようになった。
「こうして入ってみると、そんなに大きくなかったね。小さな頃はすごく大きな洞窟に見えたんだけど……私も大きくなったという事かな」
腰を落ち着けると、アポロさんは軽く笑いながらそう言った。普段と変わらないようにしてるけど、ずっとアポロさんを見ていた私には分かった。どこか様子がおかしい。
「アポロさん? ……震えてるんですか?」
「ああ、うん、ちょっと冷えたかな」
霧のせいでひんやりとはしていたけど、洞窟に入ってからはその寒さも落ち着いたものだ。寒さに震えているとは思えなかった。
「……アポロさん?」
私は腰を浮かせ、アポロさんに寄った。ご自分の腕をこすり合わせていたアポロさんは、違和感を感じている私に観念したかのように、自嘲気味に笑った。
「滅んだ故郷に居るっていうのも、気持ちのいいものじゃないからね。明るければいいんだが、暗くなるとどうしても……嫌な事を思い出す」
私から視線を外したその横顔がいつもの精悍さを残しておらず、私の胸は一気に締め上げられた。気丈にされていたけど、やっぱり辛かったんだ!
「だ、大丈夫ですか、アポロさん!? そうだわ、今日はもう帰りましょう? 私、ルーラ使えますから!」
「大丈夫だよ。それに調査がまだ終わっていない。君の試験が延びてしまう」
「そんなの今じゃなくてもいいんです! こんなに辛そうなのに、私の事なんて気になさらないで下さい! ……もしかして、辛くなるのが分かっていて、無理して来られたんじゃないんですか……?」
「そんなんじゃない。本当に自分が適任だと思ったから志願したんだ」
そう言っていつものように笑おうとするアポロさんがすごく痛々しくて辛そうで、私は目の奥が熱くなるのを感じた。無理に口角を上げようとしているけど、その端は細かに震えていたし、身体を包むように押さえている手はいまだに腕から離れられない。こんなアポロさんを見るのは初めてで、私はどうしたらいいんだろうと軽く落ち着きを失っていた。膝立ちのまま、おろおろと右に左に揺れるしか出来ない。だけどどうにか頭を回し、私は一つの案をひねり出した。
「あ、あの……! 決して、決して変な意味じゃなく! ただこういう時って、その……人肌が心を落ち着かせるとかなんてよくあるし、ハグぐらいなら挨拶の意味にも取れるし、ええと、その、つまり……どうぞ!!」
私は両腕を広げて差し出した。恥ずかしさに俯いて、アポロさんがどんな顔をしてるのかも分からない。
アポロさんの苦しみを取り除くなんて今の私には出来ないかもしれない。でも少しでも救ってあげたくて、ただ背中をポンポンって叩いて落ち着かせてあげたくて、私は腕を広げた。
「……」
羞恥に茹だりそうになりながらも、必死になって広げ続ける。だが永遠にも感じる長い時間の中、アポロさんの呟きが届いても、身体は届かない。私は取り残されたように感じていたが、一度広げてしまった腕を引っ込める事もなかなか出来ずにいた。
すると、ようやく両手に人の肌が触れるのを感じられた。が、安堵を感じたのも束の間。アポロさんの手は私の両手を取るとゆっくりと下ろし、そして膝の上へ着陸させたのだ。何だか分からない私はアポロさんを見上げる。すると弾かれるように乱暴に、視線を逸らされてしまった。
はしたない女だと、引かれてしまったのかしら。
私は恥ずかしさと後悔と恐怖に、腰から崩れていきそうに感じた。全身の細胞が冷え、芯はポッカリと空洞が空いている。息を一つするたびに身体が凍えていくようだ。
「気持ちはありがたいが、やめておこう」
私の目を見ずに紡がれる、いつもよりワントーン低い声が、どれだけ私に対して嫌悪を感じているかを痛感させられる。私は悲しくて恥ずかしくて、双眸とその周りが火傷しそうに熱く感じる。視界はプールの中で見開いて見るよりもぐにゃぐにゃだ。
「ご、め……なさ……!」
泣いてはいけないと分かっているのに、声を出せば震えてしまう。みっともない声にアポロさんは驚いたようにこちらを向いた。
「ち、違うんだ! 今の私は何をするか分からないんだ!」
少し困ったような顔がいつもの彼らしくて、どこか安堵した私は気が緩み、涙腺までも緩んでしまった。止められなかった涙が滝のように流れ零れる。
「な、泣かないでくれ、」
「ごめ、なさ……! あの、これ、別に、ヘンな涙じゃなくてぇ……!」
「いや、私の方こそ嫌だっていう訳じゃなくてだな! むしろ、その…………ハグぐらいで済ませられる自信がないんだ……ッ!」
絞り出すような声のアポロさんとその言葉に、私は一瞬呆気に取られてしまった。が、すぐに滝の涙は再び落ちだした。
「い、いいです!」
「バカな事を言うもんじゃない!」
私は素直な気持ちを言葉にしたが、すぐにアポロさんの怒号で返されてしまった。だけど私はもうひるまなかった。
「本当です! アポロさんが望むなら、苦しくなくなるなら……私、いいんです!」
「……やめなさい。自分を大事にするんだ」
アポロさんは分かりやすく抵抗を表すように、顔を真横に背ける。私は縋り付くようにアポロさんの肩に手を掛ける。必死に縋り付いてる姿はみっともないかもしれないけど、今、アポロさんの本心がちらちらと見え隠れしている。それを今手放したら、この先もずっと見せてくれないような気がした。私は無我夢中で手繰り寄せようとする。
だけどアポロさんは逆に私の肩を掴んで、神妙な面持ちを見せた。
「いいかい、。私は……君を大事にしたいと思っている。決して悲しませるような事はしたくない。――なのに今は、このどうしようもない不安から気を紛らわせたくて、正直……君の身体に縋りつきたくて仕方がないんだ……! 君を汚してしまいそうで怖い! 汚したくないんだ! だから……お願いだから、私から少しの間、離れていてくれ……!!」
そう言って、やや乱暴に私の肩を突き放した。だが私は、尻餅つくかつかないかのところで身を翻し――こんな時に戦士らしく身体が反応しちゃうなんて可愛くない! ――アポロさんに飛び掛った。跳ね除けたと油断しただろうアポロさんの身体は、あっという間に私に組み伏せられてしまった。
「……っ!!」
顔を真っ赤にしているアポロさんに馬乗りになって、私は泣きながら見下ろした。
「私は、構いませんっ! アポロさんになら捧げるつもりでいたんです! だから……だから、助けを求めて欲しいです! 欲しいものを口にしてもらいたいです! アポロさんになら何だってしてあげたいの! だって私……アポロさんが大好きなんだもん!!」
アポロさんの胸の辺りに私の涙が吸い込まれていく。見下ろしたアポロさんの顔はこれ以上なく紅潮していていた。
「無理してお日様の方向を向かなくてもいいじゃないですか! 雨の日だって、凍える吹雪の日だって、先が見えない霧の日だってあってもいいじゃないですか! 私はそのどの日でも、あなたと過ごしたいの……!」
その言葉を最後にして、限界だった。私はアポロさんの胸に崩れるように顔を伏せ、咽び泣いてしまった。
私の揺れる肩と同じぐらい弾んでいた、厚い胸の下の鼓動が、泣き声と共に落ち着いてきた頃、私の髪を優しく撫でる手の感触を感じた。初めて私に触れてくれたその手の動きは、どこまでも優しく慈しみに溢れている。
「……」
胸の奥からと頭上から響く声。私は思ったの。やっぱりこの人が好き。でも愛しさを伝える術が、私にはこれ以上見つからない。どうしたものかと思っていた時、アポロさんは私の身体と一緒に半身を起こした。目の前のそのお顔は、もういつもの笑顔だった。そして私の額から髪へと手をなぞらせると、軽く私の頭を引き寄せ、額にキスを落としたのだ。
「ア、ポロさん……」
いまだに額に残る柔らかな感触を感じながら、私はアポロさんと目を合わせる。
「好きだよ、」
胸の奥のさらに奥。どこかのど真ん中に電流が走った。
「なのに、情けない姿を見せて悪かった。君の前ではもっとしっかりしていたかったのに、ハハ、格好悪いね」
「そんな事ないです! お日様は翳る事も沈む事もあるけど、雲の向こうはきっと晴れだわ」
そう言って微笑んだ私を、アポロさんは抱き締めてくれた。少し強く、とっても優しく。
私はパプニカの風になりたい。
パプニカの太陽を隠す雲も霧も吹き飛ばす、力強い風になりたい。この時、心からそう思えたの。
私の行く先を照らしてくれるアポロさんはやっぱり、お日様なんだと思うわ。
(2008.11.26)
原作1年後設定で。
アポロの家族:養父(パプニカの臣下の一人)という垂涎モノの公式設定を使って、いつか書きたかったのです……!もうそれだけで野望達成。
リクエスト下さった方々、ありがとうございました!