ロモス
王都に着いたのは既に日が落ち、闇夜が迫る頃だった。街は軒並み店じまいしており、煌々と明かりを灯しているのは酒場と宿屋ぐらいのものだ。しかも今夜の月は円弧状に輝いており、夜歩きするのにも心許ない。当然、王宮の門も堅く閉ざされている。いくら一刻も早く王の御身を守りたいと言っても、易々と開かれるご時世でもなく、逆に不審者扱いされるのがオチだった。ダイたち四人は王宮を背に、人気のない通りを進んでいく。
「ちぇ〜! 今日こそ王宮のあったかいベッドで休めると思ったのによ〜!」
粗末なベッドで悪かったわね、というマァムの鋭い視線がポップに突き刺さったが、はまぁまぁと肩に手を置いて宥めた。
マァムのパーティ入りをは嬉しく思っていた。永らく同い年の女の子と接していなかった事もあり、自分と近しいその存在はどこか安心するらしい。それは昨晩、ダイたちにパーティ参入の希望を口にして相談するという珍しい事もあるほどに。マァムの村でのことも考えて一旦は諦めたものの、自分たちを追って駆けてきてくれた時は、本当に嬉しかった。
ネイル村に寄った事で、の中で何かがほんの少し変わった気がする。その少しの気持ちの浮上は、肩が幾ばくか軽くなるのを感じた。マァムに出逢えて良かった、もしかしたら自分を見かねてアバンが引き合わせてくれたんじゃないか、そうとさえ思っていたのだ。
ただ、マァムとポップがこんなに仲が悪いとは思わなかった。魔の森を進む日がな一日中、出る言葉は文句ばかり。いつか取っ組み合いの喧嘩でもするんではないかという心配ですら抱き始め、ダイとは肩をすくめるしかなかった。
大通りに面した宿屋の一室に部屋を取った彼らは、夜が明けても朝の静けさにまだまどろんでいた。だがその静けさは獣の咆哮と無数の足音で打ち破られる。この一日がただでは終わらない、そんな嫌な予感を感じさせる最悪の目覚めのベルだ。
「あれは……百獣魔団!?」
「そ、総攻撃を仕掛けてきやがった!」
窓から覗く大通りには、まるで濁流の如き勢いで獣たちが溢れている。獣の本能で王たるものの命令に従って、真っ直ぐに王宮を目指す。だがその途中で、野獣としての腹と血への空腹に耐え切れず、人々や街にその牙を向け始めている。たちまち大通りには獣と血の匂いが立ちこめた。思わず眉をひそめる。
「お、おい! なんなんだ、ありゃぁ!」
昨晩会ったニセ勇者の一行も慌てて飛び込んできた。顔を引き攣らせて魔王軍の猛攻に慄いている。
「魔王軍の百獣魔団だよ!」
「そ、そんな言ったって、今までこんな数で襲ってきた事なんてないわよぉ!!」
女僧侶の言での眉間に皺が寄る。では、この数を率いて来れる者がいる……? いや、そんな事が出来るのは獣の王と名乗るあの者しかいないじゃないか! 予想した通り、ロモス王都上空を獰猛な鳥獣どもが飛来し、その先頭にはあのクロコダインがガルーダを操り飛行している。必ず殺すと告げた、あの怒りに猛り狂う血走った恐ろしい目で、王宮を睨みつけている。獣王の咆哮を街中に響かせると、聞く者全てを震え上がらせ、さらに獣たちを鼓舞した。
ダイはマァムが止める声も聞かずに、ナイフを引っ掴み、宿を飛び出していった。行く先は勿論、ロモス王宮だ。
「ダイを追わないと!」
素早く身支度を済ませると、マァムは武器を手に取った。も腰にベルトを巻き付ける。が、周りの者はそれ以上の動きを見せなかった。
「どうしたのよ、早く!」
も急かす様に声を荒げた。けれど二人分の鋭い目にも、ニセ勇者一行と、そしてポップはたじろぐばかりだ。
「お、俺たちはいいよ……!」
「まったくじゃ。敵わないとわかってる相手と戦ってもなんの得にもならんわい!」
「そうよ〜一番大事なお宝は、なんといっても自分の命だしね!」
仕方ないか、とは思った。だが信じて目を向けた先からも発せられた言葉に耳を疑った。
「ははっ。おれも賛成」
ポップは苦笑交じりに片手を上げている。途端に声を上げそうになったが、それよりも早くマァムの怒鳴り声と手がポップに向かった。
「あんた! 何ふざけてんのよ!!」
「だ、だけどよ。あいつの強さはハンパないんだぜ。行ってもむざむざ殺されに行くようなもんだ」
「だから私たちが加勢しないとダイが殺されちゃうじゃない!」
「心配いらねぇよ。いざとなったらアイツはめっぽう強いんだからさ。死にゃあしないよ……」
胸倉を掴むマァムから顔を背け、悪びれなくそう言ったポップにマァムは固まった。
「どうしたのよ……あなたダイの友達でしょ!? 仲間でしょ!? 彼がどうなってもいいの!?」
そして掴んだままの胸倉を激しく上下に振ると、ポップの身体は成すがままに揺さぶられてしまう。首から頭がもげそうな勢いだ。マァムの烈火の如き勢いに、は声も挟めずにいる。
「うっ、うるせえな!!」
だがマァムの手を払い除け、とうとうポップは声を荒げる。
「大体おれは最初から魔王軍と戦うつもりなんてなかったんだ!! 好きで戦ってるんじゃねーや!! ……そりゃ、ダイは一緒に修行した仲間だけどよ、あいつがいるから敵が次々と襲ってくるんだぜ。巻き添え食って……死にたかねぇよッ!!」
その言葉を最後に、ポップは大砲の弾のように宿屋の壁にめり込んだ。マァムの拳の威力に、そばにいたニセ勇者一行とは飛び上がって吃驚する。
「ポ、ポップ!」
そのまま動かなくなってしまうんではないかと思ってしまう衝撃だったが、が何とか声をかけると、木っ端を避けながら身体を起こしはじめた。けれどもの声に目もくれず、既に赤くなっている顎を押さえながら、目を吊り上げてマァムに噛み付いた。
「てめぇ! 何しやが……」
流石に声を荒げて怒りを露わにしようとしたが、すぐに呑み込む事となった。
唇を強く結び、悔しさを滲ませている。マァムのその哀しい涙にポップの胸は衝かれた。
「マァム……」
「ポップ……あなた、アバン先生から何を教わってきたの……? あなたも、ダイも、も、アバン先生の仇を討つために命を懸けて戦っている……そう思ったから、私ついてきたのに……!」
「マァム、知ってたの……?」と、は呟く。ポップも眉を下げ、もう何も口にする事が出来なくなっている。
「それなのに、あんたなんて最低よ!! 二度と顔も見たくないわ!!」
マァムはそう吐き捨てると、弾丸のように飛び出して行ってしまった。
後に残された者は止まってしまっていた息をようやく吐き、肩を緩めた。「すげぇ女……」と評されたマァムの爆発は凄まじいものであった。そんな怒りを一身に受けたポップは、投げかけられた言葉をその心の内にぐるぐると渦巻かせる。俯いてしまっていたポップだったが、が一歩寄った所で我に返り、背けるように背を向けてしまう。
「ポップ……」
「うるせぇっ!!」
こんなに情けない姿を見られた恥ずかしさもある。だがあの日から溜まりに溜まっていた鬱憤を吐き出すかのように、ポップは怒声を上げる。何もかも上手くいかない苛立ちに、声を荒げる事しか耐える術を知らない。
「何だよ! お前も説教か!? おれの事なんかほっといて、早くアバン先生の仇でも何でも取りにいけばいいだろっ! 行けよッ!!」
ポップの怒声を受けても、には先ほどまで燻っていた怒りなどとうに失せてしまっていた。ただ沈痛な面持ちでポップを静かに見つめ、もう一歩ポップに近付く。その気配を受けると、ポップは来て欲しくないと示すかのように、肩を強張らせた。分かってはいたが、それでもはもう一歩近付いた。
「仇……そうね、はじめはそう思ってた」
目を閉じて、そして開ける。初めて言葉にする静かな緊張、だが驚くほど穏やかな自分の心の水面に目を細めた。
「――でも、仇をとろうなんて、今はもう考えていない。これは復讐じゃないの。アバン先生が……あの人が生きた証なのよ」
振り向いてはいけない。きっと後悔する。だが今、はどんな顔をしてこの言葉を紡いでいるのかを知りたい、ポップはその欲に勝てなかった。ゆっくりと肩越しに振り向いた。
のこんな顔は久しぶりに見た気がする。
真一文字に唇を結び、少し胸を張り、そしてあの黒い瞳を煌々と輝かせている。ダイやアバンのような太陽の瞳とは違う、もっと傍で静かに佇み見守っている、自分が長い間ずっと想っていたあの黒い満月の瞳だ。
は戻ってきた。
「世界に平和を、人々に安寧の日々を。アバン先生のその願いと意志を継ぐ事で先生が生き続けるというのなら、私はそれに身命を賭して成し遂げる。這いつくばってでもこの命を永らえて、先生の存在をこの世界に残し続ける。それが私の先生への愛なの」
強い、強い瞳だった。ぶるりと身体を震わせて、ポップはその瞳に捕らわれる。初めて目の当たりにしたアバンへの想いの強さ、真摯さに息を呑む。
「だけどこれは私が出した答え。卒業のあかしを託されたからといって、あなたが同じように戦いに身を投じる義務も、責任もないわ。先生に教えてもらった技の数々は、前線に立って振るうだけのものじゃない。街にいれば、そこの街の人々を助けられる事だってあるかもしれない。海でも、山でも、洞窟でも、どこかに行けばポップの力を必要とする人がいるかもしれない。そばにいる誰かを助けられれば。そう思った時の為に、授けて下さった力なのよ。そして、そうあるようにとアバン先生は私たちを生かしてくれた。――ずるぼんさんが言ってたわね、命が一番のお宝だって。本当に、そう思うわ。せっかく救ってもらった命だもの、マァムはああ言うけれど、何が何でも戦場に赴く事は、私はないと思う」
は踵を返す。
「けれど、私は行くわ。決めたの。アバン先生のこの命を、剣にして盾にして、私は戦う」
顔が見えなくてもポップには分かる。誰にも曇らせる事が出来ない輝きを宿した瞳で、真っ直ぐに見据えているはずなのだ。
「先生にもらった命をどうやって使うかは、あなた自身で決めなさい。きっと答えが見つかるって、信じてるわ」
そしてマァムと同じく部屋から駆け出していった。
(おれは最低だ。
みんな、苦しみから目を背けずに立ち向かっている。勝てないかもしれない相手に命をかけて戦ってた。それなのに、おれだけが自分の事ばかり考えて、逃げ回ってばかりいた。ついていかない気持ちに振り回されて、勝手に憤ってただけだった。は既に両足でしっかりと立っているというのに……!)
ポップの頭にポツリと浮かんだのは、あの南国の島での朝だった。
『私を守ってくれる?』
数刻前には想像も出来なかったほど破壊されてしまった王の間では、伏した者達がその激痛に身体を起こせずにいる。クロコダインの獣王痛恨撃で大打撃を喰らい、瀕死の重傷を負っていた。身じろぎする事もままならず、ただ痛みに耐え抜いている。
クロコダインは動けずにいるダイへと歩を進める。このままではダイが危ない。急いで回復呪文を施さなくては、とは身体を起こそうとする。が、それをあくまの目玉の手足が阻む。縄のように絡みつき、の動きを奪ってしまった。
「う……ぐ……!」
首を締め付けられ、魔法に集中する事も出来ない。ブラスを人質にとる卑劣な作戦を使ってくるクロコダインに怒りの目を向けても、あの不思議な力の発動を起こすまでの集中も出来なかった。微かに染まった紅はすぐに消え失せてしまった。
「ザボエラか」
妖魔師団に属するあくまの目玉の存在に、クロコダインは一瞥を寄越す。
「キィ〜ヒッヒッヒ! この娘、ハドラー様の仰っていた娘ではないかの? 異質な魔法を使うとかいう黒髪の娘。その小僧を殺ったら、こちらもすぐに始末しておくとよい。手出し出来んよう捕まえておくでの。ヒッヒ! クロコダインよ、大手柄じゃのう!」
「……フン」
ザボエラにいいように使われているのが癪に障るが、クロコダインには他に術もない。まずはこの憎らしいダイを獲らなくては話にならない。斧を再度握りしめ、ダイへと一歩一歩近付く。
基本的に患部に手をかざさないと効き目のない回復呪文だが、マァムの魔弾銃なら遠隔からかける事が出来る。マァムはしびれる腕を何とか動かし、ダイに向けて銃を構えた。だが、やはりあくまの目玉に阻まれてしまった。
「手出しさせんと言うたじゃろう!」
マァムの首にもあくまの目玉の手足が食い込み、呻き声を上げさせる。ギリギリと身体中を締め付ける痛みは、先ほどの痛恨撃で弱っている身体には痛烈に響く。遠のく意識に、空しくも手から魔弾銃が滑り落ちた。王の間に金属音が響く。
これで成す術が無くなってしまった。こんなにも早く掲げた志の難しさを痛感することになろうとは。常に背中合わせの”死”はいつでも奈落に引きずり込もうと、その口を大きく広げて待っている。それを振り払うだけの力が欲しい……。は目の前が白むのを感じながら、最後の力で唇を動かした。
「ポップ……!」
「待てェ!!」
部屋に響く少年の声。この世界に来てから毎日聞いていた、いつものお調子者の声。それが毅然と力強いものに変わっていても、聞き間違えるわけがなかった。は苦しさに瞑っていた目蓋を上げる。
震える足を懸命に踏みしめて、合わない歯の根を何とか食いしばって、ポップはそこにいた。
それはにとって意外でも何でもなかった。少し遅いだけで、きっと見せるであろう姿が現れただけのことだった。だから目頭が熱くなるのも少し唇が震えるのも、この痛みからくるもののはずなのだ。きっとそうだ。
ポップは全身から振り絞った勇気を右手に集めて、クロコダインに向かって啖呵を切った。
「おれの仲間を傷つけるヤツは誰であろうと許さねぇぞ!!」
ああ、アバン先生。私たちは集っていくよ。あなたの大志を胸に抱いて。