ヤドリギ 2
「ひ、い……!!」
ポップは恐怖で崩れそうな足を何とか後退し、わずかながらでも目の前のモンスターから逃げようとする。ジリジリと壁に追い詰められていくのにも気付かない。
「ポップ! メラゾーマよ! マヒャドを使われる前に仕留めて!!」
はもう一体のマヒャドフライの攻撃を何とか防ぐので精一杯で、ポップには助言するしか出来ない。アバンはアンクルホーンと交戦中だ。
塔に入ってしばらくは階段で上を目指すばかりで、屈強だというモンスターはどうしたのかと意気込みが萎えそうになった頃だった。もうここが何階か分からなくなったぐらいに、モンスター達は現れた。どれもアバンの教えにはなかったモンスターばかりで、アバンでさえ戦い方を掴みかねている。ポップとではまだレベルが足りず、攻撃を防ぐだけで今の全力を使い切りそうだった。
「で、出来ねぇよ! おれには使えない……!!」
「出来る!! 契約だって出来たじゃない! 練習もした! お願い、アバン先生を手助けしないと!!」
「無理だよッ! 成功した事無いんだぞ!!」
悠長に言葉を交わしているのを待っているほど、モンスターも知恵が無いわけではない。マヒャドフライの指先に魔力が込められはじめ、辺りに冷気が渦巻く。このままでは大打撃を食らう。マヒャドの冷気だけではない冷たさがの背中を走った。
はマヒャドフライの攻撃を押し留めていた剣を横に払って弾き飛ばし、その隙に短剣を構え直す。そして一つ呼吸を整えた。
「大地斬!!」
二本の短剣を大きく振りかぶり、ありったけの力を込めて撃ち込んだ。マヒャドフライは断末魔の声を上げる間も無く、絶命した。
「ハァハァ……! ――ポップ!」
運良く弱点を衝けたんだろう。何とか一匹仕留めると、は直ぐに息を切らせながらポップへ加勢に向かう。今にも魔法は発動しそうだ。
――だが駆け出そうとして体を振り向かせた途端、塔に入る前の違和感がを襲った。
一瞬、気が遠くなり、水面が泡立つように視界に入る全てが形を成さない。甘く、抗い難い香りを知覚すると、意識が水面から遠く深く沈んでいくのを感じる。なのに体だけは重いながらも動こうとする。遠いような近いような、どこからか聞こえる声に応えるように、足を一歩前に踏み込もうとした。
(ダメだ……!!)
明らかに感じる違和感にそのまま身を委ねる事はさせなかった。は歩き出そうとしたその一歩を、大かなづちのように床に振り落とした。足の裏から膝を通り抜け頭にまで達した鋭い痛みは、の遠ざかりそうになる意識を引き戻した。
ほんの一瞬の出来事だったが、には長く戦っていたような気がした。堰を切ったように荒い呼吸がの肩を上下させる。
(しっかりしなきゃ……!)
は刹那、視界の端にアバンの姿を映し込んだ。自らを奮起させるように助けるべき人を叩き込む。無理矢理に近い奮起だったが、そうまでしないと直ぐにでも先ほどの甘い水に引き摺られそうだった。
さらに事態は悪化する。
階上から重く、そして早い地響きがこのフロアに木霊する。何事かと上に続く階段を見ると、緑色のドラゴンが突進して参戦してきた。大きさはさほど大きくはないが、それでも本物のドラゴンを初めて見たポップとは、戦慄に総毛立った。
「まさか……!? グリーンドラゴンまで!?」
アバンも焦りの色を隠せない。文献でしか見た事がない、魔界のモンスターだ。(何故こんな所に魔界のモンスターが、いや、此処だからなのか)と、考えや憶測をまとめようとしたが、その余裕も無い。
グリーンドラゴンは獲物をその赤々とした瞳に捉えると、思い切り息を吸い込む。そしてアバン達に向かって皮膚をも切り裂きそうな雄たけびを放った!
「う……ぅわああぁぁー!!」
「あ! ポップ!!」
限界に近かったポップの恐怖はこの瞬間に弾け飛んだ。転がるようにして駆け出し、の制止も振り切ってあっという間に階下へ逃げ出してしまった。ポップと対峙していたマヒャドフライさえもグリーンドラゴンの咆哮におののき、忙しく翅(はね)を震わせながらどこかへ逃んでいった。
「何てこと……!」
はポップの突然の逃亡に愕然とする。だが追う余裕もない。アバンに加勢すべく瞬時に体の向きを変えた。
「――とりあえず一波引きましたかね」
アバンは一つ息を吐きながら鞘に剣を収めた。先ほどまで魔物の咆哮と狂い踊る地鳴りが響いていたのも嘘のように、此処も今は微かな枯葉の雨音だけが聞こえる森の静けさに包まれている。
ひとまず回復しなければ進む事も出来ない。二人は体を休める為に円形をしたこのフロアの縁へ、傷付いた体を引きずるように向かう。
この塔は各階とも壁がない。各階を支えているのは円周を支えるようにぐるりと立てられている柱だけで、縁から身を乗り出せばたちまち地面へまっさかさまだろうが、フロアからの眺望はこんな時でなければ中々のものだった。は落ちないように用心しながら地上を見下ろした。ポップの姿はない。
「ポップ、大丈夫かしら。途中でモンスターに遭ったりしてないかな」
「あの足の速さなら大丈夫でしょう。時間がないので様子を見に戻る事は出来ませんが、村にいれば安全です」
アバンは柱に寄り掛かるようにして床に腰を下ろした。その左腕はグリーンドラゴンに負わされた爪跡が走り、痛々しい赤が滴っている。回復呪文を施そうと自らの左腕に手をかざす――が、の手に遮られた。アバンは小さな驚きに目を丸くして視線を患部からへと向けた。その顔はひどく苦しそうだった。
「アバン先生。私がやります」
はそう言って握っていたアバンの右手を解き、傷口に両手をかざした。
「自分でやりますから大丈夫ですよ」
「いいえ、私にさせて下さい!」
どこか頑なで眉間に細かな影を刻んでいる様子は、いつものとは違う。その違和感は彼女も体中に負っている傷の痛みのせいかとアバンは思った。
「だけど貴女も怪我しているじゃないですか、先に自分の治療をしないと……」
「いいえ! いいえ! やらせて下さい! 私なんかの攻撃魔法じゃたかだか敵を怯ませるだけで、倒すほどのダメージにもなりゃしない。先生の魔法力は戦闘で使って下さい。この先もきっと頼る事になります。回復は私にさせて下さい。――私に出来るのは、これくらいだから……!」
目の前の小さな肩が緩く上下している。興奮のまま、まくし立てたからではないような呼吸の仕方だった。深呼吸でもない。一つ一つが常時よりも深く、速い。おそらくは戦闘による高揚感の余韻。だがそれがいまだに続いている事にいくらか心配が要った。震える瞳は患部ではないどこかを見ているようで、切なげで焦燥感にも似たな色を含んでいる。
「少し落ち着きなさい、」
両の手での細かに震えていた手を包み込むように握り、一度小さく振った。左腕の傷で少しの高ささえも上げるのが辛いはずなのに。
言葉は容赦のない強さを持っていたが、その目は細められ優しく穏やかな笑顔を湛えている。まるでうたた寝から醒めた後のように、若干戸惑いながら目を見開いたは、そんなアバンに一瞬息を呑んだ。そして次に息を吐いた時には驚くほど体の昂ぶりは落ち着いていた。自分が肩へ異様な力を込めて怒らせていた事に気付く。
「……すみません……」
そして力なく俯いた。
は悔しさを隠せない。自分が出来る事の数少なさに、傷を負わせてまで守られるだけの無力さに、それでもまだ気遣わせてしまう未熟さに。
自分の未熟を口にするつもりはなかった。してもどうにかなるものではないと分かっていたし、きっと優しいアバンの事だ、困らせる事になる。しかし、気を抜くと意識を失いかける正体の分からない今の自分に対する過度の緊張感、レベル以上のモンスターとの息吐く余裕もない戦闘、そしてそんな中でもアバンの足手まといにならないよう己を無理に奮い立たせた為、体と心が限界にまで興奮し、頭で考えるよりも先に口にしてしまった。そんな自分すらもイヤになる。
その落ち込み様があまりに痛々しくて、アバンは思わず罪悪感に苛まれた。
「……ねぇ」
中空に留まっていたのを下ろしても、握る手はそのままに、アバンは口を開く。
「何も、が苦しむような事はないんですよ。私達はパーティーだ。助け合うのは当然なんです。出来る事を少しずつ集めて一歩一歩進もうとしていくのがパーティーとしてのあるべき姿です。貴女の言うとおり、私は攻撃に徹し、は回復に専念する。これ以上なくシンプル且つ整然とされた作戦だ。私ですら気が回らずに、無駄な魔法力の分配をしてしまう所だった。だから出来る事は回復くらいなどと、己を貶めるように言わないで下さい。回復役も立派な役割だし、事実、命を助けられている。貴女は冷静に戦力を分析出来るし、胆力もある。それに――」
また手を一度、小さく小さく振る。
「――それに私は貴女の回復呪文が好きですよ」
俯いていたはずの顔は目も口もまん丸にして上げられた。
幾ばくか呆けた顔のままでいたは、プッと吹き出したかと思うと、ころころと可愛らしいいつもの鈴の音のような笑い声を上げた。
アバンは自分で言っておいて変な言い回しだと思った。呪文が好きなどという表現は聞いた事がない。
「あはは。誉めて下さったんですよね。ありがとうございます。好きだなんて言われてビックリしちゃったけど、うふふ、うん、嬉しいかも、その誉められ方」
握っていた手はいつの間にか解かれ、その手で口元を隠しながら笑っている。ふ、とその手が離れていた事にアバンは若干の寂しさを感じている。手の中の空虚さはじわじわと腕を伝い胸に到達した。が変な意味で取っていない事に安堵しつつも、さも嬉しそうにほころばせているのを見ると、仄かに温度が違う何かを初めて感じた気がした。次の瞬間には表層からは忘れてしまうようなぐらい、仄かなものだったが。
「ありがとうございます、落ち着かせてくれて。ああ! 先生まだ怪我している最中だったんだ! ごめんなさい。私、頑張りますから、治させて下さい」
はいつものように――本人は気付いてないが――背筋を伸ばした。
「ハイ、ではお願いできますか」
「はい、いいともー」
何ですかそれ。私の国の常套句です。という軽い笑い声の中で、自分は単純だと思いつつもは嬉々として呪文を使った。
自分に出来る事は少なくても、一つ一つ丁寧に、出来れば上手に、こなしていくようは心掛けるようにした。出来る事の数はアバンの側で増やしていけばいい。そう決意すると、「痛いの痛いの飛んでけー」と唱えながら回復呪文を施した。笑っているアバンの痛みが少しでも和らぐように。
「さて、と。行きますか――?」
回復もし終わり身支度を整えようと、アバンはベルトに鞘を装着した。ふと顔を上げると、虚ろな横顔のが動きを止めていた。焦点の合っていない眼はアバンの声にぴくりともしない。そして揺れる柳のようにふらりふらりと体を揺らしながら、一歩、二歩と歩き出す。
「?」
もう一度声をかける。
が、反応をしない。
様子がおかしい事は明らかだ。アバンは引き戻すように強く手を引いた。
「!」
振り向いたの顔は、先ほど「落ち着け」と言った後の顔にも少し似通っていたが、さらに驚きを増している。愕然とした表情で穴が開くのではと思うほどアバンの顔を凝視している。自分が今まで何をしていたのか、分からないといった顔だった。
「やはり今の貴女はどこか様子がおかしい。一体どうしたんですか!?」
アバンはの両腕を挟むように押さえ、強く問い質した。こんな事は今までになく、アバン自身も正直焦っていた。
は小さくかぶりを振る。
「分からないんです……。気を抜くと意識がどこかに溶けていってしまいそうになって、体がいう事を利かないの。行きたくないのに体がどこかへ行こうとするんです……。この甘い香りがしてからというもの……」
「甘い、香り……? 私には匂いませんが」
「え!?」
まさか、という顔で見上げてくる。
「フム……。それはどうやら村の娘さん達の異常行動と関係があるようですね。妙齢の女性にだけ作用する魔法か何かを、ここいら一帯に行き渡らせているのかもしれません。症状はいつからですか」
「塔に入る辺りから。……ゴメンなさい。大した戦力にもならないのに、更に体がおかしいだなんて言えなくて……」
またそんな事を言って、といったような顔を見せてを諌めた。は焦ったように顔と両手を忙しく振って、前言を撤回した。
には自分を謙遜する節がある。謙遜だけならまだいじらしいが、卑下にも近い姿勢は本人にとって良い事はないだろうとアバンは思っている。けれど自分の足りなさをどうにか補おうとするその一生懸命な姿勢と瞳は、アバンの胸に暖かなものを落とす。その頑張りは他の方向に向けばきっと、華やかな可能性を芽吹かせる事が出来るものなのに。
この少女の肩の力を少し抜いてあげたい。アバンは率直にそう思った。
だが、もしかしたらこんな過酷な旅を続けさせる事自体が、を追い詰めているのかもしれない。慣れない世界に順応し生き抜く為には無理をしている部分もきっとあるだろう。ネイル村にでも置いてもらって、いつか帰れる日を穏やかに待つ事も出来るはずなのに。
今も、本来ならば帰すべきなのだ。不調を抱えたままこの先を進んでも、無傷でいさせる自信がない。既に幾度となくこの柔らかそうな肌に傷を付けさせてしまっているのは、服の隙間から見える肌を見れば分かる。
まるで心の声が届いたかのように、は不安に顔を曇らせて呟いた。
「……帰れだなんて、言いませんよね?」
アバンは上手に笑う事が出来なかった。すぐさまの表情は哀しげに歪んだ。
「そんな……! 私、アバン先生の足手まといにならないように頑張りますから! 例え先生の剣になれなくても盾ぐらいにはなれます! だからそんな帰れだなんて……!」
「、! 言ってませんよ。帰れなんて言ってませんって」
ぴたりとは動きを止めた。
「言ったでしょう? 私達はパーティーだ。この先も貴女を頼りにして進んでいきます。けれど覚悟は必要です。無傷では済まないでしょうし、何が待ち受けているかそれすらも分かりませんからね。……それでも来ますか?」
「ハイ」
「そっ、即答ですね……」
「どんな条件であれ、連れて行ってくださるなら躊躇しません」
いっそ清々しいほど迷いの無い瞳に、アバンは思わず苦笑した。こうと決めたらテコでも動かない頑固さは、若い頃の自分にそっくりだったからだ。何故こんなにも付き従う事に固執するのかはアバンには分からなかったが、真面目なの事だ、これも修行の一環として受けなくてはと律儀に決めているのかもしれない。
「ああ、それと」
に分かりやすいように、目に力を入れた。
「もちろん、貴女を盾として使おうなんて気もありません。いいですね? ――全く、貴女はもう少し自分を大事にした方がいい。献身的な事は良い事ですが、自分を心身ともに蔑ろにしすぎです」
「はぁ、そうでしょうか……えっと、クセ、かな?」
「悪いクセです」
そう言って苦笑まじりにの頭をクシャクシャと撫でた。
「さて、これだけ若い女の子ばかりを惑わすとは、さぞ男前なんでしょうね。その姿を拝みに行きますか。私とどっちがカッコイイですかね、アハハ」
「アバン先生に決まってるわ」
冗談めかすのではなく、さも当然といった風に真面目に答えたに、アバンは逆に気恥ずかしくなってしまった。ツッコミ役のポップがいないのが悔やまれた。