デルムリン島3
「貴様は一体……っ!?」
言葉の全てを言い終わる前に、は既に抜刀し地を駆けていた。
瞬時にハドラーの懐に潜り込むと、ナイフを腹の前で握りこむ。狂いのない精密さと静かな殺意で、迷わず下から突き上げるようにハドラーの左胸を狙った。人外の赤を宿す瞳はナイフの先が狙う左胸ではなく、ハドラーの魔族の赤い眼をぶれる事なく射抜いている。
魔王の名も飾りではない。
身体を反らし、凶刃をすんでで避けた。だがはすぐに身体を次の行動へと移す。もう一本のナイフを腰の鞘から抜き出すと、驚くほどの敏捷さでハドラーに連続攻撃を繰り出した。
「……!?」
まるで別人のような戦い方に、アバンは目を瞠った。こんなは見た事がない。恐ろしく強く、そして静かだ。
それよりもあの真紅の瞳。いつもの黒曜石の瞳は見る影もなく、今は血よりも紅いギラギラと怒りに猛った獣の目をしている。いつかの村で見たあのルビーの瞳は見間違いではなかった。赤は人には存在し得ない瞳の色のはず。その不可思議な瞳は憤怒の焔を輝かせながら、標的だけを見据えている。
ハドラーは癪に障る攻撃をして来るを煩わしく思った。戸惑いが徐々に怒りへと変わる。
「くそぉっ!!」
纏わりつくを吹き飛ばすように、拳を振り上げ、投げ下ろした。だがはそれを後ろへ跳ね飛び避ける。
そして着地すると、二本の指先で身体の前に大きく円を描いた。その指先は金色に光っており、たちまち金色の円陣がの前に描かれた。
「散!!」
は号令と共に円の中心を拳で打ち抜くと、金色の光の帯が霧散し、標的であるハドラーへと向かって降り注いだ。金色の散弾の直撃を避けつつも、腕や太腿をかすめ先ほどのような傷を刻み付けた。
「ぐあぁっ!! な、何なのだ、この魔法はっ……!?」
聞いて答えが返ってくるわけでもないが、言わずにいられない。ハドラーは未知の力を前に狼狽を隠せなかった。やはりこの不可思議な魔法の使い手は、間違いなく目の前の小さな少女だったのだ。
は一拍の呼吸の間も取らず、流れるようにナイフを握り直し、攻撃を畳み掛けるようにハドラーへとその双牙を向けて走り出した。
が、そこでは身体に異変を感じた。
「っ!? ……っく、う……!」
身体中が爆発するように鼓動し、胸の奥に激しい痛みを覚える。ハドラーにまで辿り着く前にその足は止まってしまった。
ハドラーがそれを見逃すわけがない。バーンより与えられた最強で高潔なる肉体を傷付けられて、怒りは心頭だ。ただの子供に見せるわけもなかった、奥の手とも言えるヘルズクローを突出させると、怒りに任せて反撃を開始した。
「小娘が! 調子に乗りおって……!!」
はふらつく身体で攻撃を避けるが、自分に起きた突然の変異について行けない。クローが真っ直ぐ自分の貫こうとしているのが分かるが、中空に逃げた身体を上手く動かす事が出来なかった。咄嗟に避けたものの、二本のクローはの脇腹を貫通した。
「あああっ!!」
「っ!!」
は地に崩れ落ちる。噴き出す血がの衣服をみるみる紅に染め、血だまりを作った。
ハドラーは横たわるを容赦なく蹴り飛ばした。の身体は吹っ飛ぶようにポップたちのいる辺りにまで転がる。
「くたばれ!!」
ハドラーがとどめを刺さんと、怒りの形相でクローを振りかぶりながら目がけて駆け出した。
「やめろぉっ!!」
飛び出したのはダイだった。
ハドラーの拳に斬りかかってその猛攻を止めようとした。
だがその攻撃は軽々と止められ、ダイはハドラーに捕まり地面に何度も叩きつけられてしまう。グッタリと力の入らなくなったダイの身体を、同様に吹き飛ばした。
は血まみれの手を弱々しく、そばに倒れるダイへと向ける。
「ダ、ダイ……」
「! ダイ!」
ポップはダイを起こして肩に担ぐと、慌ててに駆け寄る。
「チッ! ……んん?」
ダイに舌打ちを吐き捨てると、ハドラーは手に違和感を感じた。見てみれば、小さく傷が付き青い色の血を滴らせているではないか。
己が激昂していくのが分かる。魔王と恐れられた自分が、たかが子供にここまでよってたかって不名誉な傷を付けられてしまうとは。身体が怒りに震えるのを抑える事で精一杯だ。
「おのれぇ……! ガキ程度苦しまずに逝かせてやろうと思っていたが、ここまでオレ様に盾突くとは……! もう容赦せんぞっ!! ズタズタにしてくれるっ!!」
ハドラーは地獄の炎を手に宿らせていく。
「い、いかん!」
全身を襲う激痛を忘れ、アバンは気が付けば駆け出していた。
洞窟中に呪文の炸裂音が木霊する。
襲いかかるはずの痛みや熱はいつまで経っても訪れない。
耳をつんざく衝撃音、それに爆風と熱波がようやく収まりかけたところで、咄嗟に覆った腕を下げて見た。
そこには自分たちを身を挺して庇うアバンの姿があった。
「……大丈夫ですか、みんな」
なんてこの場に似つかわしくない笑顔なのだろう。ダイたちはその朗らかさに一瞬毒気を抜かれてしまった。眼鏡が外れた素顔だったからなのか、こんな時だというのに急にアバンに人間味を感じた。だがそれは鉄壁の仮面が崩れてしまうほどの事態に直面している事に他ならない。現に、アバンは崩れるように膝を地につけた。
「せ、先生!」
「大丈夫ですか!?」
「ア、バンせん、せぇ……」
は喉から奇妙な音をさせながら嗄れた声を絞り出す。弱々しく身体を起こしてアバンを覗き込むと、自分でも驚くほど真っ赤な手を差し伸べるように向けた。
アバンは自分の傷も忘れてその手を一瞬でも早く掴みたいという気持ちに駆られた。だが無意識に伸ばした手は届く事がなかった。
「がっ……! っは!」
込み上げる鮮血がの口から溢れ、苦しげに咳き込んだ。大量の吐血が傷の痛々しさを物語る。
アバンは咄嗟に肩を抱こうと手を伸ばした。が、弾かれたようにすんでで止めた。動揺を、それこそ血反吐を吐く思いで押さえ付けた。今触れてしまえば、きっと離す事が出来ない。抱き締め、己の腕の中でずっと守りたくなる。それを容易に想像できたからこそ、奥歯を噛み締め、怒りを抑える事に徹した。
「、貴女は自分の治療に専念していなさい」
冷たいようにも取れる言葉だったが、これがアバンにとって出来うる限りの冷静さだった。今、かけ続けている回復呪文を止めたら命がないのも、十分すぎるほど自分を心配していてくれるのも、には分かっていた。その優しさが愛しくて、愛しくて、苦しかった。
「先生は大丈夫? 痛むでしょう?」
ダイの心配する声に顔を向ける。
「ふふっ、そりゃ痛いですよ。でも痛がっていられません。奴のパワーはかつて魔王だったとき以上……しかもその上には大魔王が控えていると言うんですからね」
ポップの生唾を飲み込む音がここにまで聞こえてきた。
「敵は私の想像をはるかに上回る存在でした。今の我々の力量では勝てません……!」
「そ、そんな……!」
「だからこそ奴だけは……魔軍指令ハドラーだけは私がこの場で倒します! そしてダイ君、ポップ、……。あなたたちの手でいつか必ず大魔王バーンを倒してください……!」
張り詰める思いがする、静かだが力強い一言一言を紡ぎながら、アバンは再び立ち上がった。その言葉の強さと意味、そしてあの決意が込められた瞳に、ただならぬものを感じたのは自分ひとりではなかったはずだ。
「ま、まさか先生……死ぬ気じゃ!?」
言葉にするなと怒りたかったが、それどころではない。本来ならば立ち上がれないほど重症だというのに、は前のめりになりながら膝を地面から上げる。そして噴き出す血で更に紅くなった手を、アバンの離れていく背中に向かって彷徨わせる。
「わ、私も……!」
「よせ! !」
ポップはの肩を抱いて止めた。横から顔を覗き込むと、もう真紅色の瞳はどこかへ消え失せており、いつもの黒い瞳が苦しげに歪む双眸に鎮座していた。
「いや! 行かないと……! 先生を、助けないと……! きっと、私はこの時の為に、ここへ、この世界へ来たんだわ……! アバン先生を、助ける為に……!」
の切れ切れに紡がれる言葉は、聞く者の胸につんざく痛みを与えた。
「嫌……いやぁ……!」
置いていかれる。
闘いからか、何からか。には分からなかったが、本能的に感じ取る焦りから涙が止まらない。の霞む視界に映るのは、アバンの傷だらけの背中と、縋るように伸ばした己の血まみれの震える手だった。
その必死さは痛々しいほどで、ダイは代わりに自分が何かしてやりたいと思った。即座にアバンに向かって駆け出そうとした。
「先生! おれも……!」
だがアバンは振り向きざまに呪文をかけた。その呪文はたちまち皆の身体を鋼鉄へと変えていった。
「こ、これは!?」
「アストロンじゃ! 身体を鋼鉄の塊と変え、あらゆる攻撃も跳ね返してしまう高等防御呪文じゃ!」
「で、でも、これじゃ……」
「……動けない!」
頭の先まで変化し終えると、アバンは剣を一旦鞘にしまった。
「これならみんな安全です。そこで私の最後の戦いを見守っていてください」
「やっぱり……!」
嫌な予感は当たった。駆け寄って止めたいのに身体はちらとも動きはしない。いくら動かそうとしても動かない。こんな無力感は焦りを通り越して怒りだ。傷口すらも固まり痛みも止まっていたが、もし痛んでいてもは感じなかっただろう。焼け付くような焦燥感が、を狂いそうに苛んだ。さっきから目も合わせてくれないではないか!
「ハドラー。お前にも情けがあると言ったな。もう少し時間を貰おう」
「いいだろう。愚かにも残された魔法力を弟子の為に使ったお前には、もはやオレに敵う可能性はないからな」
「一応、礼を言っておこう」
そう言ってダイたちへと振り返ったアバンは、懐からあるものを取り出した。涙型の石をあしらった首飾りだった。
「そ、それはアバンのしるし……! 卒業の証だ!」
「卒業の証?」
ポップは知っていたようだが、はそんなものがあるとは初めて聞いた。
「卒……業……?」
まるで死刑宣告のような響きだった。
身体の芯が凍てつき、震えが止まらない。呼吸がどんどん浅くなっていく。胸が押し潰されて満足に空気を吸い込めない。
ダイの首にかけ、そしてポップの首にもかける。その動きをどこか遠いような、薄幕を通したような、まるで古い映写機を通してみているようなボンヤリとした景色を目に映しこんでいた。それが涙のせいだとは気付いていなかった。
「……」
ダイとポップに卒業の証をかけ終えると、次にかけようとの前に歩み寄った。ようやく合った目が、こんなに苦しいだなんて。はさらに涙を溢れさせた。
「――貴女がこの世界に来たのは、これから立ち向かう試練の為だったのかもしれない。それは辛く厳しいものでしょう。貴女を襲った突然の災難だったでしょうが、そこには何かの意味があるのだと思います。どうかこの運命を憎まず、世界を愛して守ってやって下さい。大丈夫、この一年で貴女は既に卒業してもいいぐらいの力を会得していました」
薄く、熱っぽくアバンは笑う。
「……それでもこの卒業の証を渡さなかったのは……貴女を手放したくなかった私の我が侭からだ」
顔が変わる。これは教師としての顔だ。
「――でもこれで名実とともに卒業です」
そう言っての首にしるしを通す。
そして呪文で硬くなった髪でもまるでいつもと変わらないように、指先に絡めて梳くように優しく髪を撫でた。たったそれだけで、作った教師としての顔など保てなかった。眼を細め、自然に上がる口の端は細かに震えてしまいそうになる。それを最後の見栄で必死に覆い隠した。
滑らせた手を頬に止めると、壊れ物を扱う指先でそっと触れた。零れ続ける涙がアバンの指先を濡らす。そして逸らす事のない視線を絡めたまま、アバンは顔を寄せてやや傾げた。
「愛していました、」
最後のキスはいつもと同じように熱っぽかった。
「え……!?」
「先生……」
二人の関係を急に告白されたダイとポップは驚いた。だがアバンはそれが当然の事のような顔で照れる事も臆する事もない。流れるような動作でから離れると、もう目を合わせる事はなかった。ダイら三人に発破をかけて、ブラスとゴメちゃんにお礼を言う。
そして振り返ることなく戦いへと赴く。
この残酷な魔法のせいで、はアバンに駆け寄る事も、ひざから崩れ落ちる事も許されなかった。あの決意に満ちた顔を見れば、何をしようと考えているのかが分かる。この先の事を自分に見せるなんて、なんて酷い人なのか。はもう届かないであろう恨み節を胸の内に宿らせる。
言葉もキスもいらない。
行くなら私のこの両の目を潰して行って欲しかった。
そう叫びたくても声が出なかった。ただただ、止め処なく涙が溢れる。
向けられたアバンの背中が涙で滲んで崩れた。
アバンは全生命力を掛けた真言を紡ぐ。
生命の爆風を身に感じながら、は狂ったように悲鳴をあげた。