あかいいと 2
夜、偽りの宴会が催された。
その陰では、アバンの指示で準備が静かにそして滞りなく進められている。その手腕に驚き、彼は只者ではないと村人の誰もが思った。まさか自分たちを反逆罪で陥れる領主の手の者かと疑う者もあったが、そのはずもない。奴は民から搾れるだけ搾ろうとしているのだ。皆殺しにする必要がない。かといって、これ以上自分たちを苦しめる物好きもいないし、状況もない。今が最底辺なのだ。彼らはアバンに託すほかなかった。
は明日の大役を務める為準備への加担はせず、宴会の料理を作るのを手伝ったり、宴会の賑やかしをしていた。準備に村人が割かれて宴会が寂れては、きっと屋敷から様子を窺っている領主は怪しんでしまうだろう。その穴を埋めるべく、は料理片手に乾杯をして回っている。
そこで一人の村人を捕まえて、気になっていた事を尋ねてみた。
「あの、先生はどこでしょうか?」
「ああ、調べ物があるとかでカールとベンガーナに向かわれた。小柄ですばしっこいのを一人希望されてな、ゴールんとこの末息子のワイアットを連れて行かれた。必ず戻ると言われたよ」
「そう、ですか……」
明日の為にみな忙しく動いている。全てが済むまで、ゆっくりアバンの顔を見るのも難しいかもしれない。は若干の寂しさを感じていた。だが事は進みはじめてしまったのだ、精いっぱいやりきらなくては。は頬の筋肉を無理やり使って口角を上げ、料理を振る舞っている所へ手伝いに行った。
「よう」
そこへグラスを片手にポップが姿を見せた。
「なんか……大変な事になっちまったな」
「うん……」
宴会の中心から少し外れて、二人は丸太に腰掛けている。ここから見る風景はただのお祭りにしか見えないが、屋敷から見えない建物の陰では、武器の調達や整備などに追われている物々しさがあった。その渦中に飛び込んでしまっているなど、一日前の自分たちには想像も出来なかった。いつだって自分たちをよそに、周りが騒がしくなってしまう。
「先生といると次から次へと事件が起きるよな」
「ふふ、そうだね」
「ま、おれとしちゃあ退屈しなくていいんだけど……お前にとっては災難、か?」
「そんな事ないよ。いつもと同じ。今回だってどうにかなるって!」
は隣のポップに満面の笑みを向ける。それはポップから見ればいつもと同じ笑顔だったが、もしかしたら空元気なのかもしれない。だとしたら仲間として乗ってやるべきだろうと、その意気を汲んでポップは同じように笑ってやった。
「あの人さ、きっと呪いのアイテムでも持ってんじゃねぇ? もしくは、もう呪われてるとか!」
「あはは! ひどいの!」
「いいか、ヘンな事されそうになったら急所を蹴り上げてやれよ! 男はそれがいっちばん痛ぇんだ!」
「もう、馬鹿!」
そんな事ばっかり言って! と腕を振り上げるから、するりと逃げていった。相変わらず逃げ足だけは速い。
「へへっ、そうそう! そんな感じ! じゃあおれ、もうちっと手伝ってくるわ!」
いつもならば、何かの為に骨を折る事を面倒くさがるポップだったが、今回ばかりはそうも言っていられない。単身乗り込まなくてはならないを、みすみす傷付かせるなどさせたくなかった。その気遣いはも気付いている。心配を寄せてくれるその思いがにはありがたかった。
「ありがとう、ポップ……」
ポップの背中を見送って少し経つと、の所にまた客人があった。ケーティだ。
「どうしたの、その髪!?」
さっきまで着けていなかったヘッドドレスについ目が行くが、そのヘッドドレスに隠れている髪先が頬の辺りで覗いているのだ。
「ああ、これ? あなたと髪の色が違いすぎるからね、かつらを作る為に切ってくれって頼まれたのよ」
「もしかして先生に!?」
「ええ」
「そんな! ……ごめんね……!」
顔をくしゃりとさせて、は隣に座ったケーティに謝った。あんなに見事な髪だったのに悔やまれてならない。自分の髪が黒髪である事が申し訳なくなるほどだ。
「いいのよ、これくらい! あの方も今の貴女と同じ目で謝られてたわ。私達の為に努めてくれているのはあなた方なのに」
そう言って笑いかけてくれた彼女は、きっとこれが元の様子なのだろう、痩せてはいたがとても朗らかな美人だった。
「おかげさまで少し落ち着いたわ。さっきは取り乱していて言えなかったけど、……、と言ったわね。身代わりになってくれて、ありがとう」
ケーティはの両手をしっかと握り締めた。は笑いながら頭を振る。
「いいのよ。こんな事あるべきじゃないもの」
「あなたが無事に戻ってきてくれるように、私も村の人と一緒に頑張るわ」
「私も精一杯、頑張るわ。任せておいて!」
そう言ってウィンクを一つ飛ばし、白く並んだ歯を見せて笑う。
「ありがとう。強いのね、は」
は苦笑に近いはにかみを浮かべて俯いた。
「強くなんてないよ……。だから強くならなきゃ、って思ってるだけなの。アバン先生の側にいるなら、そうありたいのよ」
「あの方はアバン様とおっしゃるの? こう言っては何だけど……フフ、あの方、変わった方ね」
「そ、そりゃ、ちょっとは変わってるけど……! でもすごく優しい方なのよ!? 強いし、もう何なんだろうこの人! って思うくらい知識の引き出しは多いし、話し方が柔らかくて聞いてると優しい気持ちになるし、それにとても思いやりがあって、頼りがいがあって……!」
唐突にまくし立てたに驚き、ケーティは目を丸くしたがすぐに三日月形に変えた。
「はアバン様を好きなの?」
それを聞いて、の目も丸くなった。
「好、き?」
ケーティはおや、と思った。今の今まで頬を桃色に染めていたのに、この言葉を口にした途端、その色は消え失せたのだ。は表情を無くして呟く。
「好き……すき……。そんな、思った事、なかった……。……好、き……?」
もし、そう、だとして。自分はそんな人の言から、身の危険に直面する破目に陥ってしまうのだろうか。仕方がないと分かっている。だが、そう、だとすると、今まで見えていなかった胸の内に燻る鈍色のもやを感じざるを得ない。それはあまりにも情けなく、哀しかった。
夕闇の中でも分かるほど、の顔が白くなっていく。ケーティは自分のうかつな言葉のせいだと、激しく後悔した。
「ゴメン、今言う事じゃなかったわ。お願い、気にしないで」
「! ううん、いいの。大丈夫。平気よ」
はケーティの言葉を耳にすると、我に返ったように表情を蘇らせる。今する事、今する事、今する事。は心の中で暗示のように繰り返し呟き、また先程の笑顔を作り上げ、唇に半円の弧を描かせる。
「賑やかにしておかないといけないんだものね! ねぇ、皆が踊ってるあの踊りを教えてくれる? 踊りましょう!」
「――ええ、いいわよ」
許された数少ない楽しみであった音楽と踊り。彼らは篝火の中を縫うように軽やかなステップで駆け抜ける。張り付けた笑顔と、陰から聞こえる刃物を研ぐ音を、まるで煙に巻くように駆け抜ける。何かから目を背けるように駆け抜ける。
とてもいびつな、嫁入りの前夜だった。
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夜も明け、身支度を済ませたは、ケーティの家で出発の時を待っていた。用意されたこの部屋で椅子に腰掛け、やや俯き、嫁入り前の粛々とした時を一人で過ごす。
改めて花嫁衣装を見る。金銀糸の刺繍も無い、白木綿の質素なワンピース。ハレの衣装なのに豪奢な事もしてやれない、そんな村の苦悩と疲弊が切実に伝わってくる。だが飾り襟とベルトには精巧なビーズ刺しゅうが施されている。幸せになるようにと一縷の望みを掛けて仕立てられた、親たちの想いが込められた一着。こんなに軽いのに重いと感じる一着は、今までに着た事がなかった。これを着て送り出されていったこれまでの娘たちの心情を思うと、胸が張り裂けそうになった。
部屋にノック音が響く。もう出発の時間かと身を強張らせたは扉の方を見やった。薄ぼんやりとする視界で判別できたのは、いつもの赤い服と空色の髪。アバンだった。
「おはようございます、」
そう言うアバンの声がひどく懐かしく、なんだか久しぶりに会ったようだ。緊張続きだった身体から力が抜けていくのを感じる。
「おはようございます、アバン先生」
とても自然に、笑えた気がする。は密かに、今日やっていける、と小さな自信をつけた。
「準備の方は済みましたか?」
「はい、滞りなく。えへへ。私、この前から綺麗な服を着させてもらってばかり! なんだか嬉しいです! 似合いますか?」
アバンはのそばに来て、膝をついて腰を下ろした。ベール越しに目が合った。
「似合いますよ、とても」
目元を下げて微笑む顔がすぐそばで見れる。この厚いベールがなければ頬が赤らんでしまっているのなんて手に取るように分かってしまっていただろう。このベールは特別に二枚仕立てで作ってもらっていた。ケーティではないとバレてしまえば、我らの思惑に気付かれ、計画が進む前に逃げられてしまうかもしれない。少しでも時間を稼げるようにと仕立てたのに、こんな所でも役に立つとは。は思った。
アバンは崩していた相好を元に戻すと、に向かって頭を下げた。は突然の事にぎょっとする。
「、申し訳ありません。貴女にこんな役を押し付けて」
驚きに言葉を失う。傍らでかしずき謝られるなんて、思ってもみなかった。
「あの時はケーティさんを安心させる為、皆にやれるという自信を見せる為、強気な態度をとりました。ですが貴女は私のその意を汲み取り、毅然たる態度を貫いてくれた。おかげで村の人々も力を合わせ、その意気も洋々としています。ただ一つ……貴女の気持ちも聞かず、私は自分の一存で最も危険な役を押し付けてしまった」
は弾かれたように口を開いた。
「いいんです! ――私は嬉しかった。こんな私でも、少しでも先生のお役に立てるんだと思って……。先生が私を信じてくれた事、誇りに思います」
アバンは顔を上げる。うん、私、上手に笑えているはず。
「すぐに助けに行きます、必ず……!」
「アバン先生……。ハイ」
強く果敢な瞳は、時々少年のような熱さを持っている事を知っている。内に秘めた闘志を覗かせる瞬間を、自分の為に見せてくれる。はその事に胸が熱くなり、目をしばたたかせた。
次の瞬間、アバンは驚くような事を言い出す。
「顔をよく見せて下さい」
今、一番見られたくない顔なのに! は声なき悲鳴を内に上げる。だがまごつくをよそに、アバンはさっさとベールを上げてしまう。花嫁のベールを上げられて、そして覗き込まれて、照れない女がいるだろうか。かちりと合った目が恥ずかしくて、は思わず目を背けて俯いてしまった。久しぶりに見た顔は、あんなに熱っぽかっただろうか。はぐるぐると渦巻く思いに眩暈がしそうになった。すると昨日のケーティの言葉が脳裏に蘇った。
(はアバン様を好きなの?)
途端に心臓は跳ね上がり、すぐ近くのアバンに聞こえてしまうんではないかと思うほど暴れまわる。鎮めようとすればするほど、反して駆け回ってしまう。振り回される苦しさに、このまま昏倒しそうだ。アバンはさらにを追い詰める。
「手を……」
手の平を差し出して、の手を求める。
の中の何かのゲージが振り切れそうになった。下手をすれば毒牙にかかり、死も免れないかもしれない。何年も憲兵の目を逃れ続けてきた悪知恵と周到な保身策があるはずなのだ。屋敷の中は何があるか分からない。そんな所へ赴こうというのだ。必死に覆い隠しても、手の震えは昨晩から止まらなかった。せっかく、長い袖でそれを隠していたのに、それすらも暴かれてしまうのか。何でもないような平然とした顔でやり過ごそうとするの努力とは裏腹に、アバンはただひたすらに見上げてくる。アバンの言う事ならば何でも聞けると思っていただったが、さすがに抵抗を試みる事にした。
「あ、あの、私、結構緊張していて、……そう、きっと汗とか掻いてるし、だから」
まるで聞こえないとでも言うかのように、アバンはたっぷりとした袖の中で逃げ惑うの手を追い駆け、そしてとうとう掴まえてしまう。の右手は指を絡めてアバンの左手と合わせられ、もう逃げ出す事も出来ない。困惑にの視点が定まらない。
「その、これは、武者震いってヤツでして、あの……ハハ」
もう笑いしか出て来ない。最早何の震えなのか分からないくらい、身体中が震えている。力強く握るの右手からアバンの左手へ、手袋越しとはいえ嫌でも伝わってしまう。微かに、ほんの微かに滑らせるアバンの親指の腹が、の手の甲に熱い跡を残す。
「」
名を呼ばれてつい顔を向けてしまった。そこには、今までに見た事のないアバンの顔。切なげに目を細め、でも真っ直ぐに温度を持った瞳を向けてくる。の身体の震えが止まった。
(どうしてこんな風に指を絡めて、そんな顔をするの)
は切なさで涙しそうになる事を知った。目の奥が焼けるように熱く、白い火花が目の前で散っているかのようだ。震えの代わりに込み上げてくる涙が、を責め立てる。
アバンは懐からあるものを取り出した。
「これを……」
「ルウさんに貰った、アカイロコノハナ?」
「貴女に差し上げます。幸せが訪れるように」
そう言って、重なっていた自分の左手の隙間からの右手に握らせた。そしてその上からまた一度、握り締めた。
「アバン先生……ありがとう……」
紅花の紅で彩られたの唇が、薄くカーブを描いた。