モノクロ 4
捜索隊は大まかに二分された。
陸と海上。
大半は陸上に人海戦術で充てた。そして組織立った海洋訓練を受けたカールの兵士達と、上空から探索するポップとの海上班。
海上班はフローラの指揮の下、隠れ砦を海上班の本営として捜索に努めていた。
だが彼らの不断の努力の甲斐もなく、実りがないまま五日が過ぎた。
日没とともに捜索を切り上げたは、待ち合わせていたポップと本営の砦に向かって帰還していた。
「明日は海岸沿いに沿って探してみよう」
「そうだな」
そんな話をしながら歩いていると、砦の入り口辺りに、こちらの本営にいるはずのないその人の姿を捉えた。
今まで平静を保っていた心を揺るがす。
兵に大きな地図を渡している。捜索済み地域を記した地図を持っての結果報告に来たんだろうが、わざわざアバンにお使いを頼むとは思えない。ルーラさえ使えれば一介の兵士でも事足りる事だ。おそらく口実作りの為に自分から志願したのだろう。
は身体の奥がジリジリと熱が篭るのを感じる。
細かく震える身体を押さえる事も失念して数日ぶりのその姿から目が離せない。
いけない。
まだ無理だ。
まだ心は決まっていない。
全速力で走って逃げないといけないのに、縫い止められたように足が動かない。
ホラ。目が合ってしまった。
来るのを待ち構えていたように振り向く。真っ直ぐ自分へ向かって来ようとするアバンと、逸らす事の出来ない視線を絡ませる。震える情けない頭では為す術もなく、アバンにまた一歩と足を進ませてしまう。
(このままじゃ・・・)
そう思った時だった。
「アバン、来ていたの?」
凛と美しい声が響く。
「少し、いいかしら?」
砦から出てきたフローラは優美な微笑みを浮かべる。静かに佇むその姿はまさにカールの至宝と呼ばれるに相応しく、思わず恭しくこうべを垂れてしまいそうになるほどであった。その美しい主君にそう言われて、断るいわれはない。
「はい」
アバンはフローラの方へ踵を返すと、フローラと連れ立って足早に砦へと入っていった。
じゃり。
不意に聞こえた地面が擦れる音で、ポップは小さくなった二人の後姿から、隣へと視線を向けた。
あるはずのの顔がない。
ぎょっと驚愕してそのまま下を見る。
は地面にへたり込んでいた。
「お、おい! どうしたんだよ!」
屈んでの顔を覗き込むと、凍えているかのごとく蒼白し、細かく唇を震わせていた。
「な……でも……なぃ……」
上手く言葉を紡げなくて、何が、何でもない、だ。思わず舌打ちしそうになる。
ここでは他の兵士達の目もある。
「来いよ」
ポップはの腕を掴むと、乱暴に立ち上がらせて林の中へと引きずり込んだ。
「何かあったのは分かる。日中はそれを出さずにダイを探しに懸命に駆けずり回ってんのも分かる。――だがな、先生の姿見ただけで崩れるなんて、相変わらず脆すぎんぞ、お前」
的確なその指摘に心の内を見透かされたようで、は気恥ずかしさについ目を逸らしてしまう。ポップはさらに追い詰め、そんなを見下すように言い放つ。
「そんな三文芝居じゃ女優にはなれねぇな、諦めな」
「……そんなもの、ならないもん」
口を尖らせてせめてもの抵抗をしてみても、拗ねた子供となんら変わりない。
「そうか? まぁ女は生まれながらに女優なんだっていうからさ。おっそろしいよな。……ま、そういう処世術やあるべき姿に自分を装う事が出来るのが、大人の女ってヤツなんだろうな」
は表情を崩さない。
「ふーん、出来んじゃん」
「……何が言いたいの?」
「お前は何やってるんだ?」
質問の意図が読めず、は隠すように俯いていた顔をポップに向ける。
「笑顔を錆付かせて、世界の色を消して、先生の姿だけを追い求めて……。そうしてやっと逢えたと思ったらフローラ様の15年の思いに傷付いたフリして、お前は何やってるんだ?」
棘を含んでくれたポップの言葉を受けても痛みは覚えなかった。ヒントを与えてくれてるんだと分かっているから。
は今、自分がどれだけ力ない顔をしているか気にもしていないだろう。眠りに落ちる寸前のような虚ろな表情でゆっくりと己を苛む漠然とした不安の正体を探ってみた。
ゆっくり、ゆっくりと。
こちらの気配に気付いたら一斉に血を吹き出してしまう。
忍び寄るように足音を消してソコへそろりと近付く。
「分からない……分からないのよ……。すぐにでも飛び込みたいはずなのに、頭を振ってしまう。先生が死んでから見えてしまったものが拭えない……」
「何だよ、見えてしまったものって」
「……フローラ様と静かに想い合った十五年や、栄誉を受け取れるべき大きな功績を残していた事や……」
静かに目を伏せる。
「……悲しむとわかっていながら私を一人で生かした事」
「、お前……」
力ない表情だったは足元に視線を落としたまま、自嘲するような薄笑いを浮かべる。
「……本当はね、本当はポップの言うとおり。先生が元勇者だっていう事も、フローラ様ともし昔に何かあったとしても、そんな事は瑣末な事だって分かってるの。ホント……最低だよね。ただちょうど目の前にあったフローラ様との思い出をやっかむ事で逃げて……。本当に……最低……」
は背を預けていた樹の幹に沿ってズルズルとへたり込んだ。俯き、顔にかかる髪で表情を覆い隠してしまう。
「でも、私を置いていった事だけは……私を置いていった先生だけは、まだ信じられない。――怖い……怖いよぉ……!」
細かく震える身体を抱きしめて、嗚咽に肩を揺らすを見下ろし、ポップは小さく小さく、舌打ちをした。
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「久しぶりね、アバン」
「は。女王陛下におかれましてもご壮健そうで何よりでございます。永の無沙汰をしておりました事、お詫び……」
「堅苦しい口上はよして頂戴」
ぴしゃりと止めに入る。
アバンは主君の前にひれ伏していた頭をより一層下げた。
「は……。これは失礼を……」
「ここへはどうして?」
「レオナ姫より地図をお預かりしたのでお届けしに参りました。あと、こちらでの状況を窺いに」
「状況……ね」
「は?」
「いいえ」
紅い唇が緩やかに弧を描く。
この砦の一室に設けられたフローラの私室。
簡素だが窓を三つ有し、ほどない広さを誇る。その三つの窓からは眩しいほどの夕焼けが部屋中に行き渡る。フローラは窓の側に歩み寄るとその紅い落日を全身に浴びた。
「本当に、久しぶりね……。十五年、全くと言えるほど音沙汰が無かった事はよしとしましょう。――ただ、貴方は死んだのだと思って、私……それはそれは、悲しんだのよ」
窓の外を見ている為、表情は窺う事が出来ない。
「……申し訳ありません、ご心痛をおかけしてしまったのですね」
「本当にね。まったく、魔王ハドラーを倒して帰還したかと思えばすぐにふらりと出て行ってしまって……。騎士団や城の者も、どれだけ寂しい思いをしたか……」
アバンは申し訳なさそうな顔を浮かべ、小さく笑う。
フローラは窓の外の景色からアバンへ視線を向ける。
「こうして心配している事は貴方にとって……邪魔な事?」
「とんでもありません! そのような事……!」
「ではもう少し考える事ね。人との間に生きていたら他人の人生にいくらかでも影響を及ぼす事。貴方が望んでも望まなくても誰かが貴方という人間の影を追い続ける事。……生きるも死ぬも好きにしてはいけないという事」
「……全くもって、耳が痛いです……ハハ」
頬を掻きながら自嘲気味に笑う。
「本当に痛がっているのかしら? まぁいいわ」
フローラは隠す素振りもなく、小さく肩を竦めて見せる。
「行く所があるのでしょう? 私の話はこれだけよ、どうぞ」
フローラは再び窓の方へ向き直す。退室を促されたと思ったアバンは床に付けていた膝を上げる。もう少しお小言を頂くのかと思っていたのでいくらか拍子抜けした様子で、慌てて頭を下げる。
「は、はい。もう少し落ち着きましたら改めてご挨拶に伺いますので。それでは」
扉の閉まる音が濃いオレンジ色の部屋に響く。
十五年ぶりに会う彼の目は見たことのない瞳だった。
ここで追いかけて泣きつくには自分はあまりにも年を取りすぎた。
背筋を伸ばして何でもないような顔をし続ける事が、いい女であり続ける事だけが、残されたちっぽけな自尊心を支えられる。
難しい事じゃない。
慣れているもの。
落日が頬を伝う涙を、紅く染め上げた。
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石造りの砦の廊下に靴音が響く。
アバンはの部屋を兵に聞いて、浮き足立つ足を隠しながら部屋に向かって歩いていた。
もう一度ちゃんと話してみよう。
話せばきっと分かってくれる。
そんな淡い期待を胸に、廊下の角を曲がる。
が、曲がった先の廊下にポップが立っていた。先ほど兵に聞いたの部屋のすぐ前だ。
まさかいるとは思わなかった弟子の存在と、何故こんな所で待ち構えているのだろうという疑問に、思わず目を見開いてしまう。ポップはそんなアバンを尻目に憤然とした態度で口を開く。
「なら疲れたって言って、もう休んでますよ」
廊下の真ん中を陣取り腕を組んで立つ姿は、門番さながらだった。何人たりとも通さない堅牢な門衛だ。
眉をしかめているのを見ると、はポップに相談したのかもしれない。ポップにまで怒らせるほどの憤りをはまだ持っているのか。
それならば尚の事、話して誤解を解きたい。
そうも思ったが易々と通してはもらえなさそうな雰囲気を醸しているポップは食い下がる暇も与えない。アバンは大人しく引き下がるしかなかった。
「あ……そう、ですよね、わかりました。――では、私は戻りますね。貴方も疲れてるでしょうから早く休みなさいね」
「はい」
「じゃあ」
潔さを主張しつつも、本音は後ろ髪引かれる思いで踵を返す。
角を曲がる際にチラリと見たポップは姿勢を崩す事なくこちらを見ている。ちゃんと帰るか見届けるかのようだった。
「私はここではあまり歓迎されてないようですねぇ……」
アバンは自嘲気味に誰ともなく呟くと、一抹の寂しさを感じながら砦を後にした。