ヒュンケル2


「あ……あ」
 の声に、ポップは恐々と伏せた顔を上げてみる。そこにいたのは、かつて対峙した獣王であった。
「ク、クロコダイン……!? 生きてたのか……!」
 闘魔傀儡掌を離れたダイの身体は、まさに糸が切れたように崩れ落ちた。は身体を引きずって回復をしに行こうとする。
 ヒュンケルの魔剣はクロコダインの腹を抉り、滝の様な鮮血が零れている。もしクロコダインが身体を張って庇わなければ、あの技はダイの命を奪っていただろう。剣を止めなかったヒュンケルの悲しいほど悪に染まった瞳を、は最後まで信じていた悔しさに睨みつけた。
「何の真似だ、クロコダイン!?」
「見ての通りだ……ダイたちは殺させん!」
「バカな! 気でもふれたのか!」
 クロコダインは腹に刺さった剣を鷲掴み、ヒュンケルの動きを止めた。そして懐から取り出した魔法の筒を空に向かって掲げ、「デルパ」と唱える。すると中から怪鳥ガルーダが飛び出してきたのだった。
「お前たち……こいつでダイを連れて逃げろ」
「ええ!? で、でも……!」
「あの娘ならオレが何とかする! 今はダイを逃がす事が先決だ! その黒髪の娘を討てと声高に言っているが、おそらくハドラーの本当の目的はダイだ! 今ここで殺させる訳にはいかん!」
 クロコダインは完治していない身体を張ってでも、ヒュンケルを留めようとする。体中から血を噴き出させても、ヒュンケルの鉄拳を受けても、ヒュンケルの手を離す事はなかった。鬼気迫るほどの決死ぶりに、ポップとは気圧され力いっぱい抵抗する事も出来ない。そして合図されたガルーダに鷲掴まれ、マァムとクロコダインを残したまま、神殿跡から飛び去ったのだった。
「頼むぞ……ダイを!!」



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「まぁゆっくり休みたまえ。此処なら奴らに見つかる事はないからの」
 ガルーダに連れられて神殿後から離れた三人は、パプニカの兵士だというバダックに偶然助けられた。レオナ姫のお付きであるという彼に聞くと、レオナ姫生存の可能性を知れた。今は居場所を知ることは出来ないが、パプニカ最強の三賢者に守られており、その身の安全を保障された。それを聞いてダイは心底安堵した。最悪の可能性が払われ、再び希望がダイの胸に宿る。
 だがダイの助けを期待し心待ちにしているレオナの言葉をバダックから聞くと、ヒュンケルに手も足も出なかった無力な自分たちにも気付いた。バダックが隠れ家にしているこのうろから出て行くと、彼ら三人は肩を落とす。
 はダイに身体を向き合わせた。
「ゴメンね、ダイ。私、あなたに謝らないといけない」
「え?」
 突然の事にダイは目を丸くする。デルムリン島のあの日からずっと哀しげな瞳をしていただったが、こんなに消え入りそうな弱々しい瞳をしていた事などはなかった。さらにダイは驚いた。
「私……あなたがヒュンケルの凶刃にかかりそうになっていたのに、剣を手に取れなかった。どうしても、出来なかったの。あなたはこんなに傷だらけになっているのに……ごめんなさい……! もし、クロコダインがいなかったと思うと……!」
 は自分の腕を握り締める。爪立てて、包帯が歪んだ。ダイはその手をそっと取ってやった。
「いいんだ。おれ、の気持ちも分かるもの」
「ダイ?」
 ポップの眉が訝しげに動かされる。
「おれもあいつと同じ、モンスターに拾われて育てられたから……。だから、もしじいちゃんが死んじゃったら、おれも正義の味方を憎んでたかもしれない……悪いヤツになっちゃったかもしれない……。そう思ったら、ヒュンケルに対して本気で怒れなくて……」
「バッ、バッカヤロウ!! マァムが捕らわれてるっていうのに、悠長な事言ってんじゃねぇぞ! しっかりしろよ、お前ら!!」
 ポップは掴みかかるようにダイに向かう。
「いいか!? おれ達は戦うんだ! もう一度力を合わせて……!!」
 ポップに叱咤されるなど奇妙な図だったが、気になどしていられなかった。ダイとはおそらく一番正しい事を言っているポップの言葉を飲み込もうと、俯いて心の向く方を静かに探り出した。



 次の日早朝、ダイとが寝床から身体を起こすと、そばにはもうポップの姿がない。二人が眠い目をこすってうろから出るとバダックに会った。
「ポップ君ならさっき見かけたがのう」
 そう言った次の瞬間、林に広がる光に三人は何事かと顔を合わせる。そして急いで光のする方向に駆け出してみると、そこにいたのは魔法の契約をしているポップであった。

「ライデイン!?」
 とダイの声が重なった。
 ポップは対ヒュンケルの作戦を披露する。ヒュンケルの鎧が魔法が効かない鎧とはいえ、金属である以上雷は通すであろう。そこで電撃呪文を使おうというのだ。ダイだけではレベルが足りず成功も難しい呪文であるが、そこで先程ポップが契約した雨雲を呼ぶ呪文、ラナリオンでライデインの成功を補佐するという内容のものであった。
は呪文が成功するまでヤツを引き付けておいてくれ! 俺たちで力を合わせて、マァムを救うんだ!」
「わかった! 早速やってみよう!」
 ダイはポップの作戦に賛成し、やる気と希望で目を輝かせて頷く。
「待って!」
 だがの制止に意気も揚々としていた二人は勢いをくじかれてしまった。ポップはがくっと揺らした身体をに向ける。
「ごめん……私、やっぱりヒュンケルとは戦えない。話がしたいの!」
「まだそんなこと言ってるのかよ!」
 流石のポップも堪忍袋の緒が切れた。仲間の危険の前にもその頑なさを破らないの態度に、とうとう声を荒げて怒りを露わにした。
「こんな気持ちのまま戦えない……戦場に立っても、きっとあなたたちの邪魔になってしまう!」
「もう勝手にしろ! おれ達はおれ達でヒュンケルを倒す為に特訓する! いいな!?」
 はもう何も言えなかった。止める事も出来ない。出来るのはただ、ポップがダイを引きずっていくのを見つめるしかなかった。
 山間の岩間に広がった場所へ来ると、ポップは苛立たしげに杖を地面に突き立てた。
「いいのかい? ポップ?」
 ダイは心配そうにたずねる。
「あんなんじゃ邪魔なだけだ、構わねぇよ! ……ったく、ガンコな所は昔っから変わらねぇ!」

 二人が特訓を始めると、は離れた所で見ていたバダックに声をかけた。
「あの、バダックさん」
「なんじゃい?」
「不死騎団の……アジトを知っていますか?」



 さらに次の日の夕方、呼んでいる雨雲で雨が降りしきる中、はある程度の収穫を得てポップ達の所へ戻ってきた。昨日からずっと歩き続けた足を引きずって戻ってみると、そこにはライデインを完成させ崩れ落ちた二人がいた。は慌てて駆け寄り、バダックと共に隠れ家へと運び込む。
 は背にポップの乗せながら決意した。このままではいけない。このまま彼らが再び本気でぶつかり合えば、あの人の忘れ形見である私たちは血で血を洗う凄惨な戦いになり、きっとどちらかが死ぬだろう。そんな恐ろしい結末は目に見えていた。は唇を真一文字に結び、眉を顰めた。


「お前、昨日からどこに行ってたんだよ」
 夜、バダックにもらったお下がりの鎖かたびらを直しているは顔を上げずに答えた。
「ちょっとね」
「けっ。……おれぁ思ったんだけどよ。やっぱりヒュンケルのやってる事は悪ぃ事だと思うんだ。そりゃあいつには同情はするけどさ、いくらひどい目に遭ったからって悪い事していいわけがねぇ。悪い事はやっぱり悪いんだよ!」
 は鎖の輪をペンチで繋げている手を止め、ポップに向き直った。微かに微笑んでいる気がして、ポップはドキリとする。
「そうね。きっとポップの言ってる通りだと思う」
 ダイも寝床に転がりながらそう思った。自分には剣を取るしか出来ないけれど、それで切り開ける事もあるかもしれない。は頑なに拒むけれど、剣を取る時はやっぱり今しかないのだ。
、やっぱりそれ自分でやるよ。その鎖かたびら、おれが着るんだし」
「いいのよ。こういうのは私の方が得意なんだし。……それに、あなたにしてあげられるのはこれくらいしかないもの」
 は鎖かたびらとペンチをテーブルに置くと、ダイの寝床に腰掛けた。そして横になっているダイの額から髪へと撫でてやる。久しぶりに見たの微笑にダイも言葉を失った。
「明日も早いんでしょう? さぁもうお休みなさい」
 そう言うとは身体を屈めてダイの額にキスを落とした。ダイは急に額に振ってきた柔らかな感触に驚きはしたものの、それがとても優しいものに思えて、ドキドキするよりも、驚くほど心が落ち着いた。
「あああーー!!」
 ポップの叫びには自分のした事に気付く。
「ああ、ごめん。つい」
 はそう言いながらも大した慌てた様子もなく、平然とダイの額を親指でこすってやる。ダイはというと、これまた平然とした様子で汚れを落とそうとするの手を制止した。そしてニッコリと屈託なく笑った。
「いいよ。ありがとう、
「ん」
 だが一人平然としていられない者がいた。指を指し、わなわなと身体を震わせている。
「な、なんでダイにだけキスしてやってんだよ!!」
「ん? ポップにもしようか?」
 はわざとらしく唇を突き出してやった。途端にポップは顔を真っ赤にして喚き散らした。
「ばっばばばばばばっかじゃねーの!? お、おおおれはそんなんして貰わなくたって別に……!」
「冗談よ。あなたに出来るわけないじゃない。子供のダイにだけよ」
 ポップはこれ以上ないくらい、さらに顔を紅潮させ、悪態を吐きながら寝床に潜り込んだ。はダイに向いて肩をすくめてやる。ダイはひとしきり笑うと、自分も布団をかぶりなおし、横に腰掛けるを見上げた。
「おれ、お休みのキスなんてしてもらったの、初めてだ」
「そっか」
 きっと、あの銀髪の彼もそうなのだろう。人の温もりを知らず、そこに触れる喜びや優しさも知らない。母になれなくてもその代わりになる何かを、アバンはきっとヒュンケルに伝えようとしたはずなのだ。そういう人であったし。……でも届いていない。堅く封をされたヒュンケルの心に、何年もかけて触れ合ってきたアバンでさえ届かなかったのに、自分が届ける事が出来るのであろうか。は不安になる。それでも、届けばきっと彼の気持ちは変わる。躊躇いながらも気付いてくれる。はそう信じていた。
「なんだかってお母さんみたいだ」
 ダイは目を細めてを見る。特訓に疲れたのだろう、目蓋を重たそうにしている。
「こんなに大きな子供いるお母さんなの、私?」
 さっきは自分もダイが子供か弟のように感じていたので、なんとなく気持ちは分かってやった。でもは冗談めかすように片眉を上げてダイを見下ろした。
「アバンの使途が家族だとしたら、アバン先生がお父さんになるだろ? は先生と好き合ってたからその隣にいるお母さんってイメージ、かな?」
「ば、ばか……!」
 先程のポップと負けず劣らず顔を真っ赤にして、は俯いた。普段は笑顔もないほどのであったが、「結婚」を連想させる事に照れてしまうほど、も年頃であったという事か。いつもならアバンの話題だけで辛いのに、こんな話が出来るのはダイの屈託のなさのおかげかもしれない。は照れ隠しに口を尖らせた。
「長兄が一番手が掛かるなんて、お父さんは何を教えてたのかしらね?」


 鎖かたびらの穴を閉じ、繋ぎ目に軽くやすりをかける音が、ダイとポップの寝息と共にうろに響いていた。既に夜は更け、月もない夜空に星だけが静かに軌跡を描いている。そしてやすりの音が止む。は修復し終わった鎖かたびらをそっとテーブルに置くと、眠っている二人を見た。疲れで深く寝入っている二人の寝顔を確認すると、うろの中央に置かれた燭台のろうそくの火をふっと吹き消した。



 夜明けの赤い陽が森に差し込んだ頃、ポップはそろそろと意識を覚醒し始め、身じろぎを一つした。そこへバダックが大声を上げてうろに飛び込んできた。
「ダイ君! ポップ君! ちゃんがどこにもおらんぞ!?」
 二人は弾かれたように飛び起きた。
「っ!! あんにゃろう……!!」
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