あかいいと 4
カールから北東のコルネイの地まで、重種馬の蹄の音が地鳴りのように響き渡る。重く、地を割らんばかりの行軍は夜を徹して行われ、説明にあった通り磁場の狂いを考慮した道程で、迅速且つ順調に目的地まで詰めている。カール騎士団団長バルフは、先頭で馬を駆りながらこの火急の命に考えを巡らせる。
勅命と同等の権限を持つ、このカール騎士団門外不出の秘密の暗号『緋色変事の句』を知っているなど、一体誰の仕業なのだろうか。これは問答無用で騎士団長下の第一隊を派兵させられる、裏技中の裏技だ。発動されたことなど騎士団長を務めて八年になるが一度もない。自分が騎士団に入団してからの記憶ですらない。
存在の噂すら上らなかったこの発令を、古参の団員と騎士団長就任時の修学でさわりだけ学んだバルフだけが辛うじて知っていた。何事かと急ぎ調べ、退役した元騎士団団長スイロン氏にまで足労願い、知恵を拝借した。スイロン氏の見立てでも、騎士団規範を見ても、これは迅速に発動されるよう、正規の手続きを滞りなく済むように段取り良く用意されていた。書類の不備もなく、書式も踏まえる口上も完璧だ。これは騎士団に在籍し、尚且つその深部にまで熟知している者の仕業だとしか思えない。そして彼の者は我ら騎士団の力を求めている。しかもこの書状にあるには、かの勇者の名を騙る不届き者がいるというではないか。満場一致で出立の決が採られた。
カールの城下門をくぐるまでに二時間。騎士団規範にある発動から出立までの期限ギリギリだ。バルフはお咎めを受ける心配を一つクリアし、鉄兜の奥で嘆息を吐いた。だがまだまだ遵守せねばならない規律は山のようにある。バルフはこの『緋色変事の句』を発令した者に、一言言ってやらねば気が済まなくなっていた。
一昼夜駆け、どうにか着いたコルネイの地はただ事ではない雰囲気に包まれていた。北の屋敷を、武器と松明を片手に人々が取り囲んでいる。屋敷の前で見るからに人相の悪いごろつき達が、人々に向かって悪罵を投げつけている。すでに一触即発の状態だ。
そこへバルフが蹄の音と共に名乗りを上げると、たちまちごろつきどもは四散していった。バルフは追っ手を掛ける。
屋敷に押し入ると、その異様さに顔をしかめた。鉄と死臭の混じった一番奥の部屋には、モンスターの死骸と伸びたフロッガーのような男。窓の下でも男を一人取り押さえた。一体何があったのかと思うが、何もその状況を掴み取れない。帰還し、この者どもに詳しい話を聞かねばなるまい。バルフは部下に護送の準備をさせ、一息吐くと辺りを見渡した。屋敷の外に、村人だと思われる者が数人集まっている。
「何? 見当たらない?」
「ああ、持っていた荷物もなくなっている。旅立たれてしまったんだ……!」
「そんな! 名前だって聞いていないのに!」
「おおい! お前たち!」
バルフは彼らに駆け寄る。一人は騎士団の詰所に来た青年だ。
「この書状を書いた者はどこにいる?」
「それが……あ、そうだ! 全て片付いたらこれを騎士団の方に渡すよう言われていました」
ルウはウェストベルトに大事にしまっていた書状を、バルフに渡す。それを受け取ると、はらりと広げ、目を通す。
書状にはコルネイの民への生活の保障と改善を女王陛下に陳情する旨が書いてある。領主ガーマルの非道悪逆の限りを添えられた公文書の写しと共に列挙し、そして逮捕された偽勇者はまごうことなき偽者だと、証明する署名があった。その署名こそ――。
「ですが、その方はもう……」
「お、おい! この書状を書かれたお方はどこに行った!」
ルウは急な怒鳴り声に面食らった。
「え? だ、だから、もう旅立たれて……」
「何だと!? こ、この方は本物の……
……本物の勇者アバンだぞッ!!」
「えええっ!?」
驚愕の声にコルネイの地が揺れた。その音の衝撃に思わず仰け反りそうになったバルフだったが、なんとか踏ん張り、負けじと声を張る。
「ああ、本物だ! 何故留めておかなかった!!」
ルウの肩を掴んで揺さぶる。騎士団長の名に相応しいほどの力は、ルウの視界を千鳥足で見る景色に変える。
「そ、そんな事言ったって! 風のように現れて、また風のようにいなくなっちまったんだ! 俺だってちゃんとお礼が言いたかったよ!!」
これ以上この青年を責めても仕方がない。そう悟ったバルフは苦悶の表情で鉄兜ごと頭を抱えた。
「なんて事だ! また女王がお嘆きになるぞ!」
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遠くで、鳴り矢の空を裂く音が聞こえる。は目を覚ました。
「気が付きましたか」
その声に、は一瞬でぼやけた意識を覚醒させる。
「アバン先生!? 私……? ここは!?」
「落ち着きなさい、。もう大丈夫ですよ。万事解決しました」
微笑みと肩に置かれた重みで気を落ち着かせたは、安堵の息を漏らした。夕闇に迫った辺りの暗さが、だいぶ時間が経っている事を物語っている。意識をなくす前まで自分は何をしていたのか、は思い起こす。ハッキリと思い出せないが、なんとなく、自然と唇に指を添わせた。
「どうかしましたか?」
「あ、いいえ」
は笑みと共に首を振る。気のせいかと、もうその引っかかりはの中で綺麗に消え失せた。それを目の前の男が固唾を呑んで見守っていたなどと、気付きもしないだろう。なんて白々しい。アバンは酷く冷たい気持ちで自分自身を蔑んだ。
「ここ、待ち合わせの場所ですよね? ポップ、着くかしら」
「残党狩りの騎士団に見つからなければいいんですがねぇ。……お、来たようですよ」
鬱蒼とした木々の間を縫って、ポップが背と両脇に荷物を抱えてやって来るのが見えた。二人の所に着くと、大きな息を吐いて荷物を下ろした。
「ひー! 重かった!」
「ご苦労様でした、ポップ」
「全く、使いっ走りにもほどがありますよ!」
「助かりましたよ」
は笑いながらポップの荷物を下ろすのを手伝ってやる。
「ああー……、その……平気、か?」
着替える暇がなかったの花嫁衣装には、大きな破れがある。当然してしまう心配がポップの頭によぎる。あまり見慣れないポップのそんな気遣いがぎこちなくて、は可笑しくなってしまった。
「ふふ、大丈夫よ。なんともないわ」
「そ、そうか! よかったな!」
無事生還できた喜びを、二人は笑顔で迎えた。それを見てアバンも破顔させる。
ポップは村の様子が一望出来るこの山の中腹から、先程までいたコルネイの地を見下ろした。まだ騒然としていて、松明が右へ左へと忙しく動いている。もしかしたら自分たちを探しているのかもしれない。
「やれやれ。またタダ働きだ」
ポップは盛大な溜め息と共に肩をすくめて見せた。
「なんで逃げ出すんですか? おれたち人助けしたのに、これじゃ逃亡者だ」
「カール騎士団に見つかりたくないって、アバン先生ってば何か悪い事でもしたの?」
弟子二人のいぶかしむ目を受けて、アバンは慌てて両手を振った。
「そ、そんな人聞きの悪い! ……ん〜、でも会ったら捕まるでしょうね」
「何スか、それ」
「ま、私はあなたたちと一緒にこうして世界中を回っている方が性に合ってるし、楽しいってコトです」
何か、は分からない。けれど、何かと比べてアバンは自分たちを選んでくれた。その嬉しさは二人に震えるほどの歓喜と感動を与えた。目の周りを真っ赤にして、二人はアバンに飛び付いた。
「せっ先生! おれ、ずっと先生について行きますからね!」
「わっ私も……! ご迷惑じゃなければ……!」
「ははは、嬉しい事言ってくれますね、あなたたち。じゃあ夕飯はご奮発してご馳走しちゃいますよ〜!」
アバンの手製野外ディナーを堪能し、既に夜も更けた。ポップは満腹と疲れで、泥のように眠っている。焚き火の爆ぜる音だけが、この暗がりに響いている。それに油断したのか、アバンはが起き上がっているのに気付けなかった。
「アバン先生、何してるの?」
「わっわっ! お、おや、見つかってしまいましたか」
手元のものを慌てて隠しても、怪しさだけが残ってしまう。は声を掛けてまずかっただろうかと何も問い詰めたりはしないが、その目は気になっている事を隠せない。アバンは仕方がないかと諦め、を呼び寄せた。
「もっと体裁を整えてから差し上げたかったんですがね。むき出しのままですみませんが、どうぞこれを」
アバンが差し出した手から受け取れるように、は両の手の平を広げた。そこに載せてくれたのは、赤いピアスだった。
「これを、私に……?」
「ハイ。あの花嫁衣装に唯一付いていた石です。衣装は破れてしまったし返しづらいのでね、ま、今回の報酬という事で頂いちゃいました。加工して作ってみたんですが、いかがでしょう?」
手の平の上で輝く真っ赤な石はとても綺麗で、はついうっとりと眺めてしまった。しかもアバンがその手で作ってくれたというのだ。
「素敵……。私がもらってもいいんですか?」
「モチロンです。貴女は今回のMVPですよ」
そう笑ってくれた顔を見れた事が、は何より嬉しかった。頑張った甲斐があったと、自分を誉める事が出来た。水面のように揺れる視界を誤魔化すように、は笑う。
「ありがとうございます! 付けてみてもいいですか?」
「はい、是非付けて見せて下さい」
は元々付いていたピアスを外すと、赤いピアスに付け替えた。耳に揺れる赤い粒がを彩る。髪を掻きあげ、少し恥ずかしげにアバンにお披露目する。
「どうでしょう」
「よく似合っていますよ」
は目を細めて喜んだ。
「本当に……ありがとうございます、アバン先生。私、大事にします……!」
「いえいえ、大した事も出来なくてすみません」
「ううん、本当に嬉しいです。それに先生、わざわざこんな遅くまで起きてて作ってくれたんでしょう? 昨晩も寝ていないのに」
「……知ってましたか」
アバンが目を丸めると、も少し首を傾げて笑った。
「私も昨日はなかなか眠れなくて……朝方帰って来た音を聞きました」
「貴女にこんな役を押し付けたんです。絶対に失敗は出来ないと思ってね、出来る事は全部やっていました」
「そんなに気にしていたの?」
「貪欲な猛獣の檻にウサギを放り込むようなもんですからね。やってる非道さは猛獣と変わりゃしません」
「そんな事ないです!」
荒げた声にポップが起きてしまうんじゃないかと、慌てて口を押さえた。だが焚き火の向こうのポップは依然夢の中。は声を潜めてアバンに詰め寄る。
「そんな事ない……! あそこで私が変わるのは当然だと思います。やれる自信もありました。そうさせてくれたのは、今までの先生の教えの賜物です」
「そう、私が教えてしまった」
アバンの横顔に陰りが見える。横から見た眼鏡越しじゃない瞳は、には言い知れない不安を抱かせる色を持っていた。
「どんなに立派で綺麗な言葉で言い繕っても、所詮教えているのは「壊し方」だ。いかに上手く壊すか、私は貴女にそれを教えているに過ぎないのです」
「そんな……!!」
「……ずっと考えていた事です。貴女をこうして危険な目に遭わせてまで、私たちに同行させていいものか。知り合いの村に身を置かせてもらって、いつか故郷の世界へ帰れる日を安全に穏やかに待ってもいいのではないか、と」
一番恐れていた言葉が金切り声を上げてに襲い掛かる。絶望と孤独が土砂降りのように降りかかり、の顔が悲しげに歪んだ。不安に揺らぐ瞳から大粒の涙が止め処なく零れる。
「どうして、そんな悲しい事ばかり言うの……?」
アバンはへと顔を向ける。泣き声も無く、ただはらはらと落ちる涙を気に留めることも出来ない。内包する脆さを隠し切れないこのを、なんとなく予想していた。その通りの表情だった。分かっていて、させたのだ。痛む心はあれど、これがアバンの踏まえるべき手順だった。
「私はただ、貴女に辛い思いをさせたくないんです。貴女が私といる事でそんな思いをする必要など、どこにも無いんだから」
「私、アバン先生と旅していて辛いなんて思った事ありません!」
焚き火で照らされる不安定な影は、刻一刻との表情を変えていく。道標にする満天の星が隠れ不安を隠せない冒険者の顔。保護者を失う孤独に怯える子供の顔。そして心に触れる熱さと切なさを知った女の顔。アバンはそのどれもが美しく見えた。身震いするほど、目覚めた奥底の熱が狂おしい。
「……今後、何があっても?」
「何があっても」
外すことのない視線が二人を繋ぎ合わせる。
「だから、どうかお願いです。私を置いていかないで……」
なんて狡猾で浅ましいのだろう。手製の耳飾りという物まで与え繋がりを持ち、が自分から離れられるわけがないと分かっていながら、こんな事を聞いている。保身に苦心する醜悪さは、あの領主と寸分の違いもないではないか。この小さな少女を抱え込む正当な理由を模索して理詰めで固める。少女にこんな涙を流させ、頭まで下げさせて、自分は何をしているんだろう。
「ごめんなさい。意地の悪いことばかり言ってしまった。どうやら疲れているようです」
アバンは額に手を置く。
「大丈夫。そう思ってくれる覚悟があるのなら、貴女を一人になんてしません。だから今日はもうお休みなさい。貴女も疲れているはずだ」
ありったけの笑顔を浮かべてを覗き込む。涙の跡を指で拭い、頭を撫でてやった。は少し安堵したような表情で柔らかさを戻す。
綺麗に片すのはお手のものだ。アバンはどんなに普段の様子を取り戻そうとも、自嘲するのを忘れずにいる。いつの間に、自分はこんなにしたたかになってしまったんだろう。
寝床に戻ったを見送ると、アバンは工具をしまう。これを片したら自分も休もう。今日はさすがに心身ともに疲れを感じている。ペンチを袋に戻そうとした時だった。
「アバン先生」
小さな声で呼びかけられた。見てみれば、は寝床に身体を休めたまま毛布から顔を覗かせている。
「まだ寝ていなかったんですか」
アバンの声も表情もいつもと変わらない優しいもので、はそれだけで気持ちが穏やかになった。甘くて柔らかい何かに包まれるように、は目を細めていく。
「先生の幸せって何だろう」
手の中のペンチの重さが無くなった。
「みんなの幸せじゃない、先生だけの幸せ。私、それを見つけたいの。
前後の記憶も分からないくらい、あの花でひどい目にもあったけど、なんで幸せになる花って言われているのか、分かった気がする。幸せって自分で口にして、欲しがらないといけないのね。
先生が幸せだって思える時が来たら、私は嬉しい、な……」
小さな寝息とともに語尾が擦れていき、目蓋は完全に下りてしまった。
工具を仕舞おうとしたアバンの手は、いつの間にか固まってしまったかのように動かない。その不自然さに、の言葉の最中、気付く余裕もなかった。
いつも急だ。急に、驚くような事を口にするだけして、ほうっぽり出されてしまう。後に残った自分は焼け付くような目の奥の熱さを感じ、彼女の言葉と瞳を胸の内に何度も何度も反芻させる。
「困った子だ」
もう後戻りできない。
掠れる声で一人ごちても、眼鏡を外し目頭を押さえて一つ深い呼吸をしても、動悸が治まらない。己を攻め立てる甘く苦しい心臓の早鐘が、いつまで経っても休まらないのだ。
目から手を放し、顔をへと向ける。贈ったピアスが焚き火の炎を受けて、耳元に小さなともしびを灯らせている。
赤がよく似合う女の子だな。アバンはそう思った。
(了)
(2009.6.23)