純潔最終日 1
「ネイル村に帰る?」
「うん……。流行り病が村中に蔓延して、母さんだけじゃ回復呪文が追いつかないから、私に帰ってきて欲しいって書いてあるの……。死者も出てるくらい深刻な状況みたい……」
マァムは手紙から目を離す事なく話し、手紙を持つその手も唇も、細かく震わせていた。いつも穏やかな笑みを湛えるその横顔も今まで見た事がないほど一気に憔悴しきってしまっていて、は思わず肩に手をかける。大丈夫よ、マァムはそんな意味を込めて一度顔を上げてを見たが、すぐ手紙に目を落とした。
「日付は?」
「一週間前……」
ギルドの中の喧騒に紛れてしまうほど、その声はか細かった。
「ロモスに向かっててよかった。こうして早く受け取れたもの。何ヶ月も手紙を受け取れないなんてザラでしょう? おばさんもきっと分かってるから大丈夫よ。ね?」
うん、マァムはそう小さく呟いて、頷いた。
慰めではなく、本当に幸運だった。
一度旅に出てしまえば、冒険者と連絡を取るのは困難を極める。明日はどこに向かうのか、何をしているのか、はたまた生きているのか。それは本人ですら分からない事も多く、確実にこうすれば連絡が取れる、という事は無きに等しかった。
そこで使われるのがギルドへの置手紙だ。
各地に点在する冒険者ギルドに手紙を預かってもらい、届け先になる本人がそのギルドに着けばようやく受け取れる、というシステムになっている。勿論その為にはギルドの店主に顔を覚えてもらわないと、本人と見なされず受け取る事が出来ない。しかも世界各地のどこのギルドに、いつ、誰が預けているかなど、本人には知る由も無い為、受け取った時にはいついつまでに帰ってきてくれという日付をとうに過ぎていたり、いついつまでに荷物を持ってきてくれという依頼を受け損なったり、などという事は日常茶飯事であった。そこそこの知名度を得てからでないと使えない、いつ受け取れるか不確かである、内容が確実に守られるという保障も無い、といくつも難点はあるが、伝書鳩は個人で使うに難しい為、他に替わる方法もなく、今はこの置手紙を使うのが主な連絡手段だった。
だからたった一週間でこの手紙を受け取る事が出来たのは、稀に見る早さであったのだ。
「ポップ! ちょっとこっち来て!」
ギルドには十人ほどの冒険者がいて、各々情報交換とばかりに話に華を咲かせている。その喧騒を飛び越えて聞こえるように、は大きめの声で店主と話し込んでいたポップを呼んだ。ポップは店主との話を切り上げると険しい顔で小走りに駆け寄ってきた。
「どうした? ……って、おっおいマァム! 顔真っ青だぞ、大丈夫か!?」
笑顔は無いものの、マァムは気丈に顔をあげた。
「実はね……」
マァムは手紙を見せながら、村の惨状とパーティーの離別をと同じように告げる。
その話を聞いて、ポップも顔に影を落とした。
「今、ギルドのオヤジにも聞いてきた。旅人はネイル村への立ち入りを禁止するお触れも出てるらしい。伝染性の疫病で、王家の医師団も駆り出されたみたいだ」
「そんなにも……?」
未だかつて聞いた事の無いほどの深刻な事態が、故郷に起こっている。マァムの表情はさらに暗くなった。
「急いでネイル村に行こう! 私達も回復呪文が使えるもの! きっと役に立つと思うわ!」
とポップは頷きあい、少しでもマァムを元気付ける為にも力強く笑って見せた。そんな二人にマァムは顔の強張りを少し解いた。が、すぐに先程の憔悴した顔とは違う、神妙な面持ちを見せる。
「いいえ。二人共、来ては駄目」
一瞬、二人の時が止まる。
何を言われているのか、分からなかった。
「な、何で? マァム? 少しでも回復呪文の使い手が多いほうが村の人たちを早く助ける事が出来るでしょう?」
「そうだぜ、俺たちだって幾らかでも手伝う事はできるはずだ! こうしている間にも苦しんでるかもしれねぇだろ? 早く行ってやろう!」
そう言って飛び出しかかったポップの腕を、マァムは掴んで止める。振り向いた先のマァムの顔は、まだ厳しい眼差しでいた。
「駄目よ! 村へは私一人で行く!」
「どうしてそんなに拒否するんだ! 人命が懸かってるんだぞ! それにお前の大事な人達の事じゃないか!?」
「それでもあなた達を村へ行かせる訳にはいかない!! 私達は何をしてるの!? ダイを探しているんでしょう!?」
ポップはその言葉に二の句を告げられずに開いた口を押し留めてしまう。も開こうとした口を困惑のままつぐんでしまった。荒げた声のやり取りにギルド内は静まり返るが、そんな様子など目にも入らずマァムは掴んでいたポップの腕を外すと言葉を続けた。
「村は国も動いてくれているみたいだし、私もこれから行くんだから大丈夫! でもダイを探しているのは世界中で何人もいないでしょう? 私達全員が歩みを止めてしまって、誰がダイを見つけられるというの!? 私は行けないけど、二人にはすぐにでもダイ探しの旅を続けて欲しいのよ! だから、そんなあなた達にうつす訳にはいかない。うつってしまったら回復呪文があってもすぐ治るとは限らないもの!」
その眼差しからは強い意思を感じ、ポップとの二人はもはや何も言う事は出来なかった。
「じゃあ、私このまま行くね」
無言のままギルドの外に出ると、再びマァムの発した言葉に二人は驚愕した。
「もうかよ!?」
「ねぇ! ルーラで送っていくよ! それぐらい、いいでしょう!?」
縋るようなの瞳を見てマァムは心は揺れ動かしそうにしたが、すぐに首を振った。
「……ありがとう、。でも、気持ちは嬉しいけれどやっぱり駄目よ」
「どうして!?」
「村の外でもどこまで広がっているか分からないもの。近付かない方がいいわ。大丈夫。ここからなら近いし、すぐに帰れる。本当に私は運が良かった」
そう言って微笑んだマァムに対して、はこれ以上食い下がる事は出来なかった。マァムの言う事は全て最もであったし、厳しさの中にある優しさを十分すぎるほど感じ理解もしていた。だからこそ、その思いをむげにする訳にもいかず、は掛け損なった手を胸の前で握り止めた。
急激な寂しさを感じるよりも早く、マァムはポップとと力強く握手を交わし、旅の行く末を祈り、そして別れを告げた。
人通りの激しい通りの真ん中で、ポップとはマァムの背が見えなくなってもしばらく立ちつくしていた。自分達の方が笑顔で見送らなければいけなかったはずなのに。そう思いながらも達は揃って力無く呆けてしまっていた。
「マァムとの別れはいつも急だね……」
「そうだな……」
一年もの間、この三人で一緒に旅をしてきたというのに、別れる時はこんなにもあっけないものなのか。は一抹の寂しさを感じながら、この旅のはじまりを思い出していた。
一緒に旅をしないか、と言われた。
可哀相なぐらい顔を真っ赤にして告げたポップを見て、も同じぐらいの赤さで頬を染めた。
は重苦しい空気を取り払うように努めて明るく、そして無神経な言葉を吐いた。
「いっ、いいけど、マァムも一緒に行かないかな?」
我ながらずるい、と思った。
ラーハルトと旅に出たヒュンケルを追うようにエイミが飛び出した事に、マァムが少なからずショックを受けている事を知っていた。今誘えばきっとついて来てくれるだろうと容易く想像がついた事も、何よりポップと二人きりになる事態は避けたかった事も。
想い合えていることは、お互い分かっていた。
決定的な行動も言葉もお互い取らずにしばらくいて、ようやくそうとも取れるアクションを起こしたのが、このポップだったのだ。それなのに、こんな態度を取ってしまった自分を次の瞬間には恨めしく思った。急な事に動転してしまったとはいえ、せっかく意を決して言ってくれたのに。は歪む顔を隠すようにポップに背を向けた。
二人きりの時間が見知らぬ喜びと幸せをもたらしてくれるような期待も持っていた。けれども気恥ずかしさの方が大いに上回り、つい意固地になってしまう。次の瞬間から恋人として振舞え、と言われてもには素直に切り替えることが出来なかった。
「オレは別にいいけど……」
「じゃあ、マァムにも聞いてくる!」
そう言っては逃げるように駆け出した。
何とも言えぬ表情のポップを残して。
だが、それからの一年は思いのほか上手くやれていた。それはかつての旅のように厳しいながらも楽しくて、三人はさらにその絆を強くするものとなった。
ポップとの二人はその心地良さに浸り、さらにお互いを直面する機会を失う。望むものはこんな状態ではなかったはずなのに、見て見ぬフリをして決定的な結果を迎えようとはしない。
そして、そのまま一年逃げていたツケが今になって返ってきてしまった。
ふと気付く。
二人同時に、避け続けていた状況に今まさに置かれてしまった事を。
「……二人きりになっちまったな」
ポップのその言葉に、途端にお互いを意識してしまう。意識しだしてしまえば最早、自分では他の事に意識を移す事などまず出来はしない。
こっそり隣を見ると、当然のように目が合ってしまい、は乱暴に視線を外した。
気まずい空気のまま、は口を開く。
「そう、だね……」
これ以上どう言葉を紡げばいいのか、には分からなかった。ただ呆然と、道につっ立っているしかない。
そんな二人に、往来の忙しい人々はいつまでも優しくはない。
「……きゃ!!」
通りすがりに肩をぶつけられてしまい、は思わずよろけてしまう。ポップはそれを慌てて受け止めてた。が、気付けばすっぽりポップの胸の中に入っていた自分に驚愕する。見上げたポップの顔の近さに、身体中の血液が沸騰した気がした。
「ゴ、ゴメン……!」
慌てて身体を離しても、その感触はすぐには忘れられなかった。
男の人の身体だった……。
今、目の前にいるポップが全く別人のような気さえしてくる。
かつて自分が知っていたポップはあんなに背が高くなかった。腕が太くなかった。胸は厚くなかった。力強くなかった……。
進んでしまういけない想像を、目を強く瞑って振り払う。本当は頭を力いっぱい振りたかったのだが、こんな場所でそうもいかないので目を瞑るしかには出来ない。ただただ、思考の温度が急騰するのを止められなくて、は目の奥が熱くなるのを感じた。
そんなに気付いて気遣っているのか、ポップは赤さの残る顔を背けながら話す。
「ココじゃなんだからよ……、酒場にでも行かねぇか?」
「う、うん……!」
は気を紛らわせてくれそうなものには、縋り付くように飛び乗った。
薄暗い店内は怒声に近い野太い笑い声に包まれており、入った途端に酒精と脂の匂いにむせ返る。入ってきた若い二人を値踏みするかのような下卑た視線が纏わり付くが、それを跳ね除けるように、慣れた感じでポップは毅然とテーブル席に着いた。背中越しにカウンターへ向かい、手早く紅茶を二つ注文すると、姿勢を正面に戻して舌打ちを一つ鳴らした。その表情は険しい。
そう。
は酒場の雰囲気は嫌いな方ではなかったが、何故か今日のこの場の空気は馴染めないものがあった。重く纏わりつくような粘着質の空気。夜ならば分かる気がするのだが、今はまだ昼すぎだ。これは今日、ロモスに着いてからも感じていた事だったが、この酒場に入ってその違和感とも言える異質の空気が一層濃く感じた。
やはり出ようか、そう口にしようとした時だった。
「おいおい坊主! ミルクの間違いじゃねぇのか? お子様には紅茶も早いんじゃないんでちゅかねー!? ギャハハハハ!!」
思わず眉をしかめそうな下卑た笑い声ではやし立てる赤ら顔の中年男。嫌になるがこんな事は初めてではない。いつものように相手にしないのが一番だ。二人はそう思って無視することを決め込んだ。
だが赤ら顔の男はジョッキを抱えたまま二人のテーブルまで千鳥足で近付くと、酒精の匂いを撒き散らしながらの顔を覗き込む。さすがに眉をしかめた。
「おぉい、よく見れば可愛いネエチャンがいるじゃないのー。へぇ〜いいねぇ、全身しゃぶり尽くしてやりたい感じだねぇ〜! へへッ!ちょっとコッチ来て酌でもしろよ、オネエチャン」
汚い言葉を吐いたかと思うと、酔っ払いの遠慮無しの力での手首を掴んだ。
「った……!」
「テメェ!! その手を離せ!!」
ポップは蹴り上げんばかりに椅子から立ち上がると、烈火のような勢いで男に掴みかかった。
「ンだ、この野郎、生意気に……! 引っ込んでろ! おめぇのようなクソガキに用はねぇ!!」
「ただのクソガキかどうか、身をもって味わえ!!」
そう言って素早く右手に魔力を練りはじめた。
いけない、あの目は本気だ!
は身体を冷やしながら驚愕した。そして瞬時に視線を切り替え、掴まれた手首を返すとその勢いのまま男を背負い投げて、背中から床に叩きつけた。店中に地響きのような音と振動が響き渡る。
久しぶりに全力をもって力を走らせてやったのだから、案の定、赤ら顔の男は泡を吹いて昏倒していた。
しんと静まり返った店内に我に返ったポップの声が響く。
「……」
「ダメよ、ポップ。人間相手に本気を出しては」
諌めるように視線を足元の男からポップへ移す。
「……すまねぇ、ついカッとなった……。止めてくれて助かったぜ……」
やはり今日の雰囲気はおかしい。はそう思った。ポップが人に向けて魔法を打とうなんていう冷静さの欠けた行動を取る筈がなかったし、も剣に手を掛けなかったものの、セーブが効かず一般人相手に全力で体術をお見舞いしてしまったのだ。
一緒に連れ立っていた仲間が二人、ポップとの機嫌を窺うように声を掛けてくる。
「わ、わりぃ……! コイツ、普段は大人しいヤツなんだが、酔っちまったみたいで……! 豹変ぶりに俺たちも面食らっちまったんだ……」
「いいから、この人を連れて行って下さらない?」
の冷たく響く声に、男達は伸びて青くなった男を担いで足早に酒場を出て行った。
「何かおかしくない?」
倒れた椅子を戻して腰をかけると、酒場のマスターが急いで先程注文した紅茶を持って来た。二人で大きく息を一つ吐くと、その香りいい紅茶を一口含んでようやく気を落ち着かせる。そこではポップに尋ねた。
「ああ。なにか不穏な空気っていうか……ここいらの雰囲気が澱んでる感じがするな」
「うん……。しかも人に影響を与えてる。さっきの男もそうだけど、私達だっておかしかった。冷静に考えれば、あんな行動は取らなかった筈だもの」
そうだよな、ポップはそう言って、もう一口紅茶をすすった。
二人の間に幾ばくかの無言の時が流れる。
カップが空になる頃。
「オレ、考えたんだけどさ……」
「え?」
「……これから、一度パプニカに戻らないか?」
「これから?」
「ああ、そろそろ戻らねぇと姫さんもウルサイし、今回の事も報告しないといけないと思うんだ」
「……そうだね……。何かダイの事と関係があるのかもしれない……」
はこのロモスに起きている不穏な空気に考えを張り巡らそうと、空になったカップを指で弄りながら俯いた。
「もっと調べてから、とも思ったんだが、その……ホラ、さ……」
急に歯切れの悪くなったポップを不思議に感じ、は顔を上げた。するとギルドの前で見ていた時ほどではないが、ほんのり頬を染めて視線を外しているポップに気付く。
それだけで覚った。
このままではこの二人きりの状態がいつまでも続く事を。
進展を阻むものが何もない今、進展せざるを得ない事を。
……これから夜だって来る事を。
はひゅっと音をさせて息を呑むと、顔から火を噴き出したかと思うくらい赤くした。
「そ、そうだよね! うんうん、そうしよう! そうしないと!」
耳に届く喚き声で、今自分が喋っている事を理解した。それぐらい頭の中は真っ白に元通り、再び使い物にならなくなっていた。視界がグルグルと回りはじめ、既に自分が何を喋り、動いているか、は分かっていない。
「じゃあもう行こうか! 私、先に出てるよ!?」
「お、おい!」
ポップの声も聞こえずに荷物を引っ掴んで酒場を飛び出すと、肩で息をしている自分に驚く。頭を揺さぶられそうなほどの心臓の鼓動に言葉を失った。奥底から響くような、自分ではどうしようもない胸の高鳴りが執拗に己を攻め立てる。は胸を押さえつけるが、そんな事では治まりはしない。
素直に想いを受け止め合ったら、待っているのは喜ばしい時間だと頭では分かっているはずなのに、見知らぬ甘さを怖がるようにはただ逃げ続ける。
こんなにもあからさまに態度に出してしまっていたら、いつかポップも呆れて自分を見捨てるかもしれない。そんな容易く出来る想像には心を凍て付かせる。それでも想っていてくれるなんて自惚れは、持っているつもりはなかった。危機感を感じながらも、天邪鬼は腹に居座り、今もこうして最も傷つける態度でポップに接してしまっている。
は己の絶望的な愚かさに、泣きたくなった。