ヤドリギ 1
「ねえ〜先生〜」
「まだです」
「続き言ってないんスけど……」
「これで十三回目ですからね。いいですか? ……まだ! 村には! 着きません! 以上!」
眉根を寄せた顔付きと、わざとらしくハッキリした口の動きで牽制するアバンに対して、ポップは「うへぇ、怖〜!」と、これまたわざとらしく大きな声でアバンの隣から歩く速度を落として下がっていく。歩を進めるアバンのやや後方を歩いていたの所まで避難して来た。そしてアバンの耳に届かないようにしているつもりなのか、手で口元を押さえながら「カリカリしてやだね〜」とに囁く。もちろん届いている。は呆れたように鼻から溜め息を一つ吐いた。
「あのねぇ。ポップや私と同じように、先生だってお腹空いててイライラしてるの。早く着きたいんだったら余計なエネルギー使ってないで足を動かしなさい」
そう、今この一行は空腹に喘いでいた。
昨晩の事だった。野営でいざ夕飯にと出した荷物の中の最後の食材は、木陰から飛び出してきたおおがらすに全て掠め取られてしまった。森の暗闇に消えていった黒い影を追う事も出来ず、三人は呆気に取られたまましばらく無言の時を過ごした。そして一日の旅の疲れと空腹と失意を隠しながら、何か食料になるものはないか、心なしか背を丸めて周りを見渡す。が、深い森の中、どの樹も高く実など付けていない。唯一生えていたキノコは食用ではなかった。この時の三人の失望感はいかほどのものか。
アバンはおもむろに地図を広げる。貴重な最新版ではないが、十年以上自分の足で得た地理情報が細かに書き込まれた信頼足りうる地図だ。その地図でも載っていない、未踏の珍しい村があると聞いて、アバン一行はそのエールヒという村に向かっている道中だった。
アバンの指先には赤丸がある。三日前に街道終点の街でエールヒ村の存在を聞き、是非行ってみたいと思ったアバンが教会の公開図書で得た情報を元に、幻の村の地点にアタリを付けて印していた赤丸だ。村はこの地点からそれほど遠くはないはず。アバンは素早く地図をそのように読み、食料を買いに街まで戻るよりは先に進んだ方が得策と考え、方位磁石の針路は依然南西を指したままにした。ポップともそれに従った。
空腹でなかなか深く寝入る事が出来なかった三人は、こうして鳴る腹を押さえつつ、夜明け前にはあるべき村を目指し出発していたのだ。
だから逸る気を抑えながら空腹を紛らわすには、無駄に口を開くしかポップには思いつけなかった。
移動呪文の存在を忘れたわけではない。だがよほどの事態、つまりは生命の危機や急を要する時、そんな事態にしか使用しないと自らに律している為、選択肢にのぼる事はなかった。一日ぐらいの空腹で死ぬわけではないし、一分一秒を争う旅でもない。そんな思いが無意識に脳裏を掠めたアバンは昨晩、地図を取り出したのだが、あるかどうかも分からない不確かな村を目がけて出発した時点で、空腹に頭は回っていなかったのかもしれない。
朝露でいたずらに喉と全身を潤わせながら、アバンは弟子に気付かれないよう嘆息をもらした。
その時だった。
「あー! 先生!!」
ポップのその声に、吐いた溜め息が気付かれてしまったかと、バツの悪さに身を強張らせる。だがアバンを覗き込むポップの顔は茶化すものではなく、零れそうなほど目を見開いて喜びを溢れさせている顔だった。
「ホラ! 村が見えた! 着いたんだ!!」
ポップの指差す先を見やると、木々の隙間から覗く建物の屋根が見えた。アバンは二つの意味で安堵した。
目の前を小鹿のように飛び跳ねるポップの気持ちが分からないでもない。オアシスを見つけた旅人のように、三人は軽く駆け足で村へと向かった。
ようやく着いた安心感と初めて訪れる村への好奇心から、ポップとは弾むようにして太い木の幹を両脇に打ち立てだけの簡素な村の入り口をくぐる。
エールヒ村は、森の中にひっそりと隠れるように集落を佇ませていた。三人が目にする家々は、木造で、且つ地面より上げられた高床式の家屋であった。その外壁は不思議な幾何学模様で色鮮やかに彩られており、建物や集落自体は質素ではあるが、まるで天上の神殿かと見紛う未知の色彩に満たされていた。それらは三人が今まで見た事もない家屋形式であったし、幻の村と言うのは本当かもしれない。そう感嘆の声をあげようとした時だった。
家々がぐるりと囲む集落の中心の広場に、村人と思われる大勢の人々が集まっているのが見えた。それは和やかな朝の挨拶などではなく、どこか緊迫した様子が見て取れる。三人は思わず顔を合わせた。
「おはようございます」
アバンはその輪に声を掛ける。やはり見た事のない、独特の衣装をまとった人々は一斉に驚きの顔を三人に向けた。その驚き様に、ポップとは思わずビクリと体を強張らせた。
「エールヒ村の方々ですよね? 我々は旅の者で、私はアバンと申します」
アバンのその言葉を受け、驚く村人たちの輪の中から頭一つ分小柄で、一番老齢と思われる老人が顔を覗かせた。
「……旅の方かね。この村に旅人が寄るなど、久しい事よの……」
老人の白く豊かな眉が片方動いた。
「いかにも、ワシらはエールヒ村の者じゃ。ワシは長老のレヴィと申す」
無事に目的地に辿り着けた事が分かり、三人は安堵しながらも、いまだに感じる緊迫感を気にせずにはいられない。その様子を長老だという老人も気付いた。
「久方振りの客人じゃ。こんな小さな村じゃから豪奢な事も出来んが、もてなして差し上げたい。……じゃが今、少しばかり困った事があっての……」
長老は周りの村人を見やる。村人達も一様に、自分では判断できぬと言って面持ちで、隣の者の顔とアバン一行の三人を交互に伺う事を何度か繰り返した。何やら値踏みされているようで居心地が悪い。数メートルの距離だが届かないほどの小声で話し合っているのも気になる。そのやり取りがやけに長く感じた頃、波状に広がる小さな頷きと共に真摯な瞳たちを一身に受ける事となった。
その村人達の様子から判断したのか、長老はまたも双眸を隠す眉を片方上げて三人を見上げてきた。
「立ち寄って下さってすぐに、こんな事を頼むのは心苦しいのじゃが……どうか村の娘たちを助けて下さらんか?」
「娘さんたちを?」
そう言って村人の面々を見渡してみれば、確かに妙齢の娘は一人もいない。
「一体どうされたんです?」
「――実は、夜も明けきらんうちから村の娘五人が、此処より先の森の奥、精霊樹の塔に向かって行くのを見かけた者がおる。信じられん事に、まるで何者かに誘われるかのようにふらふらと、精気の無い顔でただ真っ直ぐに塔へと向かったと言うのじゃ。娘たちが村から出る事は、普段では滅多に無い。それがよもや精霊樹の塔になど、有り得ん事じゃ……。おそらく本人達の意思ではないじゃろう」
長老は小さくかぶりを振る。村の人々が痛々しいほどに困惑しているのは、すぐに伝わってきた。だがアバン達三人にはまだ見えてこない。それは長老も分かっている。すぐに話の続きを始めた。
「精霊樹の塔はその名の通り、精霊樹を祭っている塔じゃ。精霊樹は聖なる樹。塔にはその樹の魔力に惹かれて、長年モンスターが棲みついておる。近付かなければ悪しき事もせぬが、ひとたび塔に立ち入れば村の若い衆でも太刀打ち出来ぬ、屈強なモンスター共じゃ。助けに行きたくても、敵わぬ事は目に見えておる……。 それに事が厄介なのはこれだけではない。今日は村の奉納祭。精霊達に祈りと感謝を捧げる、年に一度の大事な儀式なのじゃ。夜までに儀式の主役となる娘達が戻らないと執り行なう事が出来ん。急いで連れ戻さねばいかん……!」
「……なるほど。モンスターに時間制限あり、ですか。近くの街に赴き、冒険者に依頼する余裕も無かったところ、私達が現れたという訳ですね」
「その通りじゃ」
頑強な冒険者と一目で見初められたわけではない。ポップは一身に集まる期待に徐々に鼻を高くしていたのだが、根元から折られてしまった気がした。だがアバンはこれで腑に落ちた。村一つが直面している問題を、二人の子連れの冒険者に依頼する事に、違和感を抱いていたからだ。それほど困窮し、他に頼るべくも無い彼らを投げ出す心情など、今までのアバンからしても持っていなかった。返答は決まっている。だが一つ問題がある。
「分かりました、お受けしましょう」
「せ、先生!?」
屈強なモンスター、その単語にポップはとっくに腰を引けている。言っても聞かない師だと分かってはいるが、出来れば食べ物を分けて貰って厄介事は御免被りたかった。このままでは面倒だけが圧し掛かると算段して、眉の形を様々に変えるしか出来ない。はそんなポップの心の呟きが聞こえたかのように、頭を小さく小突いてやった。
「時間がありません、すぐ出発しましょう。塔の場所はどこですか?」
「村を出て南にほぼ真っ直ぐじゃ」
「わかりました。では……あー」
アバンは二人の弟子と顔を見合わせた。そして意見は合致したようで、申し訳なさそうに長老の方へと向き直した。
「一つ、お願いがあるんですが……」
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「ねぇアバン先生。エールヒ村ってどうして珍しい村って言われてたの?」
はそう言うと、手の中にある胡桃パンを千切って口に放り込んだ。
アバンは『エールヒ村』という名と今まさにかじっている胡桃パンとで、先ほどの情けない己の姿を思い出して、やや俯いた。「食べ物を分けてくれませんか?」そう言われた村の面々が一様に呆けているの思い出すと、情けないやら、恥ずかしいやら。満足に腹も満たせていない冒険者に頼んで大丈夫なのだろうか、と思われたに違いない。助けを求める事は出来たが、村の人々は少しも心配が晴れていないかもしれない。その胸中を思うと申し訳なくなった。多少行儀が悪いが時間もないし、行軍の間にとりあえず空腹を満たす事が出来るよう貰った食料を口にして、これで事件を無事に解決できねば精霊の祟りでもあるかもしれない、アバンはそう思いながらの質問に答えた。
「この世には三柱の神がいます。竜の神、魔族の神、そして人間の神。この地上のほとんどの人間が崇拝し奉るのは人の神です。例外といえるのが竜神信仰のテラン王国。王国と言っても国自体はごく小さく、国民も中央大陸にある大きな街に住む民の数よりも少ないでしょうね。統計を出してみてもきっと本当に一握りでしょう。そしてもう一つの例外。それが先ほどのエールヒ村です。あそこは世界で唯一、”精霊”を崇拝する村なのですよ」
「精霊……?」
「天界の遣いと言われています。だが竜や魔族よりももっとその存在は不透明で、ましてや崇拝の対象にのぼるなど信じ難かった。これから行く精霊樹も、私が調べた文献では伝説の世界樹の挿し木で成長したものだと書かれていました」
「天界? 世界樹?」
は初めて聞く単語達に疑問符を頭上に飛び交わせた。とっくにパンを平らげていたポップは頭の後ろで手を組みながら茶々を入れる。
「眉唾くせぇなー! 世界樹なんて子供の絵本にしか出てきませんよ? そんなのを本気で信じて此処まで来たんですか!?」
「おや、ロマンがあるじゃないですか」
ロマンで腹減らしじゃどうしようもないじゃないですか、というポップの言葉を聞き流し、アバンはの為に講釈を続けた。
「世界が天地魔界で形成されているのは説明しましたよね? 各界を自由に渡る事は叶いませんが、断絶しているわけではない。魔界はむしろ我々地上の人間との関係は密接です。行き来は激しいと言っても過言ではない。ただ、天界は、驚くほどその実情を見せません。実際にあるかどうかさえ危うくなるほどです。その存在を示す書物はあれど、どれも推測とお伽噺の域を脱しない。口伝と伝承のみに伝えられ、それを纏めた物に過ぎないのです!」
アバンが段々ヒートアップするのを感じ、二人の間に嫌な予感が漂い始めた。身振り手振りを交えて話すのは熱が篭り始めた証拠なのだ。
「だがエールヒ村はそんな精霊を信仰の対象にするほどですから、他よりもよっぽど精霊に対する知識を有しているはずでしょう。もしかしたら天界に関する情報も知り得るかもしれない。出来れば精霊樹も調べたいと思っていたんですよ。ですが村の所在も不確かなほど俗世と関係を断っている村ゆえ、外界の人間には閉鎖的で神聖視する樹に近付く事も叶わないと思っていたところ、こんな機会に巡り合えましてね。いや、娘さん達には悪いと思っていますよ? もちろん精一杯助けますし。そんな目で見ないで下さい。ですがこれは滅多にない機会で、学術的な価値は計り知れず……」
ポップとは師の悪いクセに、肩を竦めて大げさな溜め息を吐いた。後ろで講釈はまだ続いている。
村を発って一時間ほどか。アバン一行は精霊樹の塔と思しき塔に着いた。
この森の木々は皆とても高い。見た目は幹部分がほとんどで、枝にまで届こうとしたらただの人には困難を極めるだろう。森は苔むした緑色の柱で出来た、さながら神殿のような空間だった。
精霊樹はその中で群を抜いて高く、大きな樹だった。
幹は人の腕を繋ぎ合わせていったいどれだけの動員が必要か、計算するのも早々に止めてしまうほどだ。天を突くように伸びた幹の先は、太い大枝をせり出して深い葉の重なりが陽光を届けまいと地上を覆う。風で揺らめく葉の隙間から、時々零れる細い光の柱はいっそ神々しくも感じる。森の奥に座す巨大な賢者は、伝説と謳われる世界樹の因子を持つというのも頷けた。
だがその精霊樹に異変が起きているのは直ぐに分かった。
ざわざわと樹のすすり泣きのような音と共に、豊かに湛えられた葉が枯れ葉となって辺り一体へ雨のように降り注いでいたのだ。他の樹々は深緑の葉をいっぱいに波立たせている。精霊樹だけが次々に薄黄色の吹雪を吹かせていた。異常な事態なのだと察知し、三人は身を強張らせた。
アバンは塔の入り口に立つと、後頭部が背中に付くほど真上を見上げた。そうして見上げないといけないほど、樹に添うように建てられたこの塔は高かったのだ。
「ふむ、何かが起きているようですし、なかなかに骨を折りそうだ……二人とも、気を抜かないように」
二人へ注意を促すとポップは恐々と返事をする。
アバンは肩越しに話し掛けたので気付かなかった。
――が眉根を寄せて頭に手を添えていた事を。