孤高の魂

 朝。
 目を覚ます。

 聞こえてくるのは小鳥のさえずり。

 目に飛び込むのは鮮烈な青、緑、黄色。


 あれから1週間。最初は起きたら身体が悲鳴をあげていた、地面に簡単な布をひいただけの簡素な寝床にもだいぶ慣れてきた。それに景色の色鮮やかさの正体もわかってきた。自分ががいた世界には実に様々な色が飛び交っていたのだと気付く。洋服、広告、街の全て。一目見た視界の中には一体、何色存在したのだろう。
ここでは目に飛び込んでくるのは視界いっぱいに広がる空、森、太陽。
 純粋な一色が起きぬけの脳裏に焼き付く。

 さぁ、起きよう。覚めぬ夢を夢見る為に。





孤高の魂





「おはようございます! アバン先生!」
「ああ、おはよう。
 近くの川で顔を洗ってキャンプ地に帰ってくると、少し前に私たちの前に現れたこの異世界の少女が、朝から元気に挨拶してきた。
「ポップったらまだ熟睡」
 一体どんな夢を見ているのだろう、この幸せそうな寝顔で、とポップの顔をのぞいている。
「まだまだ起きませんね、この調子じゃ」
 この件ではすでに呆れ気味の私は軽くため息を吐く。突付いても諭しても彼の睡眠を阻む事は出来ず、彼はだいぶ昇った日しか見た事が無いのではないかと思うほどであった。そんな私の心の呟きを知らず、はおもむろにポップの敷き布に手をかけ、寝ていたポップごとひっくり返したのだ。
「それ起きろーー!」
「ぅわっっ!!」
ゴロッ!ゴロゴロッ!
 寝ている状態からいきなり転がされたのだ。これにはさすがのポップも起きざるを得ないだろう。擦りむいたのか鼻を押さえながらムクリと身体を起こし、眉を吊り上げた。
「イッテー! 何すんだ、! 寝てんだから起こすんじゃねぇ!」
「それだけの元気があったら修行始めたら?」
「うぐっ」
 ポップは二の句も告げられない。くるりときびすを返すとはもう走り出していた。
「私、朝ごはん探して来ます!」
 もうその姿は小さくなってる。昨日朝食の取り方を教えたところだ、一人で調達してみようと思ったんだろう。

「朝から元気だなー」
「ふふっ本当ですね」
 もう完全に起こされてしまったポップは頭をガシガシと掻きながらを見送った。朝からくるくると忙しい少女に私たちは翻弄されている。だが毎日がにぎやかになって、ポップも同い年ぐらいの仲間が出来て満更ではないようだ。友達とまだ楽しく笑いあっていられる年頃なのだから当然だ。それはにしても言えることだ。
が来て一週間……。ポップは急に違う世界に飛ばされてきて一週間で、あんなに元気に振る舞えますか?」
「ムリですね。おれには出来ない」
 ポップは即答する。
「私もきっとそうですね……彼女は……強いですね」

 私が気になっていたのは他でもない、この事なのだ。家族も友達もいない見ず知らずの世界に来て平常な精神を保っていられるものなのだろうか。
 は一度も取り乱した事はない。眠りから覚めた時には現状がわかっていないようでキョトンとしていたものだが、その時も自分の名を名乗り私たちの名を尋ねた。そしてぽつりぽつりとここはどこなのか、私たち二人はここで何をしているのかなども尋ねた。答えを理解できたのかできていないのか、わからぬままにふらりと立ち上がり、木々の間から見える景色を微動だにせず見ていた。

 今でも覚えている。
 2、3分したぐらいだったろうか、私は声をかけようか迷っていた。ポップに突付かれ、いざ、さん? と声をかけようとしたところだった。

 はゆっくりと振り返ると寂しい瞳で にこり と笑ったのだ。

 そして
「わかりました」
 とだけ言った。

 途端に堰をきったように私は話し始めた。
 貴女も私たちと一緒に来ませんか? 帰れるヒントが見つかるかもしれない、その間この世界の事を教えてあげます、はは、賑やかな方が楽しいですしね、大丈夫、きっと大丈夫ですよ。
 は急に喋り始めた私に少しビックリしたようだったが
「はい、お願いします」
 と言って、小さく腰を曲げてお辞儀した。

 泣くのではないかと思ったのだ。

 の目には涙も滲んでいなかったのに、何故そう思ったのだろう。
 きっと大丈夫、なんて何を根拠に言ってしまったのだろう。

 第一、何が大丈夫なのだろう。



 そんな杞憂もどこ吹く風、はそれからいつでも笑顔になり、積極的にこの世界について質問し、理解しようと努めている。文字、慣習、歴史、概念……思いつくまま様々に質問してきたものだ。そして時々自分がいた世界の事を話す。まるで忘れてしまわないように力強くしっかりと。
「強いからこそ……辛い時は辛いと言って欲しいですよね」
「うん……。あれ、先生どこ行くんですか?」
 歩き出した私に、ポップは丸々とした目を向ける。
を手伝いに行ってきます」
 弾かれるようにポップが寝床から起きる。
「おれも行くー!」
「はいはい」



 遠くではあるがの姿を発見できた。は木の上に生っている果実を取っていた。
 ふと、果実をもぎる手が止まり、どこかに気を取られたのか一点を見つめはじめた。その木の下まで来た私はに声をかける。
「どうしましたか? ?」
「あ、先生、ポップ」
 私達に気付き、にこやかな顔をこちらに向ける。そして太く張った枝の一本に安定よく座りなおし、再度見つめていた方を向いた。
「ここからの景色、とてもいいんです」
「景色?」
 ポップと二人でよじ登りの言う方を見てみると、確かに開けた景色が目の前に広がる。この高さに上らないと背の丈ほどの草木に阻まれ、ここにこんな絶景ポイントがあるとは気付かなかっただろう。連なる山々と緑の平原から爽やかな風が運ばれてくるのも心地良い。
「キレイ……とっても…………キレイ……」
 つぶやくように繰り返すの瞳の見つめる先はこの景色ではない。
? 何か思い出しますか?」
 驚いたようにこちらを向き、大きな黒ダイヤの瞳とぶつかった。
「あ……うん……そうなんです」
 少し恥ずかしそうに笑い、また広がる景色に視線を戻す。
「すばらしい景色よね、だって空と大地がくっついてる」
「空と大地が……?」
「……くっついてる……?」
 不思議な表現の仕方に私達の頭上にクエスチョンマークが飛び交っている。
 そんな私達の表情にくすりと笑う。
「そうね、二人には分かりづらいかも。……私が住んでいた所は高い高い建物が、たくさんたくさん建っているの。地平線もなく作られた緑に囲まれて鉄と石の建物が空と分断している世界……。あ! もちろん世界中じゃないけどね、遠い国にはここから見える景色と同じぐらい美しい場所もあるのよ」
「ああ、それでくっついてると……」
 私は地平線を覆い尽くす見渡す限りの建物の景色を想像してみたが、なかなかリアルな想像とまではいかない。
「高いってどれぐらい高いんだ? 城よりでかいのか?」
「お城が見渡す限り建ってる! ってカンジかな〜」
「すげー!!」
 ポップは目をまん丸にして驚いている。確かにのいた世界は文明の進んだ世界なのだと驚かされる。
「……そこで一生暮らすんだと思ってたわ」
……」
  遠く遠く、やはり見えぬ故郷の方を見ているように、目を細めている。
 寂しい目だ。
 今にも震えて涙がこぼれるんではないかと思われるが、だが実際は瞳が震えることはなく、射抜くように真っ直ぐに見据える目だ。
 そしてくるりと振り返り花のような笑顔を見せてくれる。
「この雄大さに自分が小さく感じて、この一週間、心細さを何度も感じた事もあります。――でもね! だからって塞込んでるなんてあまりにも不毛だものね! 帰れないなら帰れるまで一生懸命生き抜いてやろうって決めたの! 先生は生きる術を教えてくれるって言ってくださったわ。それは今の私にとって一番必要なものなの。だから帰れるようになるまで生き残らなくちゃいけないんだもの、頑張って色々覚えないと!」

……驚いた。

 彼女は……は、寂しさに耐えるだけではなく、それを昇華できる力を持っているんだ。
 だから消え入りそうな寂しさに身を縮込ませる事も弱音を吐くも事もない。こうして微笑む笑顔は十五歳の少女なのに、耐えて、うつむきそうになる顔を精一杯あげようとする表情はひどく悲しく、美しい。


 この強くて美しい孤高の魂を護りたい……。

 この時、そう、思ったのだ。
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(2005.12.6)