地底魔城潜入


 はバダックに教えてもらった地底魔城にいた。
 とはいえ、入り口の大穴ではなく、少し離れた林にある小さな扉の前にいた。これはダイたちが特訓している間、この周囲をしらみつぶしに探して見つけた扉だった。あの大きな螺旋階段のみが地底への道のように佇んでいるが、そんなはずはなかった。もし何者かに大穴を埋められでもしたら、地底を根城にしている以上それだけで居る者全てが一環の終わりになる。このような場所に城を構えているならば、有事の際に使われる主要な部屋と繋がる脱出口があるはずなのだ。はそう考え、この二日、どこかにある道を探していたのだった。そしてそれは見つかった。
 そこは予想通り、見張りも立てられていない、すでに忘れ去られている道だった。十五年前、ハドラーがこの城を根城にしていた時には稼動していただろう。だが今は呼吸の為の空気も必要としないアンデッドたちがこの城を闊歩しているだけ。例外はただ一人。その為に空気穴として使われる事もなく、十五年の間にその存在は忘れらていた。
 夜明けまでもう少しあるであろうこの暗闇の中。この一年でだいぶ利くようになった夜目で、は扉の格子から通路の奥を窺う。誰もいないようだ。侵入を試みようと、錆付いた取っ手を回してみるが、鍵が掛かっていた。は滞りない動きですぐに次の行動に移る。人差し指で鍵穴に向けて五亡星の魔方陣を描くと「アバカム」と唱えた。すると静かな林に鉄の鳴る音が微かに響いた。
 開いた扉から滑り込むように侵入を果たす。は自分の背丈よりもやや余裕のあるこの通路を、素早く駆け抜けた。
 隠し通路は途切れる事なく深部まで伸びていた。それに安堵していると、城を徘徊するモンスターの姿が目立ち始めた。は吐息や人間臭さが漏れないように、首に巻いていた赤いマフラーを目の下にまで引き上げる。そして所々崩れているこの通路を、身を隠しながら進んだ。
 このどれもがアバンから授かった技術と知識だった。これらを生かすと、アバンが生きているのを感じる。確かにそこにアバンの存在を感じられる。はアバンの残した残り香を感じながら、幻とはいえ胸いっぱいに吸い込んだ。

 途中二つの封じた扉を越えて、行き止まりに着いた。ほぼ一本道できたのだ、道を間違えるはずもなかった。おそらくここに何か部屋があるはずだ、とは壁を手を這わせ探ってみる。壁は他の石壁と違って、幾分か薄い気がした。手探りで石と石の間の溝を見つけると、腰のナイフを取り出して差し込んでみた。何度か削ってみると、十五年の間に付着したと思われる砂塵や苔が取れた。その隙間から光が漏れ、覗き込んでみる。細い隙間から窺えたのはどこか広い部屋だという事。は意を決して薄い石壁を静かに押してみた。
 ドアのように開いた石壁を越えると、そこは謁見の間のようであった。冷たく死臭に満ちた城の現城主は、その穢れを統率しながらも、決して腐り衰えはしない。その綺麗な銀髪から覗く顔は、死者を統べる長には相応しくないほどの美しさだった。は思わず見惚れてしまった。
「誰だ」
 玉座に目を閉じて腰掛けている彼は、不意に現れた気配を察知する。は部屋の柱から姿を覗かせた。
「私よ」
「貴様……!?」
 ヒュンケルは組んでいた腕を驚きに解いたが、すぐに肘掛に肘を乗せ、顎の辺りに手を置いた。そして不遜な視線をに寄越す。
「難攻不落のこの城で、よく誰にも気付かれずに此処まで辿り着いたな」
「作りは強固だけど所詮は地下だもの。抜け道はいくらでも作られているはずだわ。私は先生に潜入の術を教わった。難しい事じゃないわ」
 ヒュンケルは鼻を一つ鳴らす。
「封じた扉もあったはずだ」
「開錠の呪文も心得てるわ」
「アバカム? これは珍しい呪文の使い手も居たもんだ。それもハドラーを震撼させた光の技か?」
「さぁ知らないわ」
 本気でどうでもよかった。は己の力の正体など、あの日からの悲しみに比べれば、さしたる問題でもなかった。自分は所詮、異界人。何であれ、この世界の人とは違いがあるのは仕方がない事だと思っていた。
「私はあなたと話をしにきたのよ」
「まだそんな事を言っているのか」
 途端にヒュンケルの眉の間に深い影が刻まれる。だがは臆する事なく、ヒュンケルへと歩を進めた。
「あなたは私と同じ。世界の全てとも言える人を奪われて、身体中が絶望と苦しみと悲しみと憎しみと……全ての負の感情で弾けそうになってる。でも残された私達がそうやって澱んだ気持ちで生きていくなんて、アバン先生も、あなたのお父さんも、望んでいないのよ! 思い出してほしいの! お父さんの今際の際の言葉を!」
「そんな事を言う為に、単身この地底魔城へ乗り込んできたのか」
「そうよ」
 ヒュンケルは鼻から抜ける嘲笑をに浴びせた。
「愚かな。来るなら、仲間と共に討ちに来ればよいものを」
「あなたを倒しに来たんじゃない。話をしに来たんだもの!」
 は神殿跡で対峙した時のように悲愴に顔を歪める。
「信じてもらえないかもしれないけれど……私は、この世界の人間じゃないの。一年前に、元の世界とはまるで違うこの世界へ飛ばされてきた、異界の者なの……」
 ヒュンケルは眉を微かに動かしたが、そのままの言葉を聞き入れた。兵を呼んで捕らえる事は簡単だったが、此処まで乗り込んできたその意気と、何を話すのか幾ばくかの興味があったというのも否定できなかった。
「家族とも離れ離れになったわ。もう一度会えるかも、戻れるかも分からない。そんな一人ぼっちになった私を、アバン先生は守ってくれた。……愛してくれた。私にはアバン先生がこの世界の全てだったの……! ……その先生の生命を奪われて、本当は後をついて行きたいと思った事もある。でも、そんな事出来なかった。だってこの生命は私だけのものじゃない、アバン先生の意志と生命そのものなんだもの。必死に繋いでくれたこの生命を、先生のいなくなった世界で哀しみに耐えながら守っていく……辛くて辛くて、逃げ出したかったけど、先生はそんな事望まれてない……! 剣を取り、魔王軍に立ち向かう事を望まれた! 死地に赴く前に確かにそう言ったの! 目の前の哀しみに潰されないようにするには、愛する人が生前望んだとおりに生きる事だけが、私に残された道だった! そうしていないと、生きていられなかった!!」
 は大粒の涙を頬に零す。今まで秘めていた胸の内を吐露すると、次々に溢れてくる激情が止まらない。震える唇が涙に濡れて赤く腫れている。ヒュンケルは目を瞑って呟いた。
「罪な男だ」
「あなたのお父さんは今わの際に何て言い残した……? 「ありがとう」って、言ったんでしょう? 他に何も残されていない私たちには、大事な人の言葉が全てじゃない! お父さんは人間への復讐なんて望まれてなかった! あなたは、自分の為だけに復讐に燃えているに過ぎない! 自分の苦しみを人にぶつけるだなんて、あなたのしている事は間違っている! 目を覚まして、ヒュンケル!!」
 ヒュンケルは蹴り上げるように玉座から立ち上がった。眉を吊り上げてに鋭く睨みつけた。
「あの女と同じ事を言うか!」
「あの女? マァムね。ええ、きっとマァムもそう言ったでしょうね。そして、あなたはそんなに弱い人じゃない、と続けたんじゃない?」
「うるさい!」
「だって私達は知っている。アバン先生が認めてしるしを渡した人に、苦難を乗り越えられる強さを持っていないはずがないもの! ただの飾りであのしるしを渡さない……! そう、信じてる!」
 いや、信じたかった。だからこそ、ヒュンケルには乗り越えて欲しかったのだ。
 ヒュンケルはギリギリと歯を噛み、その美しい顔を怒りで歪ませた。だがは続ける。まだ伝えなければならない事が残っているのだ。
「ヒュンケル……その名を聞いて、私、思い出したの。――アバン先生は、あなたを探していた!」
「何……?」
 流石のヒュンケルも動揺を隠しきれない。微かに半歩退いた。
「あなたと離れたあとも、先生はずっとずっと、探していた! どの街に行ってもあなたの影を探していた! そうよ、カールに帰らなかったのも、十何年も世界中を回っていたのも、全部全部、全部! あなたの為だったのよ!!」
 の叫びにヒュンケルは言葉を失った。返り討ちにされたあの日から十余年、自分の中にあったのはアバンへの憎悪だけだったのに、そんな自分をずっと探し続けていたなんて。あの空色の髪と同じ明るさで自分に微笑む、かの人が脳裏に蘇った。いつもいつも癪に触る朗らかさで自分を見ていた、あの笑顔。ヒュンケルは震える膝を隠すように、両足を踏ん張った。
「きっと先生は、全部知っていたんじゃないかしら。全て知った上で、あなたを探していた。会って、言いたい事がきっとまだあったはずなのよ!」
「知っていた……だと? オレがアバンを心の奥底で憎んでいるのを知っていながら、ずっと後見していたというのか……!?」
 もはや身体の震えを押さえ切れない。ヒュンケルという人間を根底から覆してしまうような衝撃がそこにはあった。自分で認めたくなくとも、ヒュンケルの中にはアバンという存在がそれほど大きく占めていたのだ。
「あなたのお父さんを殺した事は真実かもしれない。その罪を赦して欲しいと言っているんじゃないの。それでも先生は、全てを知っていながら、あなたの人間の世界での成長と面倒を請け負った。16よ……16歳で一人の人間の人生を背負うと決意し、引き取ったのよ! 先生のその思いを無駄にしないで! アバン先生はあなたから全てを奪っただけじゃないでしょう? 先生と何年も居たあなたが、分からないはずがないわ!!」
「だから何だというのだ! ただの……罪滅ぼしに過ぎないではないか!!」
 認めたくない。自分のこれまでを覆す事実を。ヒュンケルは再び目を吊り上げ、胸の内に憎悪の炎を燻らせ始める。は届きかけた彼の心が離れていく無情に、眉を顰め目を細めた。
「オレには憎む心だけが残っている! 他に残されたものなどありはしない、全てあの男が奪ったのだから……!! あの男が守ったもの全てを破壊しつくすまで、オレのこの身に巣食う業火は収まる事はない!!」
 再びアメジストの瞳が憎しみに染まった澱んだ色に変わる。がどうにか留めようと口を開こうとした時だった、モンスターのグールがこの謁見の間にけたたましく鈴を鳴らしながら入って来た。
「敵襲! 敵襲ー!」
 ダイたちだ。吸い込んだ息をそのままにしての身体が止まった。ヒュンケルはさしたる動揺も見せず、玉座の横に立てかけてあった鎧の魔剣を手に取る。は弾かれたように振り向いた。
「待って! 話はまだ終わっていない!」
「所詮は血塗られた道だ。戦いでのみ己が道を押し通す。弟弟子たちもその気のようじゃないか」
 ヒュンケルは顎をしゃくって謁見の間の扉の開いた先を指し示した。そして「鎧化」の言霊で見る間に武装を終える。重厚な音を立てながらマントを翻し、膝を床に付け打ちひしがれているに、肩越しに言った。
「ついてこい。決戦の場に案内しよう。そこでどちらの信念が堅いものか、見極めるがいい」
 石の廊下に響き渡る硬質な足音が遠ざかっていく。は垂れていたこうべをキッとあげると、立ち上がった。そして右足で一度床を踏みつけると、後姿のマントに向かって叫んだ。
「もう! すぐ力で解決しようとするんだから、男の子って本当に馬鹿ね! 少しはアバン先生を見習いなさいよ!」



 ヒュンケルの後を追ってみれば、着いたのは大きく開けたすり鉢状の空間だった。中央の広場のような空間を囲むように、ぐるりと設置された階段状の客席。教科書で見た事がある。これは……闘技場だ。
 死闘を繰り広げるに相応しい場所だといわんばかりに、が着いた時には既に三人は交戦状態だった。彼らを止めなくては。が慌てて観客席の階段を駆け下りる。と、途端に空が暗くなりはじめた。不自然に変わった天候。あの呪文が使われるのだ、とは恐怖に近い焦燥で全身の血を凍てつかせる。転がるように階段を駆け下りても、彼らの所まではまだ遠い。せめて声だけでも届けと、必死の思いでありったけの声を絞り出す。
「やめてぇー!!」
 だがの声が届くよりも速く、ダイのライデインはヒュンケルへと落とされた。眩しい稲光と耳を割らんばかりの雷鳴。は黒い煙を燻らせて身動き一つしないヒュンケルを見て、膝から崩れ落ちる。
「やっぱり来てたのか! おい、見たか!? おれ達のライデイン! 鎧は壊せなかったけど、きっと中身は黒こげだぜ! ……泣くんじゃねぇよ、勝ったんだからもっと喜べって」
 背を丸めてはらはらと涙を流し続けるを、ポップはヒュンケルを背に見下ろす。傷心に肩を落とすを可哀想だとは思ったが、ここは戦場だ。この心の弱さに幾らかの心配が要った。ポップは打ちひしがれるを見ていて、後ろの気配に気付かなかった。
「ポ、ポップ!!」
 ダイの声でゆび指す方向に、何気なく振り返った時だった。鈍い音を立てて、ポップの頬にヒュンケルの拳が沈んだ。
「……ぐ、ああ……!」
「ポップ!」
 はポップに駆け寄る。
「そんな……! ライデインも効かないなんて……!」
 ヒュンケルは立ち上がった。鎧を通してダメージは受けたものの、それでもヒュンケルの肉体はライデインを耐えきったのだ。その強靭さに息を呑む三人。
「貴様らを侮った……これだけの真似が出来る相手ならばもう手加減はしない……行くぞ!!」
「ダイ! もう一発だ! 雷雲がまだ上空にあるうちに……!」
 ポップの言葉に指を掲げたダイだったが、ヒュンケルの方が初動が速かった。闘魔傀儡掌を即座にダイへと見舞う。そして何の抵抗も出来ぬまま、何の躊躇もなく、ヒュンケルのブラッディースクライドは放たれたのだ。
「ダイ! ダイーっ!!」
 直撃を受け倒れ込んだダイはピクリとも動かない。はダイの息があるのを信じて、助けようと駆け寄ろうとした。が、その足を掴まれた。何事かと見下ろしてみると、ポップがの足首を掴んでいるのだ。
「もうお前しかいない……ヤツと戦え!」
 瞬時に理解した。今、まともに動けるのは自分しかいない。傷付いた彼らを激昂したヒュンケルから守るには、剣を取るしかないのだ。
! 剣を抜け!」
 初めて名を呼ばれた感慨に耽る暇もなく、は心臓が重く脈打つのを感じる。そして視線をヒュンケルに捉えたまま、ゆっくりと首を振った。
「いや……出来ない……やっぱり出来ないよ!」
「まだ言うか!!」
 ヒュンケルは怒号と共に剣をへと突き付ける。足元のポップは掴んでいたの足首を揺らす。
「やれ! やるんだ!!」
 だがは二人の気迫を撥ねつけるかのように、さらに激しく首を振る。潤む瞳からはもう涙を流さない。決然とヒュンケルの瞳を捉えた。
「出来ない! 私は、アバン先生の残した全てを持って生きていくと決めていた。だからアバン先生が信じたように、私もあなたを信じたいと思ってた……でも今は違う! 私自身が、あなたという人を信じたいの!」
「何故だ!? 何故そこまでオレを信じようとする……!?」
 わなわなと震える手が剣に伝わり微かに鳴る金属音が響くのを、最早気に留める事も叶わない。自分の何かを塗り潰される、未知の恐怖ともいえる感情が、ヒュンケルの心をあまねく襲う。の瞳はそんなヒュンケルを逃す事を許さない強さを持っていた。
「言ったでしょう? 私とあなたは同じ……やりきれない思いをどこに向けるか知らないだけなんだもの……!!」
 「絶対」だ。どんなに離れ、どんなに堕ちても、最後の最後まで自分を信じ抜いてくれる「絶対」がそこにあった。今まで指の間をすり抜ける儚さと、束の間の幸せしか感じていなかった男に、その存在は幻のように映っていた。それが今、目の前にある。ヒュンケルにとってそれはとても信じ難く、易く受け入れられない存在だった。今までののように、ヒュンケルは緩く首を振る。

「もうやめて! ヒュンケル!」
 その声に振り向くと、マァムとゴメちゃんがこの闘技場にその姿を見せていた。
「マァム! 無事だったのね」
「貴様、どうやって牢を抜け出した!?」
 マァムはこの場に起きている事態を見て、青ざめる。ダイは斬られ、地に伏しているではないか。
「何て事を……! ヒュンケル、あなたは後輩を、仲間を斬ったのよ!」
「何が後輩だ! こいつはオレの敵の弟子だ!!」
 まるで自分に言い聞かせるように、受け入れがたい目の前の感情から目を背けるように、ヒュンケルは今までと同じ頑なさを見せる。解けかかった鎧を再び纏うかのように、堅く歯を噛んだ。
「ちがうわ! アバン先生はあなたの仇なんかなじゃい! ……地底魔城の隠し部屋でこれを見つけたの」
 そう言ってマァムが取り出したのは、手の平ほどの大きさの貝殻だった。それは「魂の貝殻」と呼ばれ、死に逝く者のメッセージを残す不思議なアイテムだった。父バルトスの遺言が眠ると言われ、ヒュンケルは半信半疑ながらも兜を取り、貝殻を耳に当てた。

 きっとヒュンケルの耳元では亡き父の声が十数年ぶりに聞こえているのであろう。貝殻に耳を傾けるヒュンケルの瞳が、今まで見た事のない優しさと寂しさでその温度を変えていた。奥底に眠る六歳の彼。そうだ、今までのヒュンケルは、泣いている子供そのものだったのだ。には聞こえないが、きっとアバンが仇ではないと言ったマァムの言葉どおり、真実が話されているんだろう。空色の笑顔が見えた気がした。
「では父の命を奪ったのはハドラーだったというのか……!? の言ったとおり、アバンはオレが恨んでいる事を知りつつ見守ってくれていたというのか……!? ……嘘だ……嘘だぁっ!!」
 憎む事で支えていた心を、全て根幹から覆された。目を閉じ、耳を塞いで拒絶したいほどの真実を、他ならぬ父から託された。混乱する頭で出来たのは、もやもやをぶつけるように貝殻を地面に叩きつける事だった。
 そこにダイが立ちはだかった。稲光を背に闘志だけがみなぎった目で突き進んでくる。
「ダ、ダイ!?」
「バ、バカな!? ブラッディースクライドの直撃を受けても生きているとは……!?」
「ダイ!? 何をするつもり!?」
 まただ、またぶつかり合おうとしている。マァムの説得も虚しく、ヒュンケルは再び剣を取る。顎を真っ赤に腫らしているポップを看ながら、は己の無力さに落胆する。皆、こんなに懸命になって諭そうとしても、ヒュンケルには届かない。力のない正義もまた無力……アバンの教えが今、思い出される。きっとアバンもこうした不条理に苦しみ、悩んできて、そして答えを出しのだ。断腸の思いで至った信念。きっとそれを一番早く理解していたのはダイなのだろう。は「勇者」という彼らの精神の強靭さと、その歩む道の険しさを思うと胸が痛む。涙を一筋零し、唇を真一文字に結んだ。そしてもう、彼らを止める事はしなかった。
 の回復呪文で身体を起こしたポップは、闘魔傀儡掌に捕まったダイに雨雲の存在を教える。意識を失い、闘争本能だけで動いているダイにも、あの特訓した日々がおぼろげに思い出された。そしてダイは自力で闘魔傀儡掌を破り、放たれたブラッディースクライドを皮一枚で避けた。間髪入れずライデインで稲妻を呼び寄せると、先程生み出した必殺技、魔法剣をライデインで宿らせる。その魔法力は刀身にみなぎり、そしてかの必殺技の構えを取ったのだ。
「ライデイン……ストラーッシュ!!」
 闘技場に閃光と共に大爆発が巻き起こる。耳をつんざく爆音と腕で防がないと居られない爆風が、その超威力を知らしめる。は震える身体を必死に押さえつけた。
 やがて煙が晴れ、姿を現したのは、両足で立つヒュンケルだった。
「ふ、不死身か、ヤツは……!?」
 だが次の瞬間、ヒュンケルの鎧は粉々に弾け飛び、とうとう彼は地面に身体を預ける事になったのだった。
 そこへダイは地に伏したヒュンケルに止めを刺すべく、無情にも剣を片手に向かっていく。そして剣を振り下ろさんと掲げた時だった、二つの影が彼らに駆け寄る。一つはダイの身体を押さえつけるように抱き締めた。――だった。
!?」
 ポップは身を乗り出す。
 いまだ本能だけで動いているダイは、自分の動きを止めるを敵と判断し、迷わずの背を斬った。
「ああっ! ……ぐ……」
!!」
 ヒュンケルを庇おうと彼に駆け寄っていたマァムは、目の前の血しぶきに愕然とした。はそれでもダイを離す事なく、さらに抱き込み、頭を撫でてやった。
「……もういい……もういいのよ、ダイ……。……ごめんね」
 は顔をダイの眼前に出すと、あの晩のように額から髪へ梳くように撫でる。そして目の前のダイにだけ届く微かさで、笑いかけた。
「――……?」
 ダイの瞳に意識が戻る。目を覚ましたようにハッとすると、この状況に面食らった。何が起きたのか、自分では何も分からない。おろおろとしている普段どおりのダイに、もう大丈夫かと、は身体を離した。そしてそのままへたり込んだ。
!? これ、おれが……!?」
 ダイは自分が持つ剣にある血のりと見比べて、血の気を引かせ青ざめた。マァムが傷を治してやろうとヒュンケルの傍らから腰を上げる。だがはそれを制し、ダイの手を握ってやった。
「いいの……当然の傷なの。皆無事で、本当に良かった……」
「お前は……最後の最後まで……! 何故、敵であるオレを……」
「敵じゃないからよ」
 マァムは代わりに語り、あるものを懐から大事そうに取り出す。それは今も昔も変わらずに輝き続けている、アバンのしるしだった。
「それは、まさかオレの……」
「あの時に拾ってね。きっといつかあなたにこれを返す時が来る……そんな気がしたの。だってあなたはアバンの使徒、私達の仲間だもの……」
 長い間離れていたような気がする。けれども今ようやく、ヒュンケルは本当の持ち主となって、卒業の証をその手にしたのだった。ヒュンケルのまなじりに光るものがあった。
「オレの……オレの負けだ……!」
「ヒュンケル……」

「クックック……!」
 雷雲の晴れた空に不敵な笑いが響く。何者かと周囲を見渡すと、その者はいた。岩山の稜線に炎と氷が一体となったモンスターが不遜な態度で見下ろしているではないか。
「ざまぁねぇな、ヒュンケル!」
「貴様は……氷炎将軍フレイザード!!」
 痛む身体を起こし、ヒュンケルはフレイザードに対峙する。
「何故貴様がここに……!?」
「クハハハッ! 決まってんじゃねぇか! テメェの息の根を止めてやろうと思って来たのさ!!」
「何だと!?」
 ヒュンケルを元々気に入らなかったフレイザードは、大魔王バーン直々に勇者討伐の命を下されたのも相まって、その灼熱の身体で腹の底を燃やしていたのだ。この機に乗じてヒュンケルを亡き者にせんと、闘技場の真ん中に攻撃を打ち込んだ。途端に地底魔城が鳴動する。
「クカカカ! ちょいとここいらの死火山に活を入れてやったのさ! もうじきこの辺りはマグマの大洪水になるぜ!! せいぜい溶岩の海水浴を楽しみな!!」
「おのれ……! フレイザードォッ!!」
 ヒュンケルの怒りの鉄槌も、何の抵抗にもなりはしない。フレイザードは勝利に浸る高らかな笑い声を残し、去っていった。後に残された彼らを、溢れ出すマグマが刻一刻と迫り来る。
「なんとかあの上に……!」
「みんなそんな力残ってねぇよ!」
 そう言っている間にも逃げ出す道は失われ、マグマはまさに洪水のように彼らを追い詰める。皮膚を掠める熱さにの背中が疼く。聖魔法を使って道を切り開く事も出来ない。
 とうとう溢れるマグマに地面が崩れ、灼熱のマグマが彼らを襲いかかろうとした。彼らは迫り来る熱に目を瞑った。……がいつまで経っても火傷の痛みは襲ってこない。そろそろと目蓋を開けてみると、四人を乗せた大岩を溶岩に身を浸しながら抱えているヒュンケルに気付いた。
「ヒュンケル!!」
 真下で、ヒュンケルの呻き声と彼を焼く音がする。
「やめて! ヒュンケル!!」
「こっ、こんな所で……お前たちを殺すわけには……いかん!」
 ヒュンケルにはかの獣王の姿が思い起こされていた。彼が取った捨て身の思い。身を挺してでも希望を繋げようとする「仲間」の思いを、今なら痛いほど分かった。ヒュンケルは友に願う。その剛力を一瞬だけでもいい、彼らの為に貸してくれ、と。
 その願いは聞き届けられた。ヒュンケルはマァムの制止の声を振り切り、ありったけの力を込めて彼らが乗る大岩をこの闘技場の外へと投げ飛ばしたのだ。

 は全身を打ち付ける衝撃と開く背中の傷に顔を歪める間もなく、闘技場を見下ろした。
 彼はそこに居た。清々しい笑顔で彼らを見ながら。
 ヒュンケルは迫り来る別れの時間に若干の寂しさを感じている自分に気付く。無念だとは思うが、最後に目を覚ませたという晴れやかな気持ちでいた。嵩が増し徐々に身体を飲み込むマグマに苦しさもない。こんなものよりも身を苛む苦しさは、とうに味わったのだ。このまま死に逝くことに何の恐怖もない。そんな自分は幸せかもしれないとポツリと思う。持てる力を出しきり、生き抜いたと思える。これが「生きる」事かと、不死の長だった彼は今わの際にそれを知った。
 そして「仲間」に別れを告げるように片手を挙げ、マグマへと飲み込まれていったのだった。
「ヒュンケルーー!!」
 マァムの悲痛な叫びが、溶岩の鳴動に消えていく。
 蠢く灼熱のマグマに目を眩ませるように、は涙を零しながら意識を手放した。
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