、ここに居たんだ」
「ダイじゃない、どうしたの?」
 は書類の上を進まなくなったシャーペンを指先で転がしながら、生徒会室の入り口に現れた少年へ向けて顔を上げた。少年はあどけなさが大いに残る笑顔で、の座っている机まで歩み寄る。そして覗き込むようにして、その笑顔をの目の前へ広げた。
に会いに行ったのに、いつもお昼食べてる中庭のベンチに来なかったからさ。探しに来たんだ」

 最近、自分の何を気に入ったのか分からないが、この少年は仔犬のように纏わりついてくるのだ。
 戸惑いはしたものの、別段悪い気はしない。純真なその笑顔は見ていて癒されたし、一緒にいる時間は楽しかった。多分一時的な憧れだろうと、はダイを好きなようにさせているのだが……ただどうも最近、少し違うような気がしてきた。
「放課後の会議までにこの資料を作っておかないといけないの。会長ったら朝一で急に頼むんだもの、休み時間は全部コレにかかりきりよ」
 は去年の体育大会のタイムスケジュールを確認する為に、席から立ち上がり資料棚へと向かう。
「え、じゃあお昼も食べてないの?」
「そうよ」
「ふーん。生徒会って大変なんだね」
 ダイは後頭部に両手を当てながら当然のようにについて行き、そして当然のように隣に並ぶ。整然と並ぶファイルの背表紙の前で指を彷徨わせながら、は口を開く。
「そうよ。だから中等部一年のあなたは早く教室に帰りなさい」
「また子ども扱いする」
「16の私から見たら子供じゃない」
「おれの気持ち知ってるくせに、ひどい事言うんだね」

 急に色の含んだ目で見てくる。
 はこの目が苦手だった。自分より低い身長で見上げてきてるはずなのに、有無を言わさない王者の如き威圧感から、確実に見下ろされているように感じる。何かが違う、と感じたのはこの目を見てからだった。
 「友達」とは違う温度の篭った目で見られると、大した恋愛経験もないには、言い知れぬ不安を掻き立てられる。だがそれを年長者のプライドから面に出すわけにもいかない。は精いっぱい顎を上げ、矜持を保とうとした。
「子供にはキョーミないの」
「それ、目を合わせて言わないんだよね、って」
 言えるわけあるか。は思った。
 今もこうして資料棚から取り出したファイルを手にして視線を落としているが、内容はちっとも頭に入ってきやしないのだ。資料棚に向かい合ってるの横に、寄り添うように横にいる少年が気になって仕方がない。大きなブラウンの瞳を真っ直ぐにこちらに向けているのが見ていなくても分かる。今はまだそれを受け止める確信も自信もない。は自分の中の何かを守るように、頑なに顎を上げ続ける。
「おれ、を満足させられる自信あるんだけどな」
「どこからそんな自信が湧いてくるのよ」
 到底、中一のセリフとは思えない言葉に訝しんだ目を寄越してやるが、それは間違いだった事に気付いた。ダイは目を合わせてくるのを待っていたかのように、存分に熱を湛えた瞳での視線を迎えた。は言葉を一瞬失って、その美しい瞳に捕われてしまった。
 そのたった一瞬だけで、ダイはとの距離を詰める。そして眼前で薄っすらとした唇に妖しげなカーブを描いてみせた。
「いいの? 自信の元を実践して」
 そう言って顔を寄せてくる。いつの間にか壁に追いやられていた事は、背に感じた硬さで気付いた。壁とダイに挟まれた事をようやく理解すると、逃げ場を探さんと慌てて視線と手元を無駄に泳がせる。無意識に彷徨わせた手がどこかに当たった事などには、今のには気付けるわけもなかった。
「ちょ……やめ……!」
 唇に触れないまでも、ダイはの形のいい顎の辺りにうっすらと唇を這わせる。その微かな熱がの身体を震えさせた。まだ柔らかい唇は若さを感じさせたが、壁に押さえつける力は男のものそのもので、困惑に頭の中が真っ白になっていく。振りほどかなくてはいけないはずなのに、上手く機能しない自分の頭と身体で出来たのは、抵抗の声を絞り出す事だけだった。
「ダメ、だってば……!」
 だが震えるその声に、ダイの動きを煽りはしても止められるはずがなかった。の首筋を己の頬で撫でるようにして、顔を埋めた。
「あ! バカ! リボン取らないでよ!」
 埋めたうなじから立ち上るの甘い香りに、無意識に制服の胸元を飾るリボンに手が伸びていた。ダイはに言われてそんな自分の行動にやっと気付いた。
「私、付き合ってからじゃないと、こういう事するの嫌なの……!」
 性急すぎたか。言葉に少し怒気が含まれてるのを感じ、ダイは首筋から顔を上げる。
「じゃあやっぱり、おれたち付き合っちゃえばいいじゃん。の口だけだよ、強情なの。ここはもう真っ赤なのに」
 の頬をダイの中指が滑る。
「や……! 触らないでよ……!」
 これ以上は本当にマズイ。
 は頭の中でけたたましく鳴る警鐘を後押しに、精いっぱいの勇気を振り絞って、手の中のファイルでダイの胸元を押し返した。そして自分に言い聞かせるように大きな声で怒鳴る。
「ダメって言ったらダメ! 子供じゃないなら聞き分けなさい!!」
「ちぇー」
 ダイもこれ以上は無理だと悟ったのか、未練はたっぷりあるもののから離れた。せめてもの主張に唇を突き出して見せる。
 また同じような事をされても次に拒みきれる自信はなかったは、牽制の意味を込めてダイを突き放す事に決めた。
「それに私、甘えられる年上がいいもの! もうね、どれだけ甘えても受け入れてくれるすっごい年上!」
 そっぽを向いたのは、嘘を吐いてる目を見られたくないから。ダイにはそう分かっていたが、乗ってやる事にした。「子供」じゃない自分を演出しないといけない事は、どう足掻いても年下の自分には、これからの隣にいる為には必要だと思ったからだ。そんな自分の気持ちなど、きっとには分かっていないんだろう。何だか上からあしらっているようで、ダイの自尊心を大いに刺激する。その余裕から今日は見逃してやる事に決めた。
「ふーん、すっごい年上ね。……アバン先生みたいな感じ?」
 大きな目を零れんばかりに見開いて、は振り向いた。あんぐりと口を開いてしまっているのにも気付いていないほど、ダイの言葉に驚愕していた。
「いやーよ! 冗談じゃない」
「そう?」
「あんな大きな子供、見た事がないわ。この前、掃除の時間にホウキを使って自分の名前を付けた必殺技を繰り出してたらしいわよ。自分がいくつだと思ってんのよ、あの人」
「知ってる。その技、おれ習ったもん。ガラス割って二人で教頭のハドラー先生に叱られた」
「中一と同レベルって……」
 は痛みそうな額を押さえた。ダイは快活な笑い声と共に頭を掻く。
 二人の頭はもうすでにおしゃべりの方にシフトしている。先ほどまでの甘い雰囲気はどこかに吹き飛び、おしゃべりの方に熱が篭ってしまうのは若い証拠か。
「でも先生、昔モテたらしいじゃん」
「ブイブイ言わせてたらしいわよ。「カール町2丁目の勇者」とか呼ばれて。でもその昔、カノジョにあげたプレゼントが自作の歌入りカセットだったとかってどうなのよ! 有り得ないでしょう!」
「おれは色んな動物が延々とあくびしてるビデオだって聞いたけど」
「それは13人目の彼女でしょ。ある筋じゃ、デートに幻の蝶々を見るんだってチベットの山奥に連れていかれたんですって」
「ああ、その人知ってる! しかもその後、ユーラシア大陸横断しつつイギリスで怪奇現象を追ったんだってさ。その間3ヶ月だって。もうデートじゃないし! もちろん帰ってきた途端に殴られたらしいよ。その時のセリフが『世界中の神秘も幻も、女性の謎には敵わない』なんだっ……」

「そこまでです!!」

 ドアが大破しそうな音と共に入って来たのは、肩を上下させて憤怒の表情を浮かべている、アバンその人だった。
「やはりここでしたか……!」
「「げ! アバン先生!」」
 アバンはダイ達が見た事のないような真っ赤な顔のまま、肩を怒らせて床を踏み抜く勢いで詰め寄ってきた。その鬼気迫る表情に、二人は思わず身を寄せ合う。
「今のあなたたちの会話は全っっっ部! 校内に筒抜けですよっ!」
 そう言って部屋の隅の、カーテンの陰に隠れている灰色の四角い機械を指差した。
 生徒会によくいるですらもその存在を忘れられているほど使われていなかったそれは、白い綿埃をこんもりと乗せた放送機だった。そうか、前に生徒会の皆で遊んでいた小さな鉄琴は、この為の物だったのか。はピンポンパンポンピンポンパンポンかき鳴らしていたあの時を悔いた。
 放送機は幾年月ぶりの役目を誇らしげに担うように、赤々と「放送中」のランプを点灯させている。ダイとはそのランプを見て顔面を蒼白とさせた。
「放送室にいるかと思って急いで止めにいったらいないわ、まだ話は続いてるわ、探してる途中に廊下の生徒には笑われるわ、意味深な目で見られるわ……! ようやく生徒会室にも機械がある事を思い出して、急いでここに来たんですよ!!」
 この機械に近付いた時にスイッチが入ったのだろうが、その時から漏れていたとしたら、会話の終始のほとんどは学校中に流れていたのかと気付いた。アバンの話などは正直どうでもよかったが、自分達が交わしていたささやきまでが聞かれていたと思うと、驚愕と恥ずかしさに二人は頭が沸騰しそうに熱く、身体の芯が凍るように冷えるといった不思議な感覚に襲われた。
「全く、壁に耳あり、とはよく言ったもんですね。どこで誰が聞いてるか分からないんですから、無闇に人の過去を話すもんじゃありませんよ! それに私は殴られていません! お土産のペナントを投げ付けられただけです!!」
 その目の真剣さから自分が何を言っているのか分かっていないんだろう。聞いているダイとでさえ宥めるようにこくこくと頭を上下させるしか出来ない。目の前の迫り来る恐怖に、縋るように二人が合わせた手を、アバンは目敏く見遣った。
「あと異性交遊も、多少の年の差も止めはしませんがね、良識ある健全な男女としてのお付き合いを前提にしなくてはいけませんよ!! ボディタッチなど百年早いっ!! 若い学生のあなたたちが送るべき青春は、清く、正しく、美しく、明るく、楽しく、それでいてほんの少しの甘酸っぱさであって……!」

 その後もお説教と、しばらく学校中でネタにされるであろうアバンの偏った恋愛感も、そのまま実況中継で流れ続け、アバンはお昼の校内を大いに賑わせている事には気付いていなかった……。
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(2008.8.22)
一番、難航するかと思われた所から手を付けるとか、自分どれだけMなんですか!
副題「ダイ様の大暴走」というくらい暴走させてしまって申し訳ありません。久しぶりに書くと、塩梅が……その……ね?ハハ……(乾いた笑い)まさか初めて書くダイ様が一人歩きするタイプだったとは……。書いてみないと分からないものですね。
それにしても、アバン先生がとんでもない ダ メ 人 間 (^^)

リクエスト下さった方々、ありがとうございました!