暁の姫
まだ日に暖められていないひんやりとした空気が頬を撫でる。
深く吸い込めば澄んだ空気が肺を満たし、朝焼けの美しい赤に目を細める。
暁の姫
夜明けと共に目覚めてしまい、幾度ベッドを転がっても再び寝付く事が出来なかったは、寝る事を諦めて部屋のベランダに出ていた。
小鳥の目覚めの声が聞こえてきたが、ベランダから見下ろすパプニカ城内は未だ人影もなく、寝静まっている。
は最近、眠りが浅かった。
戦いの後の高揚感と興奮、そしてダイの行方を案じて、心の底から休息を取る事は難しかった。心身ともに限界までに酷使された身体を元の体調に戻すには、一週間ではまだ足りないのは仕方の無い事だろう。
こうして夜明けまで眠れただけでもよしとしよう、そんな事をが思っていた時だった。
視界の端に異様な色が動くのを捉える。
今見る風景に似つかわしくない色。
黒。
それを全身に纏った人影が数人、歩いて行くのが見えた。
「……レオナ?」
同じく全身に墨を被ったような黒色の衣服を纏った三賢者を伴い、その小さな団体は静かに歩いて行く。こんな早朝に黒服でどこへ行くというのか。
その異様さには疑問を感じ、思い切ってレオナに尋ねようとベランダを飛び出した。
この早朝に目立つ彼らを見失う事はなかった。
後をつけて辿り着いた先は、場所と存在を知っていたがが今まで来た事がなかった、墓地だった。
パプニカ城のはずれにあるこの墓地は、城内と同じように丁寧に手入れされており、墓地でありながら不浄さや不気味さは感じない。庭園のように清浄な空気が満ちていた。
さほど広くない上に、視界を遮蔽するほど大きくない墓石である為、レオナたちの姿はすぐにわかった。四人はある場所の前に着くとその足を止めた。
は恐る恐る声をかける。
「……レオナ? こんな時間に何してるの?」
思いもよらなかった人の出現に驚いたであろう四人は一斉に振り返った。
「ああ、ビックリした! か」
「私もビックリしたよ」
見せてくれる顔は、満面とは言わなくても少し笑顔を見せ、嫌がってる風ではなかった事には幾ばくか安堵する。もし触れてはいけない秘密の会合とかだったらどうしよう、などとヘンな想像もしたものだ。しかし彼らの表情がいつもとは違う硬さを含んでいた事には、まだ不可解さを拭えない。
「こんな時間に何してるの? もしかしてそれって……」
はそう言いながら彼らの黒服に視線を落とした。レオナはのその視線から意を汲み取り、応える。
「ええ、喪服よ。これから弔いをしようと思って」
「弔い……?」
真っ黒な衣装に墓地。
それは少し考えれば当然の事かもしれない。だが夜明け間もない早朝という時間、そして接した事のない行事に、今ひとつ現実味を感じられなかったは呆けてしまう。
そんなにアポロは助け舟を出す。
「パプニカ国王のお弔いです。……つまり姫様の父君です」
「……!」
その言葉に急に現実味を帯びる。
家族が亡くなった。
この張り詰めた悲しい空気が何であったのか、はようやく重過ぎるほど納得が出来た。
「レオナのお父さんが……そうだったの……」
「……魔王軍に襲撃されたあの日からずっと行方不明で、これまで安否を確認できなかったの。でも先日、護衛に当たっていた戦士の遺体が見つかってね。父上は見つけて差し上げられなかったけど、これを機会に捜索を打ち切ったのよ」
魔王軍。
それはヒュンケル率いる不死騎団に他ならない。
は思わずレオナを見やるが、レオナと視線は交わらない。淡々と語るレオナにの方が口数を無くしてしまう。掛ける言葉を考えあぐねている最中に次の言葉が紡がれ、はジッと十字架型の簡単な墓石を見つめるレオナを見ているしかなかった。
「ここ最近、肺を患っておいででね、元々永くはなかったの。覚悟していた矢先の事だったから…………。仕方なかったのかもね……」
「レオナ……」
「国葬を営んで差し上げたかったけど、今は魔王軍を打ち破って国中は喜びと復興への希望に沸いているもの。そこへ水を注せないわ。やるならもうしばらく落ち着いてからだし……。だからせめて私だけでも墓前に立ちたくて、こうして人に目立たない時間を選んで来たという訳」
依然、淀みなく語るレオナの唇は、震えていた。その手も強く握り締められている。
それを見て、は息が詰まり胸を握りつぶされる思いがした。
戦いが終わったと同時に愛しい小さな恋人もその行方を知らない。
世界が喜びに包まれる中、レオナはダイの身を案じ、父の死を享受し、寝る間もなく国の復興に努めなくてはならない。愛しい人のもたらしてくれた平和を二人で噛みしめる事も出来ず、その喜びに共に浸る家族もない。その喜びを素直に受け止められなくても仕方ないほどの事のはずであった。
なのに若き国の指導者として率先して勝利と幸せを謳わなくてはいけないのだ。
悲しい、辛い、逢いたい……。
口をついて出そうなそれらの言葉は、唇を真一文字に結んで必死に押し留める。
凛と前を見据えるレオナの横顔は、強く、強く、そして悲しかった。
はレオナの手を取った。
握り締められ、きっと小さな傷がいくつもあるのだろう、その白く美しい手を。
あまりにも辛すぎる為、はその白い手の平を見ることは出来ない。ただ固く閉じられた拳をほどき、自分の手と合わせた。急なの行動にキョトンとするレオナ。だが手を見つめるの目は、至極真剣だった。
「泣いても、いいんだよ?」
手が、震えた。
視線を手からレオナの顔へ移す。
すると、今にも崩れそうな儚い笑顔が見えた。
「……そう思う?」
大きな瞳に湛えられた涙が震える。
「泣いてお父さんに会えなくなって寂しい、悲しいって言ってあげなよ。きっとレオナの声が聞きたがってる。娘が自分に会いたいって呼ぶ声を聞きたいと思ってる。それを嫌がる親なんていない。今、この場で、それを我慢する必要もない。耐えて耐えて……そこには何もないもの」
「……そう……だよ、ね……」
レオナはゆらりと墓石へ向き直る。
は取った手を外し、三賢者と静かにその場を立ち去った。
四人の足音が聞こえなくなるのを待つ事もなく、レオナは声もなく頬に涙を伝わせながら、主のいない墓石を抱きしめた。
「ありがとう、」
墓地の入り口を過ぎたところでアポロはに笑みと共に話しかけた。
「え? 何がですか?」
急な謝礼の言葉に思わず歩を止める。
「のお陰で姫様は国王に心からのお別れが出来た。私達だけではきっと……いつもの気丈な姫様のままでおられただろう。それは、姫であるからといってあまりにも寂しいものな」
アポロのその言葉には少々驚いた。もっと固い人だとばかり思っていたのに、思ったよりずっと暖かな声色には安堵した。
「良かった。出過ぎた真似をしたかとちょっと心配してたんです」
釣られて笑みをこぼす。
「私からもお礼を言うわ。国王の葬儀を執り行うだけでもお辛いでしょうに、重ねてダイ君の事で心痛はいかほどのものか……。臣下の私達にはそれを決してお見せにならないから、分かってはいても私達は触れる事が出来なかったの。でもの言葉で素直な気持ちで国王に最後のお別れをさせて差し上げられた。私達も心残りがなくなったわ。ありがとう、」
マリンにもこんなに感謝の言葉をもらえると思ってなかったは、急にこそばゆくなる。だがその言葉が心底からの正直な気持ちだという事はよく分かっていた。
「い、いえ、そんな……! ただ私は……レオナの友達としてあんな風に拳を作って欲しくないだけ……。あの子にはもっと緩く……そう、王家の宝の錫杖でも握って、民にあるべき正しい方向を指し示すだけしていて欲しいの。あの白くて美しい手に傷なんて作らせちゃいけない。あんな手の握り方なんてさせちゃいけない。あんな泣き方させちゃいけない……!」
先程のレオナの横顔が思い出され、思わず胸が詰まる。
「……」
「……私、ダイを必ず見つけてきます! 女の子を置いていく事の酷さを切々と教えてやるんだから……! 首根っこ捕まえて必ずレオナの前まで連れて来ますから、それまでレオナの事よろしくお願いします!」
「ああ、我々にはお側にいることにしか出来ないが、せめて命がけでお守りするよ。だがダイ君を早く連れて帰って来てくれ。きっと姫様の暇つぶしに振り回されて我々の身が持たん」
悪戯っぽく、でも気持ちのいい笑顔を見せる。どうもはこのアポロの笑顔に釣られてしまう。どこかダイに似てるなぁ、なんてポツリと思う。
「エイミもダイ君を探しに行くんだったわね」
「ゴメン、姉さん、アポロ……。勝手ばかり言って……」
「いいわよ、貴女らしいもの。それに人が多い方が早く見つかるものね。早く見つけてくれないとアポロの言うとおり、私達倒れちゃうわよ」
マリンの赤い唇が美しいカーブを描く。
「二人とも、よろしくね」
「ええ」
「はい」
は空を見上げると、先程よりも幾らか高く昇る太陽の眩しさを受けた。その眩しさに目を細める。
「レオナにまだ日が昇っていないんだもの……。早く太陽を連れて来ないとね……」
誰に言うともなく、は呟いた。
願わくば
仄暗い暁を彷徨うかの姫に、陽だまりの様な笑顔が降り注ぎますように
夜が 明けますように
(2006.7.3)