誰が為の狂想曲?
気に入ってもらえるかどうか、それだけが気懸かりなんだ。
君は笑ってくれるだろうか。
ただそれだけが気に懸かって、いつも足踏みばかりしてしまうんだ。
それを君はとっくに気付いているのだろうけど。
分かってくれるかな。
やっぱり見得の一つぐらい、張っていたいんだ。
誰が為の狂想曲?
「ね、、これとかどう?」
金髪の少女の華やいだ声が、思案に沈んでいた意識を引き上げる。
休日と言う事も手伝って店内はざわめき――と言うより喧騒に近い――で溢れかえっている中でも彼女の高い声は良く通る。
呆けた――自分にしてはかなり珍しい事態だ、これは――目を上げれば、華奢な白い手には黒のリストバンド。
「良いんじゃないですか」
どうにかぎこちない笑顔で同意を示す。
正直に言えば、彼女が何を選ぼうが何でも良かった。
兎に角、一刻も早く彼女の買い物を終わらせ、家に帰って寝てしまいたかった。
出来れば記憶ごと削除してしまいたいが、如何せん記憶力の良さには些か自信がある。
…正直、トラウマになりそうだ。
「でしょ!?あー、でもこっちも捨てがたいかなぁ」
「…流石にメリケンサックは贈り物として不適当だと思います、レオナさん」
「えー?」
『えー』と言われても困る。寧ろそれは自分の台詞だろう。
そもそも一般のスポーツショップにメリケンサックって置いてあるものだったか。
元の所に返して来い、と言う事も出来ず、はただ息を吐く。
はしゃぐ彼女――レオナ気付かれないように、小さく、ひっそりと。
白いスカートの裾を翻し、ああでもないこうでもないと商品棚を物色する彼女は実に楽しそうだが、何故かメリケンサックを棚に戻そうとしない。
物騒な打撃武器は、――酷く頭の痛い事に――どうやら彼女のお気に召したらしい。
「金属バットの方が殺傷力は上だろう」
「それもそうねえ…」
赤い金属バットを肩に担いで嘯く青肌極悪人面に真剣に頷く美少女という組み合わせに、耐え切れずには頭を抱える。
――何も知らない他人が憎い。
赤の他人にとって、この組み合わせは『歳の離れた彼氏彼女』という風にしか見えないらしい。
周囲から冷やかしと羨望の入り混じった台詞が漏れ聞こえ、それが更にの溜息を誘う。
他人からの評価を借りるなら、は『彼女』役・レオナの『歳の離れた妹』だ。
だが、赤の他人の評価を無視するならばは二人の『諌め役』。
レオナとラーハルトという『一般常識』が微妙に通じない二人の暴走を今止める事が出来るのは、何の因果かだけだった。
馬鹿馬鹿しいが、これ以上何物にも比類し難いほどに心底馬鹿馬鹿しいが、放っておく訳にもいかない。
「どこの世界に空手部の優勝祝いに金属バット贈る人が居るんですか」
「ここに居るわよ?」
「いや、言い切られても困るんですが」
至極当然とばかりに笑うレオナ――メリケンサックを試すように手に嵌めているのに理由は無いのだろう、多分――に、思わず肩を落とす。
力無く落とした肩に、ぽん、と軽く――だがむやみやたらと重量感のある手が置かれる。
「覇気が無いな、珍しい」
高い位置から降る低い声に、普段なら神経を逆撫でされただろう。
誰の所為だ、といつもなら睨み付けて声を張り上げてでも抗議した事だろう。だが、そんな気力は疾うに失せた。
兎に角、今願う事は唯一つだけ。
早く帰って寝てしまいたい、出来れば今日そのものを無かった事にしてしまいたい。
何の事は無い、ただの強制イベントだとでも思えば良い。
普段なら強制イベントは引き起こす側であって巻き込まれる側ではないが、この際だ、それは脇に置いておこう。
とはいえ、『ダイ君空手部個人戦優勝おめでとう記念』と言う名の企画――単にレオナが何かにつけてダイにプレゼントしたがる為の名目に過ぎない――はどうにか無難に終わった。
例のリストバンドはともかく、メリケンサックまでセットで贈る必要があるのか分からないが、バットその他諸々の武器だけは全力を以って除外させた。
そんな自分の手腕は褒められてしかるべきだ、とまでは言わないが、労いの言葉ぐらいは欲しい。
ささやかな願いも空しく、レオナの『ついでだから映画見て行かない?ちょっと見たいヤツがあるのよね〜』の一言で、映画鑑賞(二時間半)。
ラーハルトの『参考書でも見てくるか』の一言で書店巡り(一時間強)。
朝から人の多い繁華街で歩き回るのは意外に体力を消費する。しかも面子が面子だ、体力どころか精神力まで膨大に消費してしまい、はかなり参っていた。
限界だった。
漸く気の済んだらしい二人に『そろそろお腹が空きませんか?』とさり気無く休憩を申し出たのは半刻ほど前。
昼御飯の時間にしては遅かったのが幸いだったか、適当に見つけたカフェで落ち着く事が出来た。
オープンカフェなど初めて通されたが、存外悪いものでは無い。
行き交う人の多さと日差しの明るさには閉口するが、人間観察には持って来いだ。
それを発見出来ただけでも良しとしよう。
「で、どうした?」
「…何がです?」
先程の書店巡りで購入したらしい『模範六法』に視線を落としたまま問うラーハルトに溜息混じりに応じる。
因みに、彼が買った書籍の多くは法学関係ばかりで異常に嵩張って仕方が無い。
空席に積まれた本の所為か彼の極悪人面の所為か、無駄に人目を引いている気がしてならない。
「さっきから妙に大人しいが、拾い食いでもしたか」
「あなたじゃあるまいし、そんな事はしませんよ。大体ずっと一緒にいたんですよ、そんな暇ありません」
「暇があれば」
「あなたじゃあるまいし、と言いませんでしたか?
随分と耳が悪くなったんですね年ですか済みません気にしてらっしゃるようでしたら一応謝りますが」
「調子が出てきたようで何よりだ。で?」
ぱたり、とラーハルトが本を閉じる。次いで普段に比べれば随分と機嫌の悪そうな目を向けられ、妙に居心地が悪くなる。
だが、普段から斜に構えた目をしているのだ、もしかしたらこれが地なのかもしれない。
無意味にアイスティーのグラスに手を掛ける。
気を紛らわす為に触れた筈のグラスだったが、表面に付いた大量の水滴で手が濡れ、酷く不快だ。
――否、気を紛らわしているわけでは無い。
そもそも、これほど居心地が悪い思いをしているのは世界が終わろうとも相容れない相手と二人きりという絶望的な状況の所為だ。
(恨みますよ、レオナさん…)
『ちょっとお手洗いに行ってくるわね』と席を辞した少女の胡散臭い笑顔が脳裏を過ぎる。
この最悪な状況を引き起こした少女は未だに戻ってくる気配が無いが、それは寧ろ今の
にとっては幸いな事だった。
溜息と共に吐き出す。
「…ストレス溜まるんですよね」
「ストレス?」
「言いたい事が言えない、というのは精神的に参るんです。レオナさんだけならともかく、ラーハルトさんまで一緒ですから」
レオナだけならまだ良かった。これほど疲れることも無かっただろう。
だが、問題はラーハルトだった。
まさかレオナの前で口喧嘩を始める訳にもいかず、ただひたすら黙って世界が終わろうとも決して相容れる事の無い青肌極悪面の言動を見逃し続けてきた。
無視して黙っているだけでも良かったが、レオナに気を使わせる訳にもいかず、全力で適当――この場合、場に沿った、と言う意味だ――に相手をしていた。
思い出すだけで苛付いてくる自分が、酷く狭量な人間に思えてしまう。
苛々とストローでグラスの氷を掻き混ぜグラスの底に押し下げるが、浮力に逆らえずに浮き上がってくる。
余計に腹が立ち、手を止めて顔を上げた視線の先には、傲岸不遜に笑う男の顔があった。
眦を吊り上げ、は精一杯にそれを睨みつける。
「子供だって気を使うんです。その所為で疲れる事だってあるんです。ラーハルトさんには分からないでしょうけど」
「そんな」
「言って置きますが全力で貶してますから」
「先読みしたつもりか?オレは『そんな事は無い』と言うつもりだったんだが」
「…は?」
「オレとて気を使う事ぐらいある」
「それは新手のギャグですか」
「信用が無いな」
「信用されたければそれなりの言動で示して下さい」
「手厳しいな」
「当然でしょう。冷淡と評して下さってもわたしは一向に構いませんが」
「そうか」
「そうです」
言いたい事を言うだけ言って、は幾らかすっきりした心地でアイスティーを口に運ぶ。
随分と水っぽくなった筈の紅茶はしかし、然して不快にもならなかった。
「随分話が弾んでたみたいだけど、お邪魔だったかしらぁ?」
ひょい、と唐突に顔を出したレオナは締まりの無い顔で嘯いた。
この物言いからして恐らく――否、確実にラーハルトとの会話を立ち聞きしていたのだろう。
――随分と行儀の悪い事だ、良家の子女が聞いて呆れる――些かうんざりして胸中で独りごちる。
それに何故、彼女がそこまで締まりの無い顔で楽しそうに笑っているのかには皆目見当が付かない。
だが、居心地の悪い空間を打破する彼女の存在は心底有り難かった。
心から感謝を込めた笑顔をレオナに向け、立ちっ放しの彼女に席を勧める。
「いいえ、お待ちしてましたレオナさん」
「あら、ありがとう、」
「ところで、ずっと思ってたんですが…」
今更だ、と胸中で冷静に吐き捨てるが、捨て置ける問題ではない筈だ。
少なくとも、にとっては。
「なあに?」
僅かに言い澱んだに、席に着きながらレオナは微笑を浮かべて首を傾げた。
華やかな彼女の容姿に、その仕草は似合い過ぎていた。
あまりに似合い過ぎて、行き交う人――大部分が男であるのは仕方が無い事だ――の視線が集まる。
良くも悪くも、ただでさえ人目を引く面子だ。今更ながらには断じる。
「何でこの面子なんです?いえ、別に文句があるわけじゃ無いんですが」
「ダイ君は泣く泣く除外、ポップ君は面倒臭がりそうだったし、ヒュンケルはちょっとねぇ…てなわけでこの人選」
にっこりと笑って一人頷くレオナに思わず納得して頷き返しそうになるが、寸での所で思い止まる。
ダイに関してはレオナの言う通りだ。
彼女はプレゼントを渡す相手を伴って買い物に出るような性格ではない。『渡すなら驚かせたい』と思う性質だ。
ポップは確かにこういう買い物に付き合わされる事を面倒臭がりそうだが、何だかんだ言って付き合いが良い。
態度だけは渋々、しかし本心では楽しんで付き合ってくれるだろう。引っ張り出すには苦労しそうだが。
ならば、ヒュンケルは。
荷物持ち位にはなるだろう、とも思うが――買い物に付き合わせるには全く適していない。
例の不幸体質で以って何を引き起こすか分からない所為だ。
ついでに言えば、黙って立っていれば所謂『美青年』然とした容貌の所為で無駄に人目を引いて仕方が無い。
レオナと並べればさぞかし絵になる事だろう。
あくまで『他人の目にはそう映る』と言うだけで、彼らを見慣れているにとってはどうもピンと来ない。
しかし、『他人の目』に関して言えばラーハルトとて――にはさっぱり全くちっとも少しも分からないが――それなりの美形だ。
繁華街に出てから往来を行く人がやたらと振り返る。しかも女性ばかりだ。
レオナの容貌も相まって、男女問わず不躾な視線を投げ掛けて来る。おかげで二人の間に挟まれたは現在進行形で酷く居心地が悪い。
当の本人達が欠片も気にしていない辺り、の疲労を更に増大させる一因になっているのだが――この二人は気付いていないだろう。絶対に。
兄達を除外する理由は分からないでもないが、そもそも何でその人選の結果がラーハルトなのかさっぱり分からない。
他でも良かった筈だ。マァムならば快く付き合ってくれただろうに、よりによって――。
長考し、それさえも今更だと頭を振って溜息を吐く。
「…今一真意が伝わってないみたいで何よりです…」
肩を落とすを一瞥し、ラーハルトが思いついたようにレオナに向かって口を開く。
「これからどうする?もう用は済んだのだろう?」
「んー…。帰るにはまだちょっと早いわよねぇ…」
頬に手を当てて虚空を眺め遣りながら考え込むレオナに、の頬が僅かに引き攣る。
確かに、まだ日は高い。時間にはまだ余裕がある。だが、正直――これ以上、この面子で繁華街を歩き回りたくない。
どうにか上手い事を言って買い物を切り上げさせようと、半ば自棄気味に口を開こうとした、その瞬間。
「あ」
視界の端を過ぎったのは長い、黒髪。
「どうかした?」
不思議そうな表情でこちらの顔を覗き込んでくるレオナに、曖昧に笑って応じる。
気の所為かも知れない。
そもそも、いくら世間が狭いとは言え、そんな偶然がある筈は無い。
それに、彼女の隣に立っていた人物には全く心当たりが無かった。
否、自分が彼女の交友関係の全てを知っている訳ではない。
伴っている人物に心当たりが無いからと言って『あれ』が彼女で無いという根拠にはならない。
「今ちょっと知り合い…が…」
口早に説明しながらアンティーク調の華奢な椅子から飛び降りる。身長の所為だ、仕方が無い事とは言え、妙に腹立たしい。
視線を上げ、周囲を見渡すが、益も無い事に苛立っている内に『彼女』を見失ってしまったらしい。
「…アポロか」
不意に高い位置から、押し殺したような低い声が降って来た。
顔を上げた先には――いつの間に席を立って来たのか、本来なら顔も見たくない男が傍らで目を細めて人混みの先を見つめている。
その視線の先を追えば、先程視界の端に映った長い黒髪の女性と、短い黒髪の男の後ろ姿。
隣を歩く長身の男に屈託無く笑い掛けるその横顔は、間違えよう筈も無い、の親しい知人にして図書館司書のエイミだった。
「あの男の人、あなたの知り合いなんですか?」
「大学の同期だ。隣にいる女は知らんがな」
「エイミさん…だと思いますが」
図らずも、自分の知人の隣を歩く男が天敵とも言うべきラーハルトの知人とは。
世間が狭いにも程がある。
しかも、どうもかなり親しい間柄のようだ。何事か話す度に、エイミの肩が小さく揺れる――笑っているのだろう。
漠然とした不安感が急速に胸に広がり、どうにも落ち着かない。
声を掛けても良い筈だ、いつもの様に『こんにちは、エイミさん』。
それだけで良い。何も難しい事は無い、ゆっくりと遠ざかる二人にただ一言声を掛ければ良い、ただそれだけの簡単な事。
だが、どうしても足が動かない。
「あらぁ?何か面白そうねえ」
「面白そうって、レオナさん…」
いつの間に席を立ったのか、後ろを振り返った先には頬に手を当てにんまりと笑うレオナが立っていた。
野次馬根性丸出しのレオナに呆れ返っては溜息を吐くが、当の本人と言えば。
「気にならない?気になるでしょ気になるわよねえ」
実に生き生きと目を輝かせていた。水を得た魚、とは正にこの事だろう。
他人の色恋事に事ある度に面白がって首を突っ込む彼女の事だ、碌な事にならない気がする。
ポップは現在進行形で碌な事になっていないが、まあ、それは別の話だ。今は何の関係も無い。
だが。
「…嫌な予感がするんですが」
呟いて傍らのラーハルトを仰ぎ見る。
が、眉間に皺を寄せてこちらを見返してくるその目には、はっきりと諦めの色が浮かんでいた。
――こうなった以上、誰が止めてもレオナは止まらない。
例えここにダイが居たとしても彼女を止める事は出来無いだろう。
分かっている、分かってはいるが、足掻きたくなる事だってあるだろう?
「あの、レオナさん?ちょっと落ち着いて下さ」
「追うわよ」
目を輝かせ息巻くレオナには最早の言葉など届くどころかかすりもしない。
軽い足取りとは似付かわしくない速さで遠ざかる長い金の髪を呆然と見送り、は長々と盛大な溜息を吐いた。
探偵でも気取ったつもりなのか、前を歩くエイミと男――アポロといったか――に気付かれないよう付けているのは野次馬根性の成せる業だろう。
あまり感心出来る事では無いが。
「諦めろ、子供でも気を使うのだろう?」
力無く落ちたの肩に、ぽん、と軽く――だがむやみやたらと重量感のある手が置かれる。
「…例外を認めるのが、大人の度量というものだと思います」
肩に乗せられた手をぞんざいに払い除け、目を細めてすっかり小さくなってしまったレオナの背を見遣る。
どうせどれだけレオナと距離が離れても携帯電話で連絡が取れるのだ。
このままレオナの後を追えば、『食い逃げ』という非常に間抜けな前科持ちになってしまう――それは御免だった。
急いでも、どうせ碌でもない結果が待っているに違い無いのだから、
「ここはラーハルトさんの奢りでお願いしますね」
小さく舌打ちするラーハルトにしっかり釘を刺し、は出来るだけゆっくりレオナを追う事に決めた。