モノクロ1
「ダイ君! ダイ君!! 離してッ! 離してよぉッ!」
「マァム! レオナをお願い!」
「わかった!」
目の前の大爆発にその場に居た者は皆、目を見開き唖然とするしかなかった。
急に襲い掛かる喪失感。
そんな。
まさか。
たった一、二秒だったかもしれない。
だが、それを否定したい思いをいっぱいに込められたレオナによる悲痛な呼びかけで、彼らはようやく我に返り、どれだけの時間呆けていたんだと後悔にも近い気持ちに襲われる。
レオナは崖から飛び降りそうな勢いで、今だ空にもうもうと煙る爆発の跡を目掛けて駆け寄ろうとする。はそれを渾身の力を込めて止める。そうしなければ振り切られてしまうほどの力だった。
痛いほど分かる。
レオナの小さく細い身体は筆舌し難い感情で弾けそうになっている。
喉が潰れるほど叫ばないと正気が保てないのを身体は本能として分かっているのか。暗転しそうな意識を何とか繋ぎ止め、水中にいるように歪む視界にその愛しい姿を捉えようとする。
そう、それは必死に。
叫んで、暴れて、身体の機能を限界まで使って、指の間をすり抜けていくような意識を留める。
その弾けんばかりの感情を味わった事のあるは、その苦痛を今まさに感じているレオナを思うとギリギリと歯を噛み締めてしまう。
奥歯を噛み割ってしまう前には、レオナの身体をマァムに預け、アバンに向かってその手を伸ばす。
「先生!」
が自分に向いた時には既に腰のホルダーに手が伸びていた。何を求めているか瞬時に理解した。銀色のフェザーを一つ、に向かって投げる。はそれを受け取るとぐ、と握り締めた。
身体に魔法力が戻るのが分かる。
例えるならば頭が冴えていく感じ。魔法力が尽きるとグラグラと眩暈に近い症状が常に付きまとう。眠りに落ちる一歩手前のようにハッキリしない意識で危なげな綱渡りをしているようだ。魔法力は精神力なんだと思い知る。それが尽きれば頭が働かないのだ。
そんな状態で飛び出すレオナを咄嗟に止める事が出来たのは奇跡に近いと思えた。
そんな事が頭を過ぎっていた数秒で回復した魔法力を使い、は飛翔呪文でポップの元へと飛んだ。
サババで小船を調達した一隊は洋上を、歩ける者は平野や林を、とポップは上空を、喉が嗄れるほど呼んで探した。
日が暮れるまで力尽きるほど。
「日没だ……」
アバンは自分に説き伏せるように呟いた。
あれからずっと、美しい柳眉の間に細かな皺を寄せ、折れてしまいそうな魂を気丈に奮い立たせているレオナへ振り向くと、重くなる足並みを寄せる。そして努めて淡白に進言する。
「レオナ姫。日は落ちました。今日の捜索は打ち切りましょう」
耳を疑う台詞に、レオナはつい険を含んだ視線を送ってしまう。何を言ってるんだ、という台詞が喉まで出かかった。まだダイは見つかっていないというのに。
だがすぐに理解した。
このまま捜索を続けても実りがないことを。
間もなく辺りは闇に包まれる。闇にまぎれては見つかるものも見つかるわけがない。それでも疲労に悲鳴をあげる身体を引きずって探し続けても、それは最早自己満足でしかない。
自己満足でいい、ずっと探し続けていたい。
それは破裂しそうな心を抑える唯一の手段であるかのようにも思えるし、そうし続けたいのが正直な気持ちだが、ただその為だけに思うがまま動くわけにはいかないのも理解している。そう、まずは疲弊しきった戦士達を休ませないといけない。一刻も早く休んで明日からの捜索に備えなくてはいけない。
自分が選ぶ道はベターじゃダメなんだ。ベストでないといけない。
痛みを感じないまま唇を噛み締め、レオナは視線を足元に落とす。
「……わかりました、撤収しましょう」
押し出すように紡がれた言葉を受け、その場の者は無言で撤収作業に移行した。
撤収の信号弾を受け、次々に捜索に出た者が戻ってくる。
吉報をもたらせなかったその足取りは重い。極度の疲労と思いもかけず襲われた喪失感に、日没でなくてもやはりこれ位で限界だったろうとアバンは思う。帰還する兵達の受け入れの準備をするよう、移動呪文を使える者は一足先にパプニカに帰り伝えよと、淡々と指示するレオナの後姿に敬服の念さえ覚える。
「これで全員揃った?」
レオナは誰にともなく周囲に確認する。それに対してマァムはキョロキョロと辺りを見渡した。
「ポップとがまだよ」
「え!? 何時間飛んでるのよ、あの子達!?」
あの朝から日没までの10時間以上、飛翔呪文を使い続けているのか。
疲労も限界のはずなのにこれほどの長時間、集中力を持続させる事は極めて困難だ。否、ダイを見つけなくては、という張り詰めた精神状態だからこそ出来た事なのかも知れない。長時間連続して魔法を使い続ける事など常人には出来ない事のはずだった。
「ん。戻って来たようですよ」
アバンが見上げる西の方角から二つの影が近付く。
そしてものすごいスピードで崩れ落ちるように一同の前に着地した。
見た目で分かる。二人とも魔法力の限界まで飛んでいたんだ。最早膝を地面から上げられないほど疲弊しきっていた。アバンは今にも卒倒しそうな二人に駆け寄り、を胸の中に身体をもたれ掛けさせた。
「大丈夫ですか? 二人とも!」
「だいじょーぶですよ、まほうりょくがつきただけですから……」
二人も抱えられないアバンに代わってマァムがポップを起こしてやる。大丈夫という割りにポップの呂律は怪しい。二人とも頭をグラグラさせて、見るからに限界だ。
魔法力もここまで使い切ってしまうと身体にまで影響を及ぼす事がある。人間、生体維持の本能から、そこまで行かないようにどこかセーブをかけるものだが、二人の様子を見るとその超えてはいけない限界まで使ってしまったようだった。
だが二人は示し合わせたかのようにアバンへと何とか頭を上げる。
「お願い先生……。フェザーで魔法力を回復して下さい……」
耳を疑った。
見ればポップもその気のようだ。
「な……っ、まだ飛ぶつもりですか!?」
二人は既に言うことの聞かない身体で頷きも出来ないのに、瞳だけは真っ直ぐ見据える。
「いけません! 貴方達は先陣切って大魔王と戦ったんですよ!? 魔法力だけではなく体力も限界に近いんです! これ以上は行かせられません!」
そして出来るだけ優しく、だが諭すように言う。
「だからもう休みましょう、ね?」
「休んでなんかいられねぇ! ダイが……ダイが今もどこかで俺達の助けを必要としているかもしれないのに……! オレだけ休んでなんかいられませんよ!!」
ポップの叫びはその場の全員の胸を突き刺した。
口には出さなかったが一人残らず同じ事を思っていた。だが休まなければ見つける事も助け出す事も出来ないという葛藤。燻るその葛藤をそのまま口にする二人を、レオナは張り倒したくなった。皆、せっかく踏ん切りを付けたというのに。
何も言わないアバンに見切りを付け、はその腕から身体を起こす。
「回復してくれないならいいです。歩いてでも探します。行こう、ポップ!」
「おう!」
引きずるように身体を起こし、二人はアバンに背を向けて歩き始めた。
「……わかりました」
低いが承諾のその言葉に、分かってくれたのかと二人は振り返った。
「ラリホー」
に放たれたその魔法は、体力のない今の状態では抗う事が出来ず、有無を言わせず夢の中へと引きずり込んだ。
「せん、せ……どう……し、て……」
辛うじて口に出来た言葉も弱々しく紡ぐ事しか出来ない。その言葉に何も答えず、アバンは崩れ落ちるの身体を抱きとめた。最後に瞬いた時に零れた涙が一筋、の頬を伝い、アバンの衣服を微かに濡らす。
「……さぁポップも眠らせられたくなかったら戻りましょう。いいですね?」
「……はい」
抵抗する術も余地も与えられず、ポップは大人しく項垂れるしかなかった。
アバンが腕の中で寝息を立てているの黒髪に軽く顔を埋め、何事か呟いているのをフローラは見逃さなかった。
++++++++++++
ゆっくりと水面に浮上するように、徐々に意識が鮮明になってくる。
オレンジ色の光と小鳥のさえずりが目覚めた自分を迎える。
来るなと呪っても、来いと渇望しても、素知らぬ顔で廻ってくるこの瞬間。
朝だ。
知覚した刹那、視界に広がっていた天井が、壁や床、ベッドに切り替わった。
「お、おはよう、」
いきなり飛び起きたに驚きつつも、アバンは目覚めの挨拶を投げかける。
だが聞こえてるのか聞こえてないのか、は上半身を起こしたままピクリとも動かない。横から見る目はまだ虚ろだ。普段の状態なら幾らかでも見せる眼球の動きさえも見られない。ボンヤリと一点を見つめるその様はまだ寝呆けてるのかもしれない。アバンはもう一度声をかける。
「?」
「……ダイを……探さなきゃ……」
小さくそう言ったかと思えば、は既にベッドの上に立ち上がっていた。
「はれ?」
「わーー! ーー!!」
「全く……起き抜けに急に飛び起きる人がいますか……」
「すみません……」
飛び起きたのと同じ速さでベッドに崩れ落ちたは、そのまま再びベッドに身体を預けることとなった。ベッドの柔らかさを心地好く感じながら部屋の窓から覗く風景を眼球の動きだけで見やる。
(ここはパプニカか)
脱力した身体こそはまだ少し重かったが、額に自らの右手の重みを感じながら一つ深い息を吐くと、意識だけは鮮明に戻った。
が、ジワジワと湧き上がるモノ。
それがの思考の全てを支配し始めた。
自分の右手の影から傍らに腰掛けるアバンにゆらりと視線を向ける。
「……先生、何でここにいるの……?」
「が心配だったので、目覚めるまで側にいようと思いまして」
「いえ、どうしてこんな所にいるの?」
「ですからの……」
「そうじゃなくて! どうしてフローラ様の所にいないの!?」
苛立ちに近い声を上げるにアバンは驚く。目を丸くしながら何故今その名が出るのかを考えあぐねるが、瞬時に導き出せる答えはなかった。
「フ、フローラ様……?」
「そうです! きっと待ってらっしゃる!」
まだ寝呆けているのではないかと思うほど唐突な詰問に、知らず知らずのうちに口が開いてしまう。が、アバンはを落ち着かせる為にも努めて落ち着いて答えようと試みる。
「ええと、そ、そうですね。長らく無沙汰にしていましたから一度ご挨拶にでも……」
「そうじゃない!」
一際、声を荒げる。
そして俯き加減に声を絞り出す。
「今なら……今ならフローラ様と一緒に……結婚出来るかもしれないのよ……?」
ピタリと符合した。
今までのの言葉の意味が。
似合わない邪推に小さく手を震わせている。
アバンは薄く笑うと、その手に自分の手を重ね合わせた。手の平で小さく跳ねるのを感じる。
「何か勘違いしているようですが、私とフローラ様の間には何もありませんよ?」
「それは……分かってる……。でも、でも……」
アバンは珍しく歯切れの悪いを疑問に思うしかない。だがはその先を続けられなかった。
『フローラ様は先生のことが好きなのよ
十五年……いえ、きっともっと前からなんだと思うわ……』
フローラの秘めたる想いを自分が言う訳にもいかなかった。
否、言いたくなかったからかもしれない。
フローラの気持ちを受けて心が動いてしまうかもしれないアバンを見たくないという狡い気持ちの方が大きかったはずだ。その己のさもしさを直視したくないは、痛みに逃げるように無意識に唇を噛み締める。
起き抜けの頭では最早、自分がどうしたいのか分からなくなっていた。ただぐるぐると頭に浮かぶ言葉を拾い上げるしかない。
「でも……王様になれるかもしれないのよ!?」
「私が王様になりたがってると思いますか?」
クスリと笑う。
「そうじゃないけど! でも! ――でも、身を傷付けながら二度も世界を救ってるんですもの、相応の栄誉が頂ける位の功績を先生は持ってる。それを棒に振るの!?」
「万人の栄誉より貴女一人の愛が欲しい」
大きな黒ダイヤのような瞳から止め処なく涙が零れる。
もう何かも捨ててこの胸に飛び込みたかった。
熱の篭った瞳に見つめられ、愛を欲され、これ以上の喜びはないというのに。
は何処からか湧いてくる子供染みた意地を張り続け、首を激しく左右に振る。
「でも……私は……先生の生命を散らせるだけしか出来ない。守る事が出来なかった……! 先生を助けたのは――フローラ様なのよ……!」
「それはカールの守りを下さったフローラ様に感謝はしていますが、それで結婚云々という話とは別でしょう?」
「別じゃないッ!!」
怒りにも似た声で喚く。
見上げた瞳は既に泣き腫らした後のように真っ赤だった。
「結局、最後に先生を助ける事が出来たのはフローラ様……! 私じゃないの……ッ! 先生に相応しいのは……フローラ様なのよぉ……!!」
顔中を濡らす涙も拭いもせず、かぶりを振りながら泣き喚くように声を荒げる。アバンはを引き寄せようとするがはほぼ無意識にその腕を払い除けて、逃げるようにベッドの上部にまでにじり寄っていく。だがすぐ壁に背が着く。
アバンは逃げ場のなくなったの腕を掴むと、今だ嗚咽を上げ、髪を振り乱しながら左右に振るその顔を覗き込むようにして口を開く。
「正直、素敵な女性ですから憧れた事もあります」
ビクリと身体が跳ねる。
そして身を引いて身体を離すようにするが、腕を握り止めているアバンの両手がそれをさせない。
「でもそれは幼い頃の憧れであって、今に抱いているこの愛ではない!」
俯いたまま顔も上げないに、アバンは言葉を続ける。
「私が好きなのは貴女だけです!」
一瞬、嗚咽が止まる。
が、
「だめ……っ! だめなの……! わかってる、けど……!」
またもやボロボロと溢れる涙はの膝を大いに濡らし、伝い零れてシーツに染み込まれていく。
泣きじゃくるの目は虚ろで、しゃくり上げるとそのまま意識を飛ばしてしまいそうになっている。アバンは常ならぬものを感じ、より一層腕を掴む手に力を込めて、やや強めにの身体を揺さぶる。
「落ち着いてください、」
「わかってる! わかってるんです! でも、でも!」
は分かっていた。
アバンを愛してる。
もう離れたくない。
フローラにだって渡したくない。
だが十五年も待ち続けたフローラの思いの強さ。
それに大勇者への栄誉として一国のお姫様との結婚という世の定石。
アバンはそれを受け取ってもいいぐらいの功績が余りあるほどある。
本来受け取れるはずの輝かしい栄誉に、極める栄華。
それを自分の為に手放す事をさせたくない。
そう思ってるはずなのに。本心のはずなのに。
なのに今、アバンのシャツを握り締めるこの手を微塵も緩める事が出来ない。
きっとフローラが自分の立場だったら、手を離しているだろう。
凛と涙も見せずに。
アバンの事を一番に考えればそれが最善の事だから。
だが……には出来ない。
出来ない自分が我が侭で、幼くて、無様で……。
ここでもまたフローラとの差を見せつけられたようで、の心を痛烈に打ちのめした。
自分の愚かさと情けなさをまざまざと直視し、壊れそうなの心は思考を拒絶しようとする。グラグラとする頭に届く色彩は減ってきている気がした。枯れた様な音をさせながら、空気を呑むようにしゃくり上げる。
「! !」
手放しそうな意識を繋ぎ止めさせようと、アバンは繰り返し名を呼び掛ける。だがそれすらも拒絶するように弱々しく首を振る。涙で髪が頬に張り付いても気にする余裕すらない。
「っふ……ぅ……、ごめ……なさ……! ッひ……ぅ……わ、私……!」
その小さくか細い謝罪の言葉に、アバンは胸の奥の温度が急激に高まった気がした。
「では、どうすればいいんです!? フローラ様のところへ行けと言うんですかっ?」
思わぬアバンの荒げた声にひくりと息を止める。
だがすぐに嗚咽交じりに崩れかけの言葉を吐き出す。
「違う、違うッ! 分からない……! 分かんないの……っ!」
「私とはもう……!」
「わかんないッ! ……うぅ……く……、もう……わか……っな……!」
両手で顔を覆い、くぐもる声で咽び泣く。
「……っひ……く、ぅ……、一人に……して……!」
背を丸め、肩を揺らして泣くを呆然とした目で見つめ、腕を掴んでいた手をダラリと離した。
アバンは出来るだけ小さく、一つ息を深く吐くと、腰掛けていたベッドから腰を上げた。
「……わかりました。私は先にダイ捜索の本営に行きます。ポップもまだ休んでますから、貴女も落ち着いたら一緒にいらっしゃい」
返事は元より望んでいないのか、滞りない動作で部屋のドアまで進むと、振り返る事なく退室していった。
扉の乾いた音が響くのを受けると、は枕に突っ伏した。
そして声の限り泣いた。
あの日。
アバンが死んだと思ったあの日。
こんなに泣いたのはあの日以来だった。
生きていると分かって、やっと二人きりになれた時間なのに。
(私は何してるんだろう)
そんな自嘲すら浮かばせる余裕もなく、咽喉を震わせて泣いた。