ネイル村にて
は手の中の弾丸を見つめる。
ひんやりとした薬莢体部分がいつの間にか体温で温められているほど、その弾丸は長い間の手中にいた。あの人が残した数少ない、”物”。はか細い残り香を掴むように愛しげに指でなぞり、さらに目を細める。
(この曲線はどうやって作ったの? この先端の石は何で出来ているの? きっと楽しそうに作り上げたんでしょうね)
は少しでもアバンの気配を感じるものに、心が揺り動かされてしまうのを止める事が出来ない。いつまで経っても空の弾丸に魔法を詰め込めず、隣のポップが意味深な瞳を向けているのにも気付かない。ただ、手の中の弾丸に想い人を映し、語りかけていた。
「ヒャダルコ!!」
怒鳴り声のような詠唱に、は驚愕に震えた。つい忘れていたポップの存在を横で気付き、弾かれたように顔を向ける。
「ホレ、おれの分は終わっちまったぞ。自分で言い出したんだからさっさと詰め込んじまえよ!」
そうだった。せめてものお礼にと、弾丸に魔法を詰めておくとマァムに言ったのはだったのだ。マァムが食事の用意をしに行って、そしてすぐダイが飛び出して行ったその時からしばらくの間、自分は呆けてしまっていたんだとようやく気付いた。我に返ったは「う、うん」と呟く。そして一つ深い深呼吸をすると、弾丸の先に親指を掛け「ルカニ」と唱えた。
呪文が吸い込まれるように収まると、今さらながらにその技術に驚嘆する。自分がいた世界の科学の力など及ばない、全く別次元の技術。しかもこの世界ですら二つとない、まるでオーパーツのような飛びぬけた粋の結晶が、この魔弾銃だ。これを作ったアバンという者の底の深さ、広さに、は感嘆よりも何も知らなかった己の浅薄さを痛感し、うな垂れていた。勇者であった事も知らない。どれだけの知識と技術を持つ者なのかも知らない。自分は一体、どこを見ていたのか。何を見てアバンという人間を知ったつもりでいたのだろうか。恥ずかしさと情けなさ、そして話してくれなかったアバンへの若干の憤りを感じていた。短くとも、触れ合った身体と心の熱を分けあったはずなのに、何も信用してくれなかったのか。自分に残されたそんな甘い思い出の中にいるアバンへ、は一人ごちる。
「先生は……」
ポップの身体は波打った。まるで怯えに近い震えで身を揺らす。の口からアバンの名を語られるたびに、己の中の黒いものを感じざるを得なくて、ポップは戦々恐々との唇の動きを瞠った。
「――先生は、色んなものを残していたのね」
は相変わらずそんなポップの視線に気付かないまま、手元の弾丸を見つめたままだ。
「ああ」
「どうして……! ――ううん、なんでもない」
どうしてそんな人が生命を奪われないといけないのか――そんな事を口にしても仕方のない事はとうに理解していた。だが気を緩めれば一斉に吹き出してきそうな怒りと憎しみが、の中をいまだに荒れ狂う。そんな時決まってキンキンと痛む頭を、は押さえようと額に手を伸ばした。
ふと指先に当たった深い溝。
は息をするのも忘れて、自分の顔を確かめるように撫でた。ひた、ひた、と顔中を這わせる。そして慌てながら腰のナイフを鞘から抜き、刀身を覗き込んだ。”これ”は鏡のようななめらかな表面ではなく微かに波打つ表面だからだけではない事が分かった。
(ひどい顔……)
眉間に深い皺を刻み、目に暗い影を落としている。あれから何日経ったのか正しく憶えてはいないが、決して少なくはない日々の中で自分がどんな顔をしていたのか、はようやく意識を向けられた。
「私……どんな顔してる?」
「あ?」
「ねぇ、どんな顔!?」
言葉を止めたり、急にナイフを覗き込んだり、ポップにはの行動の不可解さについていけない。だが苦しげな目を向けられて背けるなど出来なかった。それにただの気休めも許さない真剣さも持っていた。ポップは思ったとおりの事を正直に口にする。
「そうだな……――ずっと、じんめんちょうみたいなひでぇツラしてっぞ、お前!」
「……そう」
文句の一つでも飛んでくるかと思いきや、想像以上の深刻さでナイフを覗き込んでいるを見て、ポップは言い過ぎたかと思った。せめてアルミラージぐらいにしておけば良かったか。そんな素っ頓狂な事を思うほど慌てながら。
「本当……ひどい顔。じんめんちょうにも悪いわね」
口元は全く笑ってなんかいないのに、吐き出された空気だけが嘲笑っている。その自嘲はとても痛々しかった。ポップは掛ける言葉をもう上手く見つけられないでいる。
「――このままじゃ、駄目なんだよね。こんな顔のまま、逢いに行けないよね」
まるで自分に言い聞かせるかのような呟きは、最早人に伝える言葉にはならない。
「は? 誰に……」
「ごめん。私、身体動かしてくる。あと、お願い!」
は魔弾銃の箱をポップに押し付けて、ダイのように駆け出して行ってしまった。ポップの呼びかけに答えもせずに。
「何なんだよ、ったく……!」
後に残されたポップは、手元に生えている雑草を犠牲にして釈然としない気持ちをぶつけた。
は人気の無い森の中にいた。
目を瞑り、自分の欲するものを形にせんと、意識を集中している。
(私は弱い)
自分にはアバンが言うような強さを持っているとは思えなかった。いつでもアバンの知恵と身体と心を頼りにし、助けられてばかりだった。だが今は、すぐにでもアバンが望むような強さを手に入れなければいけない。自分の足で立ち、一瞬でも隣にいたアバンの名を汚さないよう努めなければならない。一切の妥協を許してはいけない。
そうは思っても、の心はまだ痛みに悲鳴を上げ続けている。弱い、そう自覚しても簡単に払拭出来ない影は、根強く、黒く、重く心に圧し掛かる。だからこそ、せめて身体だけでも強くならなくてはと、こうして修行にやってきたのだ。
強い身体に強い心も宿るかもしれない。先生に相応しいだけの者に今からでもなれるかもしれない。いや、ならなくては。そうでなければ、あのロモスの山に赴く事は出来ないのだから。はさらに意識を己の深遠へと潜り込ませていく。
はあの日、自分の身に起きた事を思い出す。怒りに血液が沸騰し、時間の流れが緩くなるのを感じた、あの激情。一度掘り起こせば、抑えていた紅い感情がマグマのように滾ってくる。耳のそばで高く弾ける音が断続的に聞こえてくると、はようやく目蓋を開いた。
そこに在るのは、深紅の瞳。
自身はそれに気付いていないが、身体にみなぎる黄金の炎のような熱さを感じ、あの時と同じ異変を遂げられたと実感した。
抜刀し構えると、見えない敵に向かって打ち込む。身体は自分が望む動きを正確無比に体現してくれる。ナイフの切っ先が辿る軌跡を、鮮やかなシュプールのように目で追う事が出来る。今なら筋の動き一つですらもつぶさに捉え、どんな敵の急所でも静かに仕留められる気がした。
そして剣を鞘に収めると、あの時のように、指先で身体の前に大きく円を描いた。すると金色の円はやはり現れたのだ。は拳に湛えた魔力と共に円の中心を打ち抜く。
「散!!」
金色の円は無数の散弾となって前方の木々に降り注いだ。光弾は太い幹の木ですらも削り取り、瑞々しい香りが立ち込める木目をさらけ出させる。哀れな姿に成り果てた木々はさらに増える。
「散ッ!!」
木っ端を撒き散らせ着弾する二度目の轟音が周囲に鳴り響く。
段々と掴めてきた。打ち出す方向や範囲を、コントロール出来そうな気がするのだ。はこの不可思議な力を自分の手に手繰り寄せようと、無心で力をふるった。
が、次の瞬間。
やはりあの身体の違和感を感じた。心臓が叫びを上げ、細胞の一つ一つが爆発しそうに猛り狂う。は胸を押さえ、うめき声を上げてその場に膝を付いた。
「ハッ……! ハァッ……!」
弾けそうな身体を落ち着かせるので精いっぱいで、呼吸もままならない。これもあの時と一緒だ。嫌な油汗を掻いたところから、身体の芯まで冷えるのを感じる。
さらに、心臓がひと跳ねしたかと思うと、込み上げる重い液体が喉を通った。は咄嗟に口を覆ったが、指の間から真っ赤な液体がこぼれて地面に滴った。赤黒く変色した砂の面積が広がっていく。
「ゲホ! ゲホッ……!」
これは自分には分を超える力だ。はまるで振り回されてしまっているこの威力に、自分のものではない、何か借り物の気配を感じた。扱いきれない強大な力が、何故かこの身に息づいている。考えれば考えるほど、正体も意図も見えてこない。元々この世界の住人ではないのだ、多少違う所もあるかもしれないとも思った。だがこの力はそんな想定しうる理由とは逸脱している。こうして体調の異変を生じてしまうほど、身の丈に合っていない。この身には本来あるべき力ではないはずなのだ。
「でも……」
でも操る事が出来れば、今後きっと役に立つ。先生の願いを繋ぎ続けられる。それで殉ずる事があっても、本望だ。
は口内の血液を吐き出し、鼻血を手の甲で拭った。膝を付いている暇はない、この力すらも掌中に収め強くならなくては。そう決意し、今一度身体を奮い立たせた。
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ネイル村滞在二日目。
今日もは村から離れ、森に来ていた。
ダイも魔法の特訓をしていたようだったし、自分も頑張らなくてはと両手で頬を鳴らした。
――そう、あの時のダイの紋章も説明のつかない不思議で強大な力だった。だが本人は気にしている風ではないし、正直、あの日から不思議な力の正体に目を向けるまでの心の余裕はにはなく、今までお互いに聞き合った事もなかった。だがダイはダイで苦手な魔法にも向き合って自分自身の力をつけようとしている。力の正体を確かめようとする時は、きっと真摯に向き合うだろう。今は下手に横槍を入れる必要もないだろうと、はこうして一人で森に来た。
早速、は足元の小石を一つ拾い上げると、重なり合った枝葉の辺りに向け投げ入れた。乾いた音が聞こえると同時に幾枚もの葉が落下してくる。は素早く二本の剣を抜くと、身体の前で交差させて構えた。
(空裂斬を会得しないと……!)
が一年の修行で覚えたのは海波斬までだった。直接アバンの空裂斬を目にかけた事もなく、その技がどんな技なのか、本当は想像もつかなかった。だがアバン流刀殺法を修めようとするならば避けては通れない段階であり、この技を修めてはじめて奥義となるアバンストラッシュを会得できるのだ。アバンの技を一日も早く自分の中に取り込みたいは、霧を掴む思いでも夢中で剣を握った。
「空裂斬!!」
日が既に傾きはじめた頃、足元には切り刻まれた葉が無数に散らばっていた。
そこに一滴、二滴と水滴が零れる。滝のような汗は留まる事を知らずに流れ出て、地面に吸い込まれていく。とうとう柄を持つ握力もなくなり、剣はの右手から滑り落ち高い音を響かせて転がった。そして自身も膝をついて倒れこんだ。
「ダメ……出来ない……!」
上下する肩で息を整えても、腕がもう上がらない。何時間修行していたのか既に分からなくなっていた程、は無心で剣を振るっていた。だが斬っても斬っても、徒に時間が過ぎ身体が悲鳴を上げるだけで、何も見えてこない。は荒げる息の中で呟く。
「空裂斬……空を、斬る……?」
息も絶え絶え、喉を鳴らしながら自らに問いかける。
「空……空……見えないもの…………心……?」
(そう)
おぼろげに見えたものに、は自嘲気味に鼻を鳴らした。
(迷ってばかりいる私には、まだ見えないのね……)
目をきつく閉じ、さらに頭を垂れて、荒げる身体の昂ぶりを抑える呼吸だけをあたりに響かせる。
この様子をマァムは木陰から覗いていた。目元を苦しげに顰めながら。