嗤う月



 軽い足音が耳につく。

 ああ、これは彼だ。

 先月、毎日聞かされた足音だ。
 嫌でも分かるようになった。

 ひなは、膝の上の手を握りしめる。
 背筋を伸ばし、目を閉じると同時に深く息を吸い込む。
 そして心を武装するように、目を開けた。



「相変わらず暗ぇな、ここは」

 しゅっ、と廊下との間の障子を開け放つと、色素の薄い髪を乱暴に掻きながら沖田が入ってきた。
 ひなはゆらりと顔だけを向かせ、睨めつけるように見やった。その表情ににやりと口を歪ませる。
「こういう時は流行りの『お帰りなさいませ、ご主人様』だろ」
「……」
 ニコリともクスリともしないひなに、腰を落として顔を覗き込む。
「つれねぇな。こうして傷だらけになって来てやってんのに」
 自分の頬に貼られた絆創膏をチョイ、と指す。
「……頼んでない」
 ひなは視線を外し、ぷい、と横を向く。
 だが沖田はひなの顎を掴み、乱暴に自分の方へ向かせた。

「じゃあ頼みな」

 その凶悪な笑みにひなは息を呑む。
 しまった。
 そう思った時には遅かった。
「っや……!」
 触れてはいけない場所に触れてしまったと後悔し、逃げるようにひなはその手を払いのけようとするが、あっという間にその手首は掴まれ、その勢いのまま布団へ押し倒された。
「そのカワイイ声で泣いて頼みな」
 見下ろすその歪んだ笑顔に背筋を凍らすほどの恐怖を感じた。





 卑猥な水音と肉のぶつかり合う音が響く中、ひなは懸命に声を押し殺していた。
 喘げば彼を喜ばせてしまう。
 喜ばせてたまるか。
 それはこれ以上負けまいとする、なけなしの抵抗だった。
 だが少しでも気を抜けばたちまち快楽の波にのみ込まれてしまうほどの熱を穿たれ、ほんの少し口を開けば、飛び出すのは悲鳴にも近い嬌声だと分かっていた。布団を噛み千切るほど口に含んで耐え忍ぼうとする。まともな呼吸も出来ずに顔は真っ赤だ。飛びそうな意識を必死に掴んでいるのは、ほとんど意地のようなものだった。
「出さねぇの?声」
 上から降ってくる無機質な声。
「感じてないって言いてぇワケ?」
 目を合わせれば竦んでしまう。
 ひなはきつく目を瞑ったまま、こくこくと頷く。
 ほとんど無意識に。
「ふーん」
 沖田は重ね合わせるようにしていた上半身を起こすと、互いが繋がった場所がよく見えるように、 ひなのひざの裏に手を当てて大きく開いて露わにした。
 月明かりの元でも分かるほどぬらぬらと艶やかなな影を落とすそこは、思わず乾いた唇を舐め擦るほど淫靡だった。
「はっ。感じてんじゃん」
「違……ッ!」
 見られている驚きと抵抗に、ひなは思わず布団を口から外して否定の言葉を紡ごうとする。
「どこが。こんなに、ヤラシイ、音、出して、さっ!」
「っやぁ……! い、や……ッ! やぁ……だぁ……!」
 口を開いた隙を見逃さずに腰を激しく打ちつけた。先端から根元まで余す事なく使い、抉るように穿つと、ひなの口からついて出るのは最早喘ぎしかなかった。
 一度溢れてしまえば、もう抑える事など出来ない。
 喘ぐたびに蜜は溢れ、声の甘さと共に中は絡むように締め付けてくる。
「そうそう。コレコレ」
 満足げに微笑む沖田は繋がった部分を魅入るように見つめながら、より一層強く貫いた。
「んぁ! あ! あッ! っや……あ……ッ!」
 ひなは全身を襲う強烈な衝動に、シーツを握り締める。構わず攻め立てるリズムに頭の中が白くなり、ささやかな抵抗さえも吹き飛ばされた。
「見ろよ」
 屈められた身体で視線を固定するのは容易かった。
 ひなは自らの下腹部を言われるまま見つめた。妖しい光を纏ったそれは、本当に自分の身体に入っているんだろうかと疑いたくなるような質量で、一定のリズムで出し入れされる。その度に跳ねる水音が聞こえてきて、ひなは自分を貫くその楔を無感動に魅入った。
「やーらしい。俺のをこんなに咥え込んじまって」
 そう言いながら沖田も結合部を恍惚の表情で見つめていた。気に障る笑みを浮かべつつも眉間に刻まれた皺が余裕の無さを物語る。
 ひなはその表情を見て、身体のどこかが疼いた気がした。

 沖田は一度自身を抜き取った。
 急な休止に驚きながらも、ひなはここぞとばかりに息を整えようと肩を上下させた。その為、沖田がどこを見ていたかなど気付く事は出来るはずもなかった。
 息も絶え絶えなひなを起こすと、布団の上から引きずり移動させ、部屋の壁の方へ向けて四つん這いにうつ伏させた。そしてその細い腰を掴むと、無遠慮に後ろから突き入れた。
「ひアッ!!」
 急激な充足感にひなは俯いていた顔を上げ、喉を仰け反らせる。

 すると目の前に女の顔が飛び込んだ。
 ぎょっとし、思わず目を背けるが、それは紛れもなく自分だった。
「ちゃんと見ろって」
 深く突き上げる。
「ああッ!」
 再び喉を仰け反らせる為に前を向いてしまう。
 部屋に置かれたひなの小さな鏡台。
 そこには腰を掴んで律動する沖田と、四つん這いになって正面の鏡の中の自分と対峙するひなが映っていた。

 潤んだ瞳
 汗で頬に張り付いた髪
 紅潮した頬
 そして熟した桃のような色みで膨らんだ唇は、薄く開いていた……。

 いやらしい顔。
 睦事の真っ只中の女の顔だ。
 しばらくの間、これは自分ではない誰かじゃないかと思えた。
 こんなの、自分じゃない。
 こんな、いやらしい顔……。

 だが沖田が抽送を繰り返すと、その度に身体は揺れ、甘い悲鳴がその濡れた唇から飛び出す。自分が感じてる苛烈な衝動を忠実に体現してるのは、やはり目の前の鏡の中の女だった。

 これが……私……?

 そして鏡の中の沖田はその姿を唇を舐めずりながら、全て見ていた。
「……ゃあ……! い……ヤ……ぁ!」
 居た堪れない恥ずかしさにひなはかぶりを振る。そんなひなを諌めるかのようにさらに激しく腰を叩き付けた。
「あっ! あんッ! ゃアッ! ああッ!」
 正常位とは当たる所が違い、新たな刺激がひなのなけなしの思考能力を奪っていく。突かれる勢いに耐えるように、縋るように鏡台に手をかける。
 快楽に没頭しはじめたひなの身体は沖田を締め上げた。腰を引けば捕らえて放さないようにさらに奥へと引きずり込む。腰を動かさずにはいられないこの淫らな動きをするひなの身体に、沖田は歓喜に震える。
 さらに目の前の二人のひなが蕩ける瞳で見上げてくる。
「……すっげ……」
 ひなと繋がる中心から背筋に向かって電流が走る感覚を覚える。

「誰だ?」
 その質問の意図を測りかね、喘ぎながら熱に浮かされた瞳で鏡の中の沖田を見つめる。汗が滴り、いつもの余裕の表情はどこにもなく、どことなく苦しさが滲んでいた。ひなはそんな沖田の茶色の頭を抱いてやりたい衝動に駆られた。
「お前にこんな顔させてんのは誰だ……?」
「……総……悟……!」
「誰だって……?」
「総悟……! 総……ごぉ……!!」
 名を呼べば、高まる熱を抑えられないように溢れる涙も止められなかった。
 届かない頭に手を伸ばし、鏡に指立てる。
 鏡越しに絡んだ視線は身体の交わりと同じ熱を持って絡み合い、頂へ駆け上る背を押した。
「あっ! あぁ! 総悟ぉ……! 総……悟……! ああッ!!」
「ひな! ひな、ひな、ひな……ッ!」


 どんなに責め立てられても
 どんなに冷笑を浴びせかけられても
 切なく掠れる声で、達する前に必ず名を呼ぶ沖田を、ひなは憎む事が出来なかった。






 ひなを背中から包むように抱き留めながら、いまだ燦々と銀色の光を降り注いでいる月を見上げる。
「あそこに行こうかぃ」
 沖田の声にひなは抱き留められたまま、同じように夜半の月を見上げる。
「あそこの裏側に行けば、誰にも見られず二人きりだ」

「うそつき」

 抑揚の無い声が響く。
 ひなは振り返り、頭上の沖田の瞳を捕らえた。
 そしてはっきりした唇の動きで言った。
「そんな気 ないくせに」
「どうしてそう思う?」
「誰かに見られてこそ、あなたは満足して悦ぶのよ」
「……違いねぇ」
 くくっという低い笑い声がすぐ近くのひなの耳を掠める。
 それを聞いてひなの唇も薄くカーブを描いた。



 沖田は、思った。

 捕らえてるつもりで、本当は自分達の方が捕らわれてるのかもしれない。

 あの月はひなのしもべ。

 俺たちを逃さない看守。

 眩しくも妖しいその光は麻薬のように、俺たちを決して逃しはしない。

 哀れな羽虫のような俺たちは、その光に目を焼かれ、小さな羽根が焦げ付く。

 だがそれが羽虫の本能。

 目が潰れ、羽がもがれても、その光を欲する。



 哀れで  醜い  捕らわれの  羽虫
/ Top /


あとがきへ