あかいいと 3


 そうしてやって来たガーマルの屋敷は、まるで同じ土地とは思えないほど華美で豪奢であった。調度品はどれも光り輝いていたが、村の人から搾取した汗の結晶だと思うと、怒りが沸々と沸いて来る。十本の手の指全てにはめられている指輪は、どれも大きな宝石が埋まっている。その一つでも村に還元してやれば、赤子があんなに痩せるはずもないのに。は今にも飛び出しそうになるのを、必死で押さえ込んだ。
「ケーティ、よくワシの許に来たな。待っておったぞ」
 フロッガーが鳴いている。はそう思った。全身若草色のスーツははち切れんばかりに伸び、その恰幅のよさは良い暮らしをしているのを窺わせた。私腹を肥やすとはこういう事かと、は目の前を手本に学んだ。
「ンッフッフ。あのルウとかいう生意気な小僧はさぞかし悔しかろうな。いい気味だ!」
 血管が次々と切れていく音がする。
「さぁ、ケーティ。お前の美しいヘーゼルの髪を愛でさせておくれ。ベッドの波間に散るその髪を是非見てみたい」
 は心の中でフロッガーに深く謝った。あなたの鳴き声はこんなに汚くない。
「ほれ、どうした。近う寄れ。顔をお見せ」
 とうとう椅子から立ち上がり、ガーマルはに向かって来た。は袖で顔を隠しながらすす、と逃げていく。
「フフ、初い奴」
 謁見の間といっても小さなホールほどの大きさだ。慣れないロングスカートに、思いのほか速い足で追われれば、すぐに壁に着いてしまう。しかも隠しもしないそれは、若草色のズボンを下から押し上げている。淫猥な形が、伸縮性のない布地のせいで狭苦しげに自己を主張している。は見たくもないそれを見せ付けられ、不快感と恐怖に顔をしかめた。
「ホーレ、ホーレ」
 全力で逃げたり、この肉だるまを飛び越えて逃げ出しもしたかったが、そんな事をすればすぐに正体がばれてしまう。時間を稼ぐ事を目的に来ているは、逃げる速度に緩急を付けて出来るだけ引き寄せようとした。
 だが追いかけっこにも飽きて痺れを切らしたガーマルは、とうとう突進するように向かって来た。壁伝いに逃げても並走して追ってくる。
「どうした、もう逃げ場がないぞ」
 暖炉の横に追い詰められる。ジリジリと寄り、荒い息が近くに来て気持ちが悪い。見せ付けるように振る腰も、ベール越しに見ても尚、見苦しくて嫌悪を催す。
 もう限界だと、はスカートを捲り上げ、腿に隠し持っていた剣を取り出した。
「それ以上近付いたら……斬ります!」
 だがガーマルは怯えた様子も見せない。
「フン。皆、刃物を隠し持ってきおる。そんな事は想定の範囲内じゃ、っと」
 傍らの呼び鈴を乱暴に鳴らすと、なんと隣との壁が動いた。ドアなど無かったはずだ。隠し扉か。
「勇者先生、出番ですぞ!」
 そう呼びつけたのは、上背のある黒マントの男。これが件の勇者? あごひげともみあげが繋がりそうな顔は険を含んでいて、にはとても世界を救った勇者様だとは思えなかった。
「少々痛めつけた方が大人しく喰える。暴れられるのは多少なら可愛げもあるが、振り乱して抵抗されると鬱陶しくてかなわん。さぁやってくれ」
 はギリギリと歯を鳴らした。こんなにも人に対して嫌悪感を持つのなんて初めての事だ。
 黒マントの勇者は懐から手の平ほどの大きさの筒を取り出した。そして中空に向かって掲げ、声高に叫ぶ。
「魔王より接収したこの魔法の筒の威力を見よ! デルパ!」
 その言霊により、筒から何かが飛び出してきた。煙を割いてみると、そこにいたのはモンスターだった。
「どくイモムシ……!?」
「娘。そのじゃじゃ馬っぷり、馴らしてやろう」
 そう言って黒マントの勇者は、懐から黒い笛も取り出し、吹き鳴らした。甲高い音に反応するように、どくイモムシも奇声を上げる。そして真っ直ぐにに目がけて突進して来た。
「モンスターを操れるの!?」
 これが勇者の力なのだろうか。は驚きを隠せない。
 どくイモムシが突進と同時に身をよじると、その拍子にのベールを巻き込んでしまった。あとから現れたのは漆黒の髪だった。
「ケーティではないな! 何者だ、貴様!?」
 ガーマルが喚く。だがまだだ。まだ引き付けておかなくてはならない。
「お前に名乗る名はない!」
 噴き出される毒の息を避け、は真空呪文を唱える。浮き上がらせて露わにしたどくイモムシの内側の柔らかい腹を、は短剣で真一文字に裂いた。青色の体液がガーマルに降り掛かる。
「ヒ、イイ!」
「ふん、ただの小娘ではないな」
 黒マントの勇者は鼻を鳴らすと、抜刀した。思ったよりも大物を扱うらしい。この短剣でどこまで耐えられるか、は剣の柄を握りなおす。
「では俺が自ら相手になろう。魔王を滅した勇者の一太刀、受けてみよ!」
 ギィン!
 剣から爆ぜる火花と衝撃が目の前で幾度となく散る。は防戦一方で、受け流すだけで精一杯だ。一つ一つの攻撃が重く、素早い。剣筋は荒いが力はある。このままだと短剣だけでは受けきれなくなる。
 その時、激しい動きでウェストの飾り帯に潜ませていたあの花が、零れ落ちてしまった。
「あッ!」
 つい視線を外してしまったの隙を突いて、黒マントの勇者は短剣ごと薙ぎ払った。短剣はカラカラと床を滑っていく。男は衝撃で痺れるの手首を素早く掴み取り、後ろ手にまわった。しまった、そう思った時にはもう、スカートの裾も踏まれていて足も出せない。しかもガーマルは、顔を拭いながら落ちたその花を拾い上げる。
「アカイロコノハナか」
「返して!!」
 身動きできなくなった身体をよじって、はガーマルに声を荒げた。この男に大事な花を触れられるのは反吐が出そうだった。だがガーマルはニタリと下劣な笑みを浮かべる。
「ああ、返してやるさ」
 そう言うが速いか、ガーマルはアカイロコノハナをの口にねじ込んだ。
「んん!!」
 途端に、もの凄い苦味と舌に痺れが広がった。目の前が歪み始めたのは怒りだけではない気がする。意識が混濁してきた。まずい、と思っても、ぶ厚い熊の手のような手で押さえられ、吐き出す事も出来ない。目蓋が重く、途切れ途切れの意識が上手く繋いでいられない。
(どうして――しあわせになれるはなじゃなかったの? ――せんせいが、くれたのに)
 じわりと涙が滲む。だがそれすらも、朦朧とする中で気に留める事も出来なくなっていた。
「どうだ、己の抑制を解き放つアカイロコノハナの効果は! 嫌だ嫌だと言うてもな、快感を感じてしまえば途端によがりまくるぞ! ひっひ! イイ物を持って来てくれた!」
 ようやく手が離れ、零すように花を吐き出しても、花の毒は十分にの身体に残ってしまった。呻き声のような音しか出せない。ガーマルがしゃがみ込み、転がっていた短剣でのスカートを腿の辺りまで切り裂いても、意識が判然とせず、抵抗する意識さえも持てない。
「ほっほー」
 隙間から覗く白い肢。ガーマルは押さえきれぬ涎を拭おうと、舌をべろりとまわす。まるでガマガエルだな。の両腕を捕らえて支えている黒マントの男は上から見ていてそう思った。悪趣味な男だが、おこぼれは美味しい。後で回ってくるであろうこの身体を楽しみに、男も下卑た笑いを浮かべた。
 この瞬間が一番たまらない。秘められた部分を暴く、この瞬間。ガーマルは宝箱の蓋を開けるように、期待を込めてそっとスカートを摘む。徐々に露わになる眩しい白。興奮に何もかもがはちきれそうだ。

「領主様ー!!」

 イイ所で何だ、と舌打ちを放ち、謁見の間に飛び込んできた部下を睨みつける。いつもなら恐れ戦くが、今はそれどころじゃない。
「領主様! 暴動です!」
「なに!?」
「領民達が屋敷を囲んでいま、うぐッ!!」
 不自然に倒れこんだ部下の後ろから現れたのは、眼鏡を不敵に光らせる派手ないでたちの男、アバン。男を気絶させた剣の鞘を下に下ろす。
「領民だけではない。すぐにカール騎士団も到着するだろう」
「な、何ィ!? カール騎士団ッ!?」
 予想もしていなかった名前を聞き、さすがのガーマルと黒マントの男にも動揺が走る。
「お、お前らコルネイの民にそんな力があるものか! ……い、いや、貴様は誰だ!? コルネイの民ではないな!? 扇動したのは貴様かッ!!」
「そうです、私です。一晩でカールとベンガーナ、両方の国会図書館に忍び込んで証拠を揃えるのは骨を折りましたがね。まぁそんな事は言ってられませんし」
 黒マントの男が腕を離すと力なく床に崩れたを見て、真っ黒でドロリとした激情が溢れるのを感じる。だがアバンはそれを死ぬ気で抑えつける。
「お、俺の十数年を一晩でだとぉ!?」
 アバンは数枚の紙を取り出し、掲げて見せた。
「十五年前の大戦後、混乱を極めた各地を整える為、一度領地の再区分が執られました。このコルネイの地はその際、ベンガーナからカールへ移譲されていますね。だが不思議な事に、まるで切り取られたようにこの地の事は忘れ去られてしまっていた。それはこの領土移譲の際に執政官の目を盗み、どちらの国からも浮いた土地を作り上げたからではないのですか? そして薬草栽培に優れたこの地の支配権を利己的に抱え、封建的な領主支配を布いた……」
 ガーマルの呻き声が上がる。
「これだけの事をあなた一人で行うのは無理だったでしょう。この領土移譲締結の公文書に書かれた名前……ほほう、この二人は今やカール、ベンガーナ両国の高官たちではないですか。この十数年で羽振りが急に良くなったという噂と、何か関係があるんでしょうかねぇ? ねぇガーマルさん?」
 おかしな格好で白々しい演技にも程がある。だがガーマルは何も言い返せない。ただ額に脂汗を滲ませて呻くしかない。
「国土の侵犯と利己的独占、公文書の偽造、高官との癒着、四人の殺人、村人への長期的な暴力的圧制……。叩けば出る出る。よくこれまで隠れおおせていたものだ。おそらくあなたには厳しい罰が下るでしょう。自分が犯した罪の重さを知り、厳粛に受け止めなさい。抵抗など考えない方がいい」
「クク……抵抗?」
 丸い肩が揺れる。引き攣った笑い声が、最早滑稽にしか映らないこの謁見の間に響く。
「――これは抵抗じゃあない! 前進だ!!」
 そう向けた顔の醜悪さ。アバンの眉間に深い影が落ちた。
「まだだ! こいつを殺って口を塞げば、あとは領民だけだ! 奴らなどねじ伏せれば問題ない! 勇者先生! やってしまってくれっ!!」
 黒マントの男も意を決した。このままでは自分も後がない。立ち塞がる敵は斬り捨てて、また旨い話にありついてやる。今までだってそうして来たのだ。そう決めると、先程とは違う魔法の筒を取り出した。
「勇者たる俺が魔王から奪いし魔法の筒、この恐ろしさを食らうがいい! デルパァッ!!」
 煙の奥から聞こえるのは、猛獣の唸り声。広がる羽で散った煙から現れたのはライオンヘッドだった。
 確かにこれは先の戦いの遺物。どこで手に入れたかは知らないが、これまでずいぶんと大仰な玩具で戯れてきたらしい。『その名』のこだわりは無くとも、アバンの嫌悪感を煽るのには十分すぎるほどだ。アバンは静かに剣を抜いた。
「用済みの娘達を食わしていたが、このところエサもなく空腹だ! お前もすぐに腹に収ま……何っ!?」
 一撃だった。疾風のごとく駆けると同時に懐へ飛び込み、喉を掻っ切った。ライオンヘッドは断末魔の叫びも上げる間もなく絶命した。天井にまで飛び散った鮮血が目の前でぽたぽたと垂れ、黒マントの男の目にはまるで、これからはじまる惨劇の幕開け前のどん帳のように映った。幕が、開いていく。
 血を払い、剣を再び構えるアバンの目と合うと、黒マントの男は総毛立った。使う暇もなかった笛が音を立てて床に落ちる。ライオンヘッドごときではない、もっと恐ろしい眠れる獅子を呼び覚ましてしまったような後悔と畏怖を感じた。胸を圧迫され、うまく息が取り込めないこの重圧。
 だがもう後がない。震える手を隠すように、両手で剣を握りしめた。
「クソっ! かつてはこの私も在籍していたカール騎士団の正統流剣法、魔王をも滅した剣技をとくと見よ! この一太刀は山を薙ぎ、海を裂く。かの有名なドラゴンでさえ……」
「おしゃべりですね」
 そう聞こえたのも一瞬。まるで爆破したかのように、目の前の大剣が折れた。鉄片が飛び交う視界の中、一閃を放った構えを取っている男の眼鏡の奥。その鋭さに竦み上がった。黒マントの男は、自分は決して怒らせてはならない人間の逆鱗に触れたんだ、と思い知った。
「――『勇者』など、功績を讃えて呼称している飾りに過ぎない。誰がどう呼び、自称するかは勝手だ」
 地を這う低音。
「だが、カール騎士団は違う。長い歴史と歩んできた騎士道がその名の誇りを表している。民と女王陛下に殉ずる忠義と勇猛さは、お前ごときが偽れるほど安きものではない。その名を汚す事は、この私が許さん!」
 弾けた恐怖に黒マントの男は逃げ出した。よろめきながら一心不乱に窓へ向かう。そして頭を屈め、窓を割って飛び出そうと床を蹴った。だがアバンは逃しはしない。アバンの剣先は黒マントの男の足の腱を切る。
「ぎ、ああッ!!」
 黒マントの偽勇者は二階のこの窓を割り、悲鳴を上げて落下していった。
「ひ、いい」
 抜けた腰を引きずり、ガーマルは床を這いつくばっていく。アバンは素早く剣の柄を後頭部に叩き込み、気絶させた。あっけない幕切れだ。あまりに許しがたいが、これ以上は自分の手でするべきではない。然るべき処置は後の者に任せる事にした。

 全てを最短で済ませたと思う。だが、なんて時間がかかったのだろうと、焦げ付く焦燥感で胸が破裂しそうだ。ようやく、の元へ駆け寄る事が出来た気がする。
!!」
「……っ、……! っ……!」
 身体を揺らし、頭を振り、何事か呟いている。息がある事に安堵し、の身体を起こしてやった。
!?」
 がくり、とまわした首が力なく、見せた表情は虚ろそのものだった。目は開いていたが焦点も合っていない。パクパクと開ける口で、呟きだけを繰り返す。それが何か訴えているようで、アバンは耳を寄せた。
「……せ、せん……せ、……せん……」
 ずっと自分を呼んでいたのか。アバンはの頬を力強くなぞり、瞳に映ろうと顔を覗き込む。
「もう大丈夫ですよ、! 私は来ました! 全て終わりましたよ!」
「せ、せんせい……! あばん、せんせい、せんせ……怖……い、怖かった、怖……!」
 は目を潤ませると、アバンの服を掴んで縋りついた。アバンは慌ててを抱き締める。強がってはいてもやはり怖かったのだ、自分は何て事をさせてしまったんだろう、と申し訳なさに掻き抱いた。
 ふと、の傍らに落ちている花が目に付いた。アカイロコノハナだ。濡れたこの花を見て気が付く。もしかしたら、この花を口に含むと自白剤か幻覚剤のように意識レベルを低下させられ、通常の理性による思考が出来なくなるのかもしれない。こうして素直に気持ちを口にするは、切迫した状況だったからとはいえ、普段からは考えられない。
「怖か……った、せん……せ、せんせ……」
 見上げてきたの瞳と視線が交じり合う。

「せんせ……好き……」

 息を、呑んだ。

「せん、せ……来て、く……良か……た、良、った……せん……」
 再びうわ言のように繰り返すが、先程の言葉はもう出ては来なかった。聞き間違えではなかったのかと思うが、耳に質量を伴って残る言葉に、その存在をありありと感じる。だが、やはり聞き間違えたとしか思えないような言葉に、アバンは困惑した。止まっていた息が堰を切って再開すると、身体を揺らすほどの動悸となってアバンを追い詰める。
「……せ、あ、……う……」
 目蓋が下り、言葉が意味を成さないようになってきて、アバンは我に返った。を床に横たわらせると、謁見の椅子の横にあった水差しを駆けて持って来た。そして肩を起こし、口に含ませてやるが、零れるばかりで洗浄出来ない。その内むせ込んでしまった。それからアバンは、裂かれたのスカートから少し破り取り、端切れをもらう。その端切れに水を浸し、の舌を拭ってやった。だが「痛い」とは嫌がり、顔を背けてしまう。嫌がっている場合ではないのだが、朦朧とする意識の中では我慢する自制すら難しい。
 徐々に顔色が優れなくなってくる。うわ言ですら減ってきた。このままではの身が危ないかもしれない。それは冷静な見立てなのか、言い訳なのか、後になってもアバンには分からなかった。そして腹を決める。

 一度水を口に含んで床に吹き出すと、アバンはに唇を合わせた。

 合わせ、そして舌をねじ込ませると、の舌の上を這い回らせた。独特の柔らかさの中にざらざらとした感触を得ながら、のくぐもった声と共に舐め取っていく。の指が一本、ぴくりと動いた。
 自分の舌先も痺れてくるのを感じる。アバンは口を離し、また水差しから水を含んですすぎ、吐き出す。そしてまた、の舌へと戻っていく。
 アバンの舌がの口内を余す事なく行き渡る頃には、の青くなっていた顔色も良くなっていた。これを幾度か繰り返していると、自身が正常な唾液を分泌しはじめたのを舌先で感じ取る。これで自浄されるだろうし、とりあえずは危機を脱するはずだ。血色の良い肌色を取り戻しはしたが、一度落ちた意識だけは緊張や疲れからだろうか、今は戻る気配がない。アバンは腕の中のを見つめる。
 処置は済んだ。そう、処置だ。
 一体誰に対する弁解だろう。そんな事を改めて思わなくてはならない何かが、アバンの中に生まれている。思い出してはならない柔らかさが、アバンの唇に蘇る。踏み止まらなくてはならない欲が、アバンの胸に燻る。涙に濡れた睫毛は動かない。

 アバンはの唇に口付けを落とした。
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